こんな講義してます(その5) 戦争を歌う国歌

本日は2015年12月22日。

珍しく気分が非常にいい。ささやかながら解放感がある。

なんでか。

私の4年生のゼミ生3人が、無事に本日、卒論を提出したからだ。

4年生ゼミ生は、ほんとは5人いるのだけれど、1人は休学中。1人は不登校だ。保護者に手紙も書いたが音信不通。だから、卒論を出したのは3名。

題目は、「超越論的自己啓発本の起源と功罪」と「織田信長暗殺の真相仮説研究」と「都市農業の可能性と実践例」だ。

もう、アメリカとかまるっきり関係ないテーマだ。

なんで、こーいうテーマについて書く気になったのか?

「超越論的自己啓発本の起源と功罪」を書いた女子学生は、斉藤一人とか小林正観とかの本を読むのが好きだからという理由だ。

超越論的自己啓発本つーのは、要するに「あなたの心が変われば、現実は変わるよ。あなたが不幸なのは、あなたの心が暗いからよ」と説く類の本のことだ。

彼女は、なんでそーいうアホなこと言ってる自己啓発本が多いのか?と疑問に感じていたら、私の講義「アメリカ文化論」で、New Thoughtのことを知った。

そうだったのか!!アメリカの「キリスト教別派人間念力教」=New Thoughtの亜流だったのか、小林正観とか斉藤一人は!!と、彼女は思った。で、卒論にした。

論文としては彼女のものが一番いい。構成ができてる。

「織田信長暗殺の真相仮説研究」を書いた男子学生は、「僕は自分のこと、明智光秀の生まれ変わりだと思う」と言って、37の仮説を調べた。

「あのねえ、明智光秀は非常に優秀だったの。4年生になっても取得単位数35単位のあなたが、なんで明智光秀の生まれ変わりよ。明智さんに失礼だろ」と、私は言った。

彼は、卒論は提出したが、単位が足りないので留年する。2年は留年しないと卒業できない。そこらあたりは非常に心配だ。ちゃんと卒業できるだろうか。

「都市農業の可能性と実践例」を書いた女子学生は、「野菜を育てようクラブ」に所属している。将来は、専業主婦となり、野菜を自宅で育てるつもりだ。だから、都市部でできる農業の実践例を知りたいということで、このタイトルの卒論となった。

都市農業の実践例は多いそうだ。「で、あなたは、どんな都市農業を実践するの?」と私は彼女に訊いた。

「なんか面倒くさいみたいだから、なにもしないかもしれません」が、答えだった。

わけのわからん3人である。

去年のゼミ生3人もわけがわからん人たちだったが、今年もそうである。

私は雑学には自信がある。雑学そのものが私だ。だから、彼女たちや彼らのテーマにつきあうことぐらいは、いくらでもできる。

が・・・しんどかった。

私は都市経営学部という学際的な学部の教員だけれども、実質は一般教育の英語の教員だ。都市経営学という新しい学問分野に私の入る隙間はない。

都市計画とか設計とかデザインとか景観論とか経営学とか企業論とか都市の環境の水問題とか地層とか都市の共生・開発とか、そういうものが都市経営学部の基幹科目である。

私には、どうにもならない科目ばかりだ。人文系の教員は関係ない。

だから、私のゼミに入ってくる学生は、「都市経営学」というものに入り込めないというか、何やったらいいかわかりません~~的な学生だ。

しかも、ボケッとしていて、ゼミの応募の締め切りを過ぎてしまって、どこに行ったらいいかわかりません~~的な学生だ。

その分、小賢しくないというか、正直というか、まっことマイペースの学生だ。

だから、「卒業研究論文」なるものも、「都市経営学」など関係なく、好き勝手なテーマで書くしかない学生たちだ。

類は友を呼ぶで、ほんと我儘な、自分に正直な人たちだ。

もう小賢しさとか、器用さとか、世渡りの上手さとか関係ない人たちだ。

こーいうタイプの学生さんたちに卒論を書くように誘導(?)するのは、なかなかに骨が折れる。

でも、3人とも、なんとか書いた!! 嬉しい!!

で、今日の紹介映像は、12月17日木曜日の第5回「アメリカ文化論」銃問題のまとめの蛇足みたいな部分の5分間です。

各国の国家を聴いてみると、その歌詞を調べるとおもろいよ。

アメリカの国歌は、第二次独立戦争のときの歌だ。アメリカ軍が全滅したかと思われる砦に新聞記者が駆けつけたら、夜明けの光の中に、砦の上に星条旗が翻っていたよ、という歌だ。

戦争や革命の動乱を祝福した国家は多い。国家の成立の起源には暴力があるから、当然だ。

ところで自分が撮影された映像を見ると、あらためて自分に対していろいろ発見がある。この日の私は、相当に疲れていた。

だから姿勢も悪い。

病院に行って、肝臓の炎症を抑える注射を打ってもらうだけで精一杯で、美容院に行く時間がないから、髪はボサボサ、白髪も目立つ。

かといって、ウイッグ買って被る気はない。あれ、風で飛ばされたりしない? ペコリとお辞儀したら、はずれるのも困るしなあ。

というような、しょうもないこと考える余裕も出る12月22日の夜。冬至の夜。

明日から、ほんとは春へと向かう。

いろいろと鬱屈の多かった日々だったが、私の日々も春へと向かいつつある。

という気がする。

 

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