今日は2016年3月19日土曜日です。
今日書くことは、まあ、どうでもいいようなこと。
4週間の自宅療養の間は、ほぼ引きこもっていたけれども、1泊だけ伊勢に行った。ただし、伊勢神宮参拝はしなかった。
伊勢神宮に参拝するなら、ちゃんと黒いスーツとか着て正装して御垣内(ミカキウチ)参拝したい。でも、体調的にそういう気分ではない。
別に祈願したいことがあるわけでもないので、気楽に神社に行きたかった。
で、第一日目は、伊雑宮(イゾウグウ、イザワノミヤ)に参拝した。ここは、ほんとに空気が違う。神気が違う。
このお社の前の旧旅館は、お昼だけ鰻丼を提供してくれる。美味しい!!
北に向かって200mくらい歩くと、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)がなんかしたみたいな遺跡もある。
倭姫命は景行天皇の妹で、日本武尊(ヤマトタケル)の叔母さん。日本武尊に叢雲の剣(のちに草薙の剣に改名)を渡して、「がんばってちょーらい」と見送った人だ。
このお姫さまは、自分の先祖の天照大御神を祀る場所を求めて旅をしてた。で、この今の志摩の磯部町に上陸して、「ここ、いいね」って思ってお社を建てた。それが「伊雑宮」。
次に宮川に行って、ここらあたりもいいねと思って、またお社を建てた。それが、今の「瀧原宮」(タキハラノミヤ)。
で、最終的に五十鈴川のほとりが最高!こここそご先祖のお墓にいい!と思って、今の伊勢神宮の内宮を建立。
ということになってる。「古事記」には、そう書いてある。
で、私は伊雑宮の次は瀧原宮に参拝した。
伊勢神宮は、テレビで霊能者が「パワースポット」とか言ったんで、観光客が押し寄せてうるさくなった。ほんとギャアギャアうるさい。愚民は「おかげ横丁」で伊勢うどん食ってるだけにしとけ。ほほほ。
しかし、元伊勢の伊雑宮も瀧原宮も、非常に静かで清々しく素晴らしい。
翌日は、早朝の倭姫神社へ。
この小さいが美しい神社は、皇學館大学の近くにある。
それから、鳥羽市に向かった。
鳥羽市の国崎(クザキ)町に「海士潜女神社」(アマノカズキメジンジャ)というのがあり、その近くの海岸に倭姫命は上陸して伊勢に向ったと聞いたからだ。
情報源は、同僚の渡邊明教授である。渡邊先生と私の共通の趣味は「神社」である。
鳥羽の国崎町に行く前に、ちょっと石鏡(イジカ)という町にも寄った。
ここは、1954年の東宝映画「ゴジラ」において、原爆だか水爆実験で目覚めてしまった古代怪獣のゴジラが上陸した地点ということになっている。
ここからゴジラは上陸して日本国土を蹂躙(ジュウリン)したんである。
ゴジラは、私の永遠のアイドルである。
なんでか?好きに理由はない!
国崎の鎧崎(ヨロイザキ)漁港から望む太平洋は雄大だった。
コンクリート製の桟橋は、海鳥のトイレであった。
地元の妊婦さんが男の幼児を連れて散歩していた。
体調が悪いのだろうか、挨拶したら寂しそうな笑顔が返ってきた。
旅人にとっては野趣豊かな風景であるが、地元の住人にとっては鬱屈があるのかもしれない。若い女性にとってはリアリズムはきつい。
鎧崎あたりの道は非常に狭い。あんなん消防車は絶対に通れない。
鎧崎漁港から鎧崎の灯台まで歩いた。途中に神社がある。これは、伊勢神宮に奉納する鮑(アワビ)の調理処だそーだ。秋篠宮ご夫妻と眞子様が参拝なさったそうである。
ところで、なんで鎧崎か?よろいざき。
ここで倭姫命は上陸して、鎧を解いたからである。
鎧を着けて船の旅をしていたのだ。尾張から。倭姫命は、都のある奈良を出発し、近江、美濃、尾張と巡行して、尾張から船で伊勢に向かったのだ。
鎧を着けていたということは、けっこう強盗や山賊や海賊の類に遭遇する危険もあったのだ。
日本の戦うお姫さまの元祖は倭姫命である。
セーラームーンやもののけ姫の元祖は、倭姫命である。
そのとき海を眺めていた私は、身の丈3mぐらいある古代の衣装に鎧をつけたお姫さまが、太平洋の荒波を蹴飛ばして上陸してくる姿を幻視した。
古事記でも旧約聖書でも、超古代の人々は長生きである。300年くらい平気で生きてる。
哺乳類は身体がでっかくなるほど長寿である(らしい)。
であるからして、超古代の人間はすっごく大きかったんじゃないか。
沖縄には、身長2m以上の女性が海を越えてやってくるという神話があると聞いた。
この話は、私のFacebook友だちのひとりで、私を「前世の私の母である」と言い張るハチャメチャな気質の霊能力を持った沖縄出身の看護師さんから聞いた。おとなしい私から、あんな波乱万丈の娘が生まれたはずはないが。
うーむ。海の向こうからでっかいお姫さまがやってくるとは、なんと気宇壮大な伝承でしょうか。
そうなんよ。あの海から、身長150センチくらいのお姫さまがチョコチョコやって来るとは思えんなあ。
なんと人類の祖先は猿じゃなくて、恐竜だという説もある。
だから、最初の人類はピテカントロプス並みの大きさだったんよ。
そういえば、天皇の身体のことを「龍体」と呼ぶよな。龍ぐらいに大きかったんよ、神武天皇は。
だから、私の幻視は必ずしも荒唐無稽ではないかもしれない。
そういえば、石鏡にゴジラが上陸したという設定は、ひょっとしたら、古代の神々の記憶が転写されたのかもしれない。
あの映画「ゴジラ」の主題歌である「ゴジラ協奏曲」の作曲者の伊福部昭(イフクベアキラ)氏のご実家は、出雲の神社だそーだ。
一泊の伊勢旅行は、ゴジラ大の大きさの倭姫に思いを巡らす旅でした。