[35] 豚時代の終焉

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本日は2016年3月1日火曜日である。名古屋での自宅療養も13日目だ。

3月16日までは仕事は何もしないのである。断固としてしない。

ただ気ままに読書する。読書に飽きたら、無料動画アプリのGYAO!とか、TBSの見逃し配信とかで、映画とかTVドラマを視聴するんである。

はっきり言って、私の人生の楽しみは、「乱読・雑読」と「なるたけ無料で映画やドラマを視聴すること」だけで構成されている。

「労働」は生活費と本代を稼ぐためだけのものだ。

「研究」というのは、乱読・雑読だけでは脳が緩くなるので、読んだことを組織化して活字にしておくためのものだ。

それだけのことだ。「楽しみ」の隙間に「労働」と「研究」がある。

だから、今のように、「労働」も「研究」もせずに、ただただ「楽しみ」しかしない日々は、無茶苦茶に嬉しい。しみじみ幸福である。森羅万象に感謝である。

テキトーに病気になったおかげだ。ありがたい。これが、末期の癌とかだと、死ぬ準備で忙しい。肝炎ぐらいで良かった。

おお!!「乱読・雑読」と「なるたけ無料で映画やドラマを視聴すること」で構成される日々!!

このような日々を満喫できるのは人生で初めてである。

ガキの頃から、ただただ自分の楽しみを追求するだけの日々は許されなかった。

登校しなければならなかった。家でテレビを見ていてはいけなかった。漫画を読んでいてはいけなかった。

夏休みだって宿題というものがあった。朝は「子ども会」のラジオ体操に参加しなくてはならなかった。

受験勉強の真似事もしないといけなかった。

学校は通いの緩い刑務所であった。自由とはほど遠いのであった。

大学院を出ても職を得るのに時間がかかった。アルバイトの日々が3年ほど続いた。

専任の職を得たのは、やっと33歳だった。

専任講師になったら助教授(今は准教授と言う)にならねばいけなかった。

助教授になったら、教授というものにならねばならなかった。

そのためには、論文と呼ばれるどうでもいい作文をいっぱい捏造しなければならなかった。

職場の労働もラクなわけではなかった。「巧妙なサボり方」を実践できるほど器用ではなかった。

いつもいつも、くたびれていた。

病気になって、やっと私は、自分の楽しみだけしていればいい日々を獲得できた。まあ、これもあと2週間で終わるんだけどね・・・

だけど、2017年の春に退職すれば、今の「自分の楽しみだけしていればいい日々」が死ぬまで続くんである。

下の写真は、読んでいる最中の本。『これからのエリック・ホッファーのために—在野研究者の生と心得』(東京書籍、2016年、1500円& 税金)だ。

エリック・ホッファ(Eric Hoffer: 1902-83)つーのは、アメリカの哲学者ね。港湾労働者しながら本書いた人ね。

1987年生まれの荒木優太さんという若い研究者がお書きになった「在野研究者」の列伝は面白い。

「在野研究を実践する方法」指南も面白い。文章がいいなあ。

自分の子どもくらいの若い人の書いたものから学ぶ素直な私。

なんで、こーいう本を読んでいるかというと、私の長年の乱読・雑読の蓄積というか「ゴミの山」というか、それらが私にささやくのよ。

「やっと、あんたも日本語が理解できるようになったね。本が読めるようになったね。研究者になれる準備ができたね!」って。

そーなんすよ。63歳にして、私はやっと向学心が出てきたらしい。

長年の乱読・雑読の蓄積というか「ゴミの山」形成の効果が、やっと私の全細胞に浸透してきたらしい。

どんな名著を読んでも「豚に真珠」でしかなかった脳が、やっと人並みになりつつある。名著に感動できる脳になってきたらしい。

長きに渡った「豚時代」が終わり、やっと「人間時代」に入ったらしい。

そーなの。私は、やっと「研究者」やる気になってる。

そーいう人生もあるのよん。

遅くたっていいじゃないの、遅すぎてもいいじゃないの、幸せならば。

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4件のコメント

  1. 「ただ気ままに読書する。読書に飽きたら、無料動画アプリのGYAO!とか、TBSの見逃し配信とかで、映画とかTVドラマを視聴するんである」・・・・あと二週間、大学にいらっしゃるまで気ままに気ままにです。

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