[39] 悲哀の断捨離

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本日は2016年4月6日水曜日だ。

一昨日が福山市立大学の入学式だった。昨日は新入生のためのガイダンスだった。

始まってしまえば忙しくなる。グダグダ言っている暇がなくなる。そんなもんよね。

ところで、今日は「断捨離」について書く。

「断捨離」のメリットについては、さんざんいろいろ書かれている。

そりゃスカッと清々しくなる。クローゼットはぎゅうぎゅうに詰まっているのではなく、隙間が多く余裕がある方がいいに決まっている。床の上には何も積み上げられていない方がいいに決まっている。

「断捨離」していると思わぬ戦利品もある。

押し入れの奥にルイ・ヴィトンのダミエのバッグ発見。型崩れして、ちょっと擦り切れたところあるけど、まだまだ使える。

エリック・ホッファーの『大衆運動』が、捨てるしかない古い鞄の中から出てきた。

実家を解体するときに実家から運び出した箱の中に大量に入っていた戦前の学校が発行した賞状や通知表と卒業証書。それから戦前の古いアルバム。おお~~ご先祖様の記録!!

高校時代の日本史のノート2冊(なんで、これだけ残っているのか??)。

1980年代半ばからの手帳の毎年分。

結婚当初の3年分の家計簿。殊勝にも最初の3年間だけは家計簿付けていたらしい。

安いコスチュームジュエリーいっぱい。水晶いっぱい。

思わぬ戦利品は嬉しい。

しかし、「断捨離」の危険というものもある。

「断捨離」作業していると、自分の人生の失敗をあらためて思い知らされる。自分の愚かさをあらためて思い知らされる。うんざりするほど思い知らされる。落ち込むことすらできないほど疲れる。

買ったのに読みもしないままに処分される書籍。

買ったのに十分活用しないどころか、一度も着ないまま処分される衣類。

買ったのに、結局は気に入らなくてあまり使用しないままに処分されるバッグ。

書き込まれたまま活用されなかったカードやノートの数々。

コピーをとられたままに読まれなかった論文の数々。

新聞や雑誌の切り抜きでいっぱいではあるが意味不明のスクラップブック。

忙しさに負けて送ることを忘れた写真や書きかけの手紙もあった。

バッカじゃないの?

ほんとにクルクルパーだ。

いったい何を私はやってきたのか?

何ひとつ、きちんとできなかった。

何も生み出せなかった。

不毛なる我が人生よ。

自分の貴重な労働の糧であるカネを使って買った物ぐらい大事に使い倒せばいいのに、可哀そうな物たちよ。

「断捨離」とは、「実りなき我が人生が生産してきた唯一の物はゴミでしかなかった」と悟ることだ。

私としては、「断捨離」なんてする暇もないままに多忙極まる日々の果てに前のめりに死ぬような、そんな人生を送る予定であったのに。

「断捨離いいいいい~~~??そんなもん、暇人のやることよ。過ぎたことなんか振り返っている暇はないのよ。そんなもん業者に任せればいいんよ。一切合財棄てりゃいいんよ」と言ってみたかったのに。

しかし、私の実像は、そこまでの多忙さを引受ける能力も体力も気力もない。

ゆえに、中途半端に病気になって、来年は退職だ。

しかし、まあ「不毛な人生の再認識としての断捨離」にも良い点はある。

やむおえず「謙虚」になる。

ほんとは、私の辞書に「謙虚」という言葉はない。ということにしておきたかったけれども。

「謙虚」なんてのは、「いい人だけど、どうでもいい人」の属性であると放言したかったけれども。

しかし、「何も為すことができなかった自分」を受け容れるしかない悲哀と同時に解放感と奇妙な悦びもある。

どうせ馬鹿なんだから、子どものように世の中を丸い目で驚きの目で素直に見つめながら生きて行けばいいじゃん~~~♪ってさあ。

強烈に不毛な馬鹿なのに今まで食ってこれたってことは、私ってかなり運がいいんかしらん~~~♪ ってさあ。

というわけで、新年度始まってから、私は新鮮な思いで周りを見つめている。
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