大島弓子さんってご存知ですか?
大島優子ちゃんじゃないよ。
特に1970年代から1980年代に大活躍した萩尾望都とか竹宮恵子とか山岸涼子とか樹村みのりとかと並んで、「24年組」と称された少女漫画家のひとりだ、大島さんは。
この人たち、だいたいが1949年昭和24年生前後に生まれた人々だったので、「24年組」と呼ばれた。
(不思議なことに、『ベルサイユのばら』の池田理代子は「24年組」とは呼ばれてない。『ガラスの仮面』の美内みすずも「24年組」に入ってない)
もう当時は少女漫画の大革命時代だった。
1970年代から80年代にかけて、日本の少女漫画の水準は飛翔したんよ。
才能がピカピカ光っている少女漫画家たちが噴出した時代だったんよ。
その中でも、大島弓子さんの作品は、漫画でなければ表現できない世界を作り上げた。
たとえば、猫を擬人化したり。
『綿の国星』なんか、そーだよね。子猫が可愛らしい少女として描かれる。
精神年齢で登場人物を描いたり。
『夏の夜の獏』とか。
これが大傑作だった。
『夏の夜の獏』の主人公の8歳の男の子は、27歳くらいの青年として描かれている。
40代始めくらいの両親は13歳くらいに描かれている。
19歳の兄も同じく13歳くらいに描かれている。
痴呆のおじいちゃんは、赤ちゃんとして描かれている。
介護士のお姉さんだけは、精神年齢と肉体年齢が同じの20歳で、主人公の心の慰めになってくれる。
主人公の男の子は、親も兄も幼稚だし、学校の同級生も担任の先生も幼稚なんで、孤独に考える時間が長くて、精神的にどんどん成長しちゃった。
そのうち、幼稚な両親が互いに不倫して離婚しちゃった。
痴呆のおじいちゃんが亡くなった。
お兄ちゃんは家出して、介護士のお姉さんと結ばれ、急速に精神的に成長する。
主人公の男の子の家庭は崩壊した。
心の慰めだった介護士のお姉さんはお兄ちゃんのお嫁さんになってしまって、赤ちゃんができた。
男の子は、独りぼっちになった。
ほんとに自分には帰るところがないと思った。
そのとき、27歳ぐらいの青年の姿で描かれていた主人公は、8歳の男の子の姿になる。
ワイワイオイオイと泣きながら、ガキの姿で町を走る。
この『夏の夜の獏』は、初めて読んだ日から、ずっと心に残っている。
で、この漫画のおかげで、私に変な習慣がついた。
他人を見る時も、自分を見る時も、肉体年齢と精神年齢のギャップという観点から見る習慣が。
「この人はいくつ?60代の終わりくらい?精神年齢は22歳くらいだな。なんでも部下に丸投げだ。そのへんの狡猾なニイチャンだ。自分のことだけで精一杯だもんな~~虚栄心が強くて気が小さいくせに威張りたがる」とか。
「この厚化粧の50代のオバハンの心は、まだ18歳くらいのギャルだな。花柄のワンピースに、前髪を眉毛までおろしてロングヘアってさあ・・・はにかんで笑うなよ・・・目じりの皺が怖いわ」とか。
「この学生は19歳だけど、精神年齢は28歳くらいはあるかもな・・・頭もいいんだろうけど、親が頼りにならなくて早く大人にならざるをえなかったのかな・・・」とか。
「いまどきの普通の学生の精神年齢は12歳くらいかなあ・・・まあ、マッカーサーの昔から日本人はそんなもんだったらしいけどね」とか。
「こいつ、東大出の科学者だけど、中坊じゃねーか」とか。
「今の私の精神年齢は25歳くらいに退化しているぞ!!あかん!!」とか。
そのうちに、だんだんと気がついた。
いくら老いても、人の心は少年、少女だってことに。
絶望的なくらいにガキだってことに。救いようがないくらいにガキだってことに。
だから、高齢者に向かって、安易に馴れ馴れしく「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」とか呼んじゃいけないってことに。
でも名前を知らないと、どう呼びかければいいのか。
英語ならば、SirとかMadam(Ma’am)とか、あるのになあ。
まあ、「ご主人」とか「奥さん」と呼ぶしかないのかなあ。
さらに、気がついたことは、親というのが、とても可哀そうな存在だってこと。
まだまだ心はギャルなのに母親のふりしないといけない。
夢見る乙女なのに、クソ・リアリズムの生活を引き受けなければならない。
ほんとは心細くて泣きたいのに、頼りがいのある父親の顔をしないといけない。
女房や子どもの暮らしの責任を負うために、ひたすら満員電車で通勤する。ほんとは動物園に行きたいのに。
両親が健在の頃に、まだ若くて無知無知していた私は、両親の中に、そのような繊細な心細い傷つきやすい女の子や男の子が住んでいるということを想像できなかった。
なんたる想像力の欠如。
私のような愚かな人間は、親にも幼児時代があり、少女時代や少年時代があったのだという、あたりまえのことを認識するのにも、長い時間がかかった。
亡き両親に対して申しわけないことだったと、今は思う。
かわいそうなことをしてしまったと、今は思う。
学生と話していると、今の学生の親たちというのは、どうも、いつまでたっても、親になりきれないようだ。
いい年をしてギャルであり幼稚な青年であるらしい。
親のふりさえできないようだ。
子どもの方が親をお守りしているような家庭もあるらしい。
それを思うと、精一杯、「親」をしてくれた両親を持てた自分の幸運に感謝する。
さて、今の私は、自分自身の中に、いつまでたっても小学4年くらいの女の子がいるということに自覚がある。
たとえば、私の職場の「福山市立大学」というところで、私が所属している「都市経営学部」ってのは、創設年度の2011年度と翌年の2012年度は、私以外には女性教員がいなかった。
だから、教授会は、当然に男性ばかりの中に女性は私がひとりだけだった。ポツンと混じっていた。
そんな第1回教授会で、私は周りを見回しながら思ったものだった。
「オッチャンばっかりだ!知らないオッチャンばっかりだ!ほんとオッチャンばっかりだ!なんで、こんなオッチャンばっかりの中に私はいるんだろ・・・」と。
その時の私の心は、もろに小学校4年くらいの女の子だった。
ランドセルをしょって、会議室に紛れ込み、ちょこんと座っていた。床につかない両脚をブラブラさせながら。
今の私は、出勤する時に「これから、かよちゃんの大冒険~~~♪」と言ってみる。
小学校4年生の馬鹿ガキが、初老のオバサンの着ぐるみの中に入って、「センセイ」のふりをする。
だから、うまくできなくても、しかたない。
ドタバタしてあたりまえだ。
不器用でドジばかりでも、しかたない。
ひとつひとつ、ゆっくりあわてずに、やっていこう。
ひとつひとつ、勉強しよう。
わかるまで、できるようになるまで、練習しよう。
10歳の脳タリン気味の女の子が、62歳の「大学の先生」のふりをするのだから、疲れるに決まっている。
クタクタでヘトヘトになるに決まっている。
そのわりには、よくやっているんじゃないか。
自分の頭をナデナデしてあげよう。
ということで、私は今日も「かよちゃんの大冒険」に出かける。