またも自分のしている講義「アメリカ文化論」第2回の一部分をさらしてしまう。今回は、最後の6分ほどを公開する。
この動画も、同僚の三重大学名誉教授&埼玉大学名誉教授の渡邊明先生が撮影してくださった。次回は、学生さんが撮影してくれることになっている。
「アメリカ文化論」は、私が福山市立大学で担当している唯一の講義科目である。12月から2月にかけての4学期に開講される。3年生以上が履修できる。必修科目ではない。選択科目である。「都市経営学部」の基幹科目では全くない。
2013年度に初めてこの講義を開始したときは、3年生の就活開始時期でもあり、受講者数は26名くらいだった。毎回の常連受講者は20名ぐらいだったと思う。
でも、だんだん受講生数は増えていった。2014年度は45名くらいの登録者がいた。
今年度は、登録者86名なので、中講義室に学生さんがいっぱいって感じで嬉しい。受講生が多くいてくれると、講義するのも張り合いがある。
やっぱり、そーいうもんよ。
出席カードも兼ねたコメントペーパーに複数の受講生さんが、「友人が面白いと言ってたから登録した」とか「先輩から受講を薦められた」とか書いてくれている。
こーいうのが「口コミ」効果っていうのかな。
この「アメリカ文化論」も来年度で最後だ。来年度の講義は撮影しないんで、映像に残るのは今年度が最後になる。
「こーいう講義こそ聴きたかった」と書いてくれた4年生の受講生もいた。
第2回の講義では、アメリカ合衆国成立までの世界史を無謀に走り抜けた。約280年にもわたる先住民族とアメリカ大陸植民者との闘争について話し、社会進化論的発想について言及した。
今でも、非先住民族系アメリカ人のかなりは、先住民族殲滅の歴史について自慢はしないけれども、反省していない(と思う)。罪の意識は希薄(と思う)。
なんでかっというと、アメリカ人は、傾向として「社会進化論」的発想を持っているからね。
「社会進化論」つーのは、簡単に言えば、この社会は進化していくものであり、滅びる者は、その進化に順応できないのだから滅びていくんよ、しかたないのだよ、という考え方だ。
滅ぶ人々は、滅ぶのがふさわしい人々なのだよ、だから滅んだのだよ、という考え方だ。
滅ぶのがふさわしい人々を救済することなんか結局は無理だよ。それは人間社会を停滞させることになるんだよ、という考え方だ。
北米大陸の今はアメリカ合衆国と呼ばれる地域にかつて住んでいた先住民族(おそらく)600万人(正確な数はわからない)が、20世紀には30万人に減ったのは、しかたないことだったんだよ、という考え方だ。
遺伝子が劣悪なものは排除せよと唱える「優生学」のもとにもなった考え方だ。
帝国主義やアメリカの南部の黒人差別やナチスの思想的背景にもなったね。
私の好きなニーチェも、アイン・ランドにも、この発想はあるね。
アメリカでは富裕層のチャリティや寄付行為は盛んだけれども、制度としての社会福祉は充実していない。
なんでかっというと、社会福祉なんてものは、弱者救済なんてものは、国民を弱体化し、国力を衰退させるものだというアメリカ人の脳にある社会進化論的発想のせいだ(と思う)。
私は、この社会進化論的考えを肯定はしない。
だって、今の時代が古代より進化してるかどうかなんて判断がつかない。歴史が進化の方向に向かっているかどうか判断がつかない。
肯定はしないけれども、「まあ、こういう考え方の中にも真実はあるなあ・・」と思う。
自分が甘ったれて依存性が強くなりそうなとき、自分の弱さに居直ろうとするとき、私はこの「社会進化論」的発想の過酷さを思い出す。
「滅びの美学」なんて御託を並べていてはいけないんだ。
やはり勝たなきゃ。生き延びなければ。
勝てはしないまでも、負けてはいけないんだ。個人も国家も。
この「アメリカ文化論」も来年度で最後だ。来年度の講義は撮影しないんで、映像に残るのは今年度が最後になる。・・・・最後にはさせません。来年、更なるバージョンアップ版を・・・(^_-)-☆
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いえいえ、来年の今頃、どうなっていますやら、日本も世界も……^_^
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先生のいらっしゃらない大学は寂しいことです!
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