「毛抜き」なるものを知ったのは、大学生になった頃かな。
若い頃は毛深かった私は、眉と眉の間にも、眉ほどの濃い毛ではないが、毛が生えていた。
指先で抜こうにもなかなかうまく抜けない。
「毛抜き」なるものが世の中にあるということを、なにゆえか私は知った。
当時はインターネットなんてなかったので、検索して知ったわけではない。
ともかく、化粧品店に行って、「資生堂の毛抜き」を購入した。
いくらだったのか忘れた。小さい割に高かったような気がする。
で、暇があると、眉と眉の間に力強く密生しようとする毛を抜いた。
あの当時の私の眉は、離れ離れになっているのが哀しくて、ひたすら繋がろうとするのだった。
別にさあ、右眉と左眉が一直線に繋がっても構わないのであるが、子供のころに「人相学」に凝っていた私からすれば、眉と眉の間は綺麗に開いていなければならないのだった。
人相学的に言うと、眉間が狭い=眉と眉が接近しているのは、直情径行型で思慮が足りず、神経過敏で怒りっぽいのである。
まさに、そのまんまのキャラであった私は、性格改造は、まず眉間を整えることから……と思いセッセと眉間の毛を抜