ニーチェ気分の昼下がり

2015年の収穫は、私的にはニーチェに再会したことだ。ほほほ。

翻訳が出ている範囲ではあるけれども、まあほぼ読破したことだ。けけけ。

若い時に、大学院生の時に『悲劇の誕生』を読んで、「わかったような、わからないような・・・」で終わってしまって、あれから35年。

こういうことってあるよね。

若い時に会っていたのだけれども、自分の水準がすさまじく低かったので、その人の凄さがわからなかった。

で、やっと自分の脳が動き出してから再会したら、もう無茶苦茶にその人は魅力的だった、みたいな。還暦過ぎてやっとつかんだ真の恋というような(あるか、そんなもん!)。

ああ、再会できてよかった。

再会できていなかったら、私の人生はどうなっていたんだろ・・・と思うような再会。

今、ニーチェを読むと、無茶苦茶によくわかる!!

この人、私のソウル・メイトかしらん!!と思うほど共感する。

アイン・ランドの『水源』を読んだときにも、この人、私のソウル・メイトかしらん!と思った。大感激した。47歳のくたびれかけた全細胞が活性化した!

けれども、『肩をすくめるアトラス』を読んだときに、エッセイの『利己主義という気概』を読んだときに、「やっぱり違うわ・・・」と思った。

「女の秀才にありがちな硬直した合理主義に陥っている。馬鹿優等生一歩手前になっている。どうしたんだ??何があった??」と思った。

でも、ニーチェの言うことは、全部共感できる!!

こんなすごい面白い人の書いたものが、「大哲学者」というレッテルのために、敬遠され読まれていないとしたら、すっごく、もったいないことだ。

「ナチスに思想的背景を提供した」という濡れ衣のために、うさん臭いと思われて読まれないとしたら、ほんと人類の損失よ。

こんなポップな人はいないよ!!

こんなに面白いこと書ける人はいない!!

リバータリアニズムと地脈が通じているんだよね、ニーチェの哲学は。

今日は、その中でも、「超人」思想についてフジモリ流に紹介しちゃう。

いろいろ誤解してる馬鹿が多いからさあ。

ニーチェの『ツアラトゥストラはこう言った』上下巻(氷上英廣訳、2015、岩波文庫)から引用しちゃう。

9月に自分が書いた論文(ただいま校正中)からコピペしちゃう。

超人とは、いわゆるスーパーマンとか超能力者とか新人類とかの意味では全くない。

そもそも、「人間は克服されなければならない或物」(ニーチェ、上巻、氷上訳、2015、14)だ。

「人間は動物と超人のあいだに張りわたされた一本の綱なのだ、—深淵のうえにかかる綱」(18-19)である。

「人間おける偉大なところ、それはかれが橋であって、自己目的ではないということ」であり「人間において愛されるべきところ、それは、彼が移りゆきであり、没落であるということ」(19)である。

人間は汚れた流れであるが、その汚れた流れを受け容れ、不潔にならないために「大海」(16)であろうとするのが超人である。

超人は、幸福というものを貧弱で不潔でみじめな妥協と安逸だと考える。超人は、自分の幸福は、人間の存在そのものを肯定し、是認するものと考える(17)。

超人は、自分の理性は獅子が獲物を求めるように知識を激しく求めていなければならないと考える。超人は、自分の徳や正義や同情などは、すべて中途半端なものと考える。超人は、自分の炎で自分を焼き殺そうと思わねばならない。でなければ、あたらしいものになれないからだ(107)。

だから超人は創造者だ。超人は、自分自身を超えて創造しようとし、そのために破滅する(108)。

だから、超人は没落せざるをえない。しかし、超人であろうとすること、そう意志して生きることそのものが、人間である。常に古い自分、矮小な自分、安逸に自足する自分を超えようと志向しなければならない。

「自由を手にいれた精神も、さらに自己を浄化しなければならない」(69)。

「魂の中の英雄を投げ捨てるな!」(71)。

ね、カッコいいでしょう!!

すっごくカッコいいでしょう!!

滅茶苦茶にカッコいいでしょう!!

特にいいのは、超人は「降りていく存在」だってこと。幸福や安寧に充足せずに、自分の狭い殻を常に打ち破って先に進んでいくってこと。

高みにすわって衆愚を眺めるっていう貧血気味のインテリみたいな矮小さには陥らないこと。

自分の認識を広げるために、高みから降りていくってこと。そーいう好奇心とスタミナがあるってこと。

高いところから見えることもあるけれども、地面にたたきつけられるからこそ見えるものもある。

カネ持っているから見える風景もあれば、カネがないからこそ見える風景もある。

若くて美人だからこそ見える風景もあれば、ブスのババアだからこそ見える風景もある。

いろいろなものを獲得することが人生の成功かもしれないけれども、どんどん失っていかないと到達できない認識もあるんじゃないか。

どんどん手放してこそ、見える何かがいっぱいあるんじゃないか。

降りてこそ見える広い広い眺めがあるんだ。

でも、そこに安住しちゃいけない。安住は退屈だし、頽廃と傲慢と脳タリンを生む。

いや、ほんとニーチェの言葉は、還暦過ぎた人間をこそ勇気づけてくれるよ。

ところでさ、女ってさ、閉経にならんと脳が動かないような感じがしないですか?

生理があるうちは、生殖関係に神経がいくようにできているようで、雑念ばっかりなんじゃない?

振り返ってみると、そう思うね。

若い女性のみなさま、閉経以後を楽しみにしていてね。あらたな認識の地平が開けるわよん。

やっと脳が稼働始めるわよん。霊性が覚醒を始めるわよん。

さあ、「大海」に乗り出そう。ほほほ。

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