[15] リア充

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一時期、「リア充」って言葉がネット界に流行ったでしょう。

「リア充」ってのは、リアルな毎日が充実しているって意味らしい。

リアルな毎日って何? リアルじゃない毎日があるのか?

リアルな毎日が充実している「リア充」ってのは、具体的にどういう生活かというと、毎日、友だちや仲間とイヴェントがあって、集まって楽しそうに乾杯しあっているような状態らしい。

集まって飲み屋やレストランで食べて飲んで騒ぐ機会が多いほど、「リア充」ってことらしい。

そういう写真ばっかりFacebookに投稿している人も少なくない。有意義な情報は投稿せず、集団で飲み食いしている写真ばかり投稿している奴っているな、確かに。

知り合いによると、今時の大学生のFacebookの投稿は、そういうイヴェント写真に満ち満ちているのだそうだ。

いまどきの女子高校生は、彼氏とのファースト・キスとかファースト・ベッドインも、Mix Channelに投稿しちゃうんだそうだ。

くっだらねえ・・・

しょうもない・・・

すっげえ脳タリン・・・心のひだひだ全くない。つるっつる。

あ、天真爛漫って言うべきか。

そこまで見ず知らずの他人に見せつけないと、気が済まないほど、見ず知らずの他人を必要としているのか。

一種の「プチ・スター」気分かな?ブスでもネット空間ではアイドルになれます~~~的な。

まあ、とことんやりなはれ。いずれ飽きるだろ。

私的に思う「リア充」ってのは、リアルに充実感があるというのは、たとえば、次のようなことだな。

尋常ではないプロジェクトを長年の辛苦の上に見事に遂行成功させた。

ああ、「これ」に出会えただけで、もう最高に幸せ!と心底思えるような、「これ」に出会った。「これ」つーのは「極上お好み焼き」でもいいんよ。

この世界の支配構造を把握した。歴史の秘密を解き明かした。

強烈に頭のいい人間たちの会合に忍び込めて、これからこの世の中がどうなるか知った。

アリストテレスやマルクスやケインズをみんな読破して理解できた。

年収200万円ながらも、貯金1億円を達成した。

眺めているだけで頬が緩んじゃうような滅茶苦茶にいい男と性交しまくって、そいつの身体を利用しまくって、誰にも秘密に楽しんだ。人格なんいらん。美貌と快楽だけ欲しい。

秘密政治結社を結成し、日本を名実ともに独立国家にした。極東の海に浮かぶシンクタンク的要塞のように、日本は、物を考える国民に満ちた国家になった。

永遠の若さと、どんどん増大グレイドアップする知力に頼り、宇宙を旅した。ついには宇宙の果てまで行き「神」と対話した。というか「神」を罵倒してやった。

宝くじで100億円当たって、誰にも言わず生活も変えず、無名の秘密の金持ちのまま、心の中は余裕と優越感いっぱいに笑顔で生きた。

こーいうようなことならば、「リアルに充実」だ。

ところで、私の人生は、リアルに充実したことなんか、ほとんどない。

幸福ではあったけれども、感謝してはいるけれども、リアルに充実はしない人生だった。

私は正直だからね、実感しか語らない。

私は幸福ではありますが、リアルに充実感を感じることができるような「すごいこと」を遂行したりはできなかった。平凡だから無理だった。

かといって、しょうもないイヴェントで予定を埋めて、満足できるほどの自己欺瞞力もない。

ほんとは関心もない人々と群れて騒いで楽しいと本気で思うほどには、自己分析能力に欠如していない。異常に孤独に弱いわけでもない。

え?なに?

物の言い方が、なんかむかつく?

それは、私が真実を語っているからよん。

身の程知らずだって?

上から目線だって??

あたりまえじゃん、私は身の程知らずに決まっている。上から目線に決まっている。謙虚なんて言葉は私の辞書にはない。あるようなフリはしますが。

身の丈なんか知っていたら、そもそも、生まれてこなかった。

生まれる必要もないのに生まれてきてしまった凡人である自分を、私は直視する。凡人以下の面も多いけど。

「私の人生には、なにか使命があったに違いない!」なんて幻想は持たない。

62歳になっても、「生まれた理由」も「生きる意味」もわからん。

ちょっと、あなた正直になりなさいよ。

自分と同じ程度の人間と飲んで騒いで、いっしょにどこか通俗でケチで小汚い観光地に行って、「はい、ピース!!」って写真を撮ることの、どこが面白いんだ。

ほんとは面白くもないことを面白いふりして笑顔を作っていると、皺が増えるよ。

何が言いたいかって?

要するに、他人の「リア充」ぶりを眺めて羨ましく思う必要なんかまったくないってことだ。

ほんとに、羨ましいわけでもないのに、羨ましいフリを自分にまですることはないってことだ。

もっと自分に正直でいようよ。トコトン正直でいようよ。

ほんとにリアルに充実していることは、他人に見せたくないものかもしれない。語りたくないものかもしれない。

見せようもないかもしれない。語りようもないかもしれない。

最近の私はさあ、何も特別なことはしていない時間に、独りの時間に、なんか生々しい充実感を感じるようになっている。

幸福感とも違うんだね、これは。

時間の中に、自分が溶け込んでいるって感じ。

私という意識から離れて、世界の中に自分が溶け込んでいるって感じ。

ほんわか~~~とした無って感じ。

認知症一歩手前だろうか?

いろんな「リア充」があるね。

2件のコメント

  1. このブログわ読んだ後で、私が認知症になって今までの全てが幻となった時、認識論の哲学者アベナリュウスのように感覚の複合で世界が構成されていると思い込めるようになるとリア充を感じられるかもしれないと思いました。(^_-)-

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