本日は2016年1月23日土曜日だ。
先週は忙しくて、まいった。
実にくっだらね~~~問題の議論のために何時間かが失われた会議もあった。
持病の非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)のせいかなんかしらんが疲労感がすごい。
体力の前に気力なし。
もう来年の3月末でなく、今年の3月末に退職しようかと真剣に考えた。
しかし、やはり、それはできない。
ところで、今日は、外部委託、外注(out sourcing)と関わる、インターフェイス(interface)の立場は、うっざいもんだという話だ。
福山市立大学は人件費の削減のために、1年生の必修英語を中途半端に外注している。
外注先の英語産業の企業からe-learningという自学自習英語システムを借り、その企業からの派遣講師さんたちと任期制の特任教員とチームを組んで1年生の必修英語を担当する唯一の正規雇用教員が、私だ。
文部科学省的には、外注授業でも、試験や単位や成績報告は、かならず正規雇用教員がやらねばならない。
であるからして、2017年度から福山市立大学に赴任する私の後任は、このシステムを理解できない人には務まらない。
そもそも、インターネットでの自学自習システムなんだから、クラス開講は必要ない。
スクーリング必要ない。
規定の範囲を規定の期日までにクリアすれば、それでいいはずだ。
なのに、ただでさえ足りない正規教員を貼り付けて、何をやってんだかね、うちの大学も。
無意味な労働を強いるのが好きなとこだよ。
頭が悪過ぎ。
ところで、自分でマネジメントするクラス運営しか知らない人間(私ね)が、このシステムで仕事をするとなると、非常にストレスがかかる。
授業運営に関して一国一城の主(あるじ)できた人間が、こういうシステムの中に入ると、授業する喜びが消える。
派遣講師さんたちは、英語は非常にできる。
しかし、英語のみ勉強してきた人たちだから、大学の内部のことはわからない。
研究者の気質は理解できない。
研究者の正規雇用の教員とか特任教員は、ほんとうのところは、英語論文さえ読めればいいと思っている。
TOEIC訓練なんか、そんなもんは大学なんかでやるようなもんか・・・と思っている。
そういうカルチャーが違う人間たちが、協力しあうというのは、実は、なかなか難しい。
派遣講師さんのほうは、「私よりTOEICのスコア低そうなのに、こいつら、なんで大学の先生か?」と思う。
派遣講師さんからすれば、授業本体は正規雇用の教員より頑張っているのに、その苦労を大学は知らないと思う。
自分たちは不当に扱われていると思う。搾取されていると思う。
実際のところ、それは真実。搾取されてんのよ。
正規雇用教員のほうは、「私の好きにしたいのに、チーム組んでやるなんて、うっざいなあ~~」と思っている。
また、「しょせんはただの英語だよ。専門的な講義をするだけの知識のストックのない、あなたたちが大学で教えることができるのは、ただただ人件費削減のためだけなんだからね」と思っている。
でも、英語教育に関心がない正規雇用教員にとっては、英語教育に熱心な派遣講師さんたちは、非常に頼りになる存在だ。
でも、いくら熱心でも、 派遣講師さんたちの立場では、時間割とかテキストとか変えようと思っても変える裁量権はない。
まずは正規雇用教員を通さないと、なんともならない。
その点では、正規雇用教員を頼りにせざるをえない。
というわけで、外注の派遣講師さんたちと正規雇用教員との関係は、潜在的には排除敵対関係、表面的には協力関係だ。
とはいえ、常に、どこか違和感と緊張感がある関係であることには、変わりない。
しかし、学生からすれば、どちらも「うちの大学の英語のセンセイ」だ。
実は、派遣講師さんの方が、はるかにとっつきが良く、親切だし、熱心だ。
皮肉なもんよ。
研究者の正規雇用教員は、というか私は、ほんとは学生を相手にしたくない。
相手にするのは時間の無駄だと思っている。知的好奇心のないような類の学生は。
私なんか、学生と話していても強烈に退屈だもん。
15世紀の(普通の)人間と21世紀の(普通の)人間が話しているようなもんだ。
上から目線?上から目線に決まってるじゃん、そんなもん。
だから、当然に、派遣講師さんの方が、学生さんの人気は高い。
学生は、自分たちを見ると、面倒くさそうな顔する教師なんかいやだよ。当然だ。
うちの学生は、わりと気の小さいのが多い。怯えやすい。
前の大阪の桃山学院大学の学生みたいに気後れしないで話しかけてくる陽気さや明るさや、いい意味での図太さがない。
私は、そーいうチマチマ気の小さい若い子は嫌いだしさ。
