[7] まずは情を出す、ということを忘れていた

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やっぱり、自分で更新できるBlogっていいなあ~~

ただ、まだ画像や映像とかリンクの貼り方がわからないけど。

おいおい、わかるようになるでしょう~~

「なんじゃ、知的生活を送る気はないのか、公立大学の学生のくせに。税金で学んでいるくせに。ただ食って労働して寝るだけでいいのか?スマホいじくっているだけでいいのか?こんな連中が大学に来て何をするんだ?こんな連中は、税金で勉強させる必要はなし」と、職場である種の学生たちを眺めていて、冷ややかな私である。

が、ちょっと反省した。

やっぱ、自分の狭い経験や見聞で人を判断しちゃいけない。

育った家庭が新聞も購読せず、本棚がなくて、家庭の誰も読書の習慣はなくとも、今の時代は、大学というところに来るんだそうだ。

そういう人も珍しくはないそうだ。

受験勉強だけはするけれども、それ以外はいっさい字というものに触れない学生も多いそうだ。

そのことについて、親から叱られるということもないそーだ。

今の若い人は、やたら家庭では「王子さま」「王女さま」で育てられているらしい。

褒められて育っているらしい。

親に褒められたことなどない私には異世界だ。

かといって、親に褒められたことがなくとも、親の愛情を疑ったことなど、私は一度もないけどね。

私は、子どもがいないのでよくわからないんだよね。現在の親子関係とかそういうものが。

そうか、マイルドヤンキーも多いわけだ。彼らや彼女たちの中には。

私が勝手に想定している「中産階級」の家庭の出身じゃない学生さんも多いわけだ。

今や経済不況のせいで、世界の「中産階級」は縮小しつつあるそうだけれども、そもそも、日本に「中産階級」という層が育っていたのか??

カネはそこそこあるけど心は下層階級というのが、日本の戦後の大方の「中産階級」だったんじゃないのか??

それはさておいて、私が反省したことは、自分が「知的生活を志さないガキなんか知らんわ」と思っていたことだ。

ガキには、ともかく愛情を出す。まずはそれが何よりも大事だってことを、忘れていた。

私は私立大学出身なんで、国立大学や公立大学の学生ならば、私より賢いはずだという偏見がある。

税金で学ぶ人間には、それなりの矜持と義務があると思っている。

だから、「これじゃあ、偏差値55以下の私立大学と変わらんだろ・・・・いや、英語に関してはもっと下だぞ」と思わされることが重なると、「ばっかじゃね~~の!!ここ!!」とやる気をなくしてしまっていた。

しかし、これは、あまりに拙速であった。

偏狭であった。

大人気(おとなげ、だいにんき、じゃない)がなかった。

現在の日本の大学生は、昔の中学生みたいなもんだ。

そう思って粘り強く、何度も親切に繰り返し、かつ軽やかに説明すべきだ。

今の子は、ほんとに軽々しく育っているからな。

重いものはダメだ。重厚という価値観はない。

ほんとに文字通りガキなんだから、しかたあるめい。

ガキには、理屈の前に、まず愛情だ。

情だ。

ミルキーだ。

情とは何か。

相手を尊重することだ、根拠なく。

清濁あわせ飲んで、相手を肯定することだ。

まずは、ミルキーを渡すことだ。

まずは肯定だ。

あ、私はこう見えても情はある方なんよ。

嫌いな奴でも親切にできる。

嫌いな奴相手にでもフェアであろうとする。

その情を利用してラクしようとする人間は許さんけど。

日本人だろうが、同僚のイギリス人だろうが(って誰のことか?)。

ということで、今日の福山の空も青い。

あ、曇ってるな。

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