その感じを正直に発散してしまう教師である、私は。
すみません、正直で。
私からすれば、中学生みたいな学生としゃべっていて楽しい教師なんて、水準が低い。
ところで、いまどきの大学生は知的劣化が酷くて幼稚で観察力がない。
1年生の終わりごろになっても、自分が属する大学の運営方法が見えていない。
1年生必修英語のクラス担当者がなんで2名いるのか、わからない。
アホだ、とことん。
だから、「TOEIC満点の先生がいるのに、なんで、もうひとり教員がいるのかわからない」と、無記名の授業評価アンケートの自由記述欄に書く。教育学部の学生だ。
この手の観察力の無い頭の悪い学生に対しては、怒鳴りつけたい。
これで、小学校の教員になるつもりなのか。
「あんたの入った大学が人件費を出したくないから、こうなってんだよ。私のせいじゃないの!!!普通は、1クラス15名サイズのクラスが英語ではあたりまえだ!21世紀ならば、そうだろ!!それが、50名越えのクラスサイズ(教育学部)」なんて、ありえない!!」と、怒鳴りつけたい。
まあ、次の時間に(誰か知らないけど)怒鳴りつける。
福山市立大学の人件費削減のための英語クラスの運営方法について、こってり説明してやる。
来年度春からの新入生にも、しっかり話す。
それが事実で真実なんだから。
まあ、そもそも、こういうシステムだと理解しないまま、福山市立大学に来た私が愚かであった。
桃山学院での仕事が忙しくて、次に移る大学の英語科目のありようについて、よく調べなかった。
いったんは、「ちょっと、やばそうだな・・・」と思った。で、2009年に福山市役所まで、「就任を辞退します~~」と言いに行った。
でも、なんやかやと慰留されてしまった。
みんな私が悪い。
私が、つまらん英語の授業なんか派遣講師さんに全部丸投げして、試験問題も作らず、授業にも出ず・・・という感じでやることができる非常識で無責任で鈍感で搾取的な正規雇用教員であれば、良かった。
自分のまともさを呪う。
いっそ私の後任は、「つまらん英語の授業なんか派遣講師さんに全部丸投げして、試験問題も作らず、授業にも出ず、という感じでやることができる非常識で無責任で鈍感で搾取的な正規雇用教員」であるほうがいいだろう。
その方が、彼か彼女にとっては、ラクチンだ。
自分が好きなようにできなかった英語の授業に従事するストレスは、私が思うよりも、大きかった。
アウトソーシング先の企業(と派遣講師さん)と福山市立大学の接する面=インターフェイス(interface)の立場である私は、10年間くらい福山市立大学にいるような気分になっている。
まだ5年が経過しただけなのに。
つまり、それだけ疲れたってことだな。
うんざりだ、e-learningも、アウトソーシングも。
さて、それも、あと1年だ。やれやれ。
アウトソーシングに直接関わるインターフェイスの立場にしろ、アウトソーシングされる立場にしろ、様々な雇用形態の人間たちが同じ場所で働くということは、どんな業種でも、いろいろあるんだろうなあ……
カネがないって辛いことよね〜〜企業も大学も。
いや、違うな。カネの使い方が間違ってる。
使われるべきだったのに、使われなかったカネは、どこに行ったの?
「カネがないって辛いことよね〜〜企業も大学も。」・・・・・企業のアウトソーシングの鋭いところは戦略的提携です。役に立たないものは、リストラしてまで戦略的に結びつきます。
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戦略的連携。うちには、戦略はなんもありません。ただただ、安くやりたいだけ。
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やはり英文科(出身です)なんて今の世の中に必要ないんですよ。文学部って教員生み出す装置でしかなかったんだから(しかも3流の)。文学部は廃止。でも文学は残る。哲学も高等数学理解できる者のみ受講できるとか。ともかく鹿という字が読めない馬鹿が高校卒業できる世の中ですから。
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必要ないとは思うけど。無用の用つーこともある。消えない理由はなにか?文学部でゆる〜く生きるぐらいしかできない人々も多いのです。いいじゃないですか。需要があるうちは、継続します。ゆるーく行くていける階層向けの暇つぶしカルチャーセンターもいいじゃないですか。とはいえ、ほんとは、きちんと勉強した方がいい。
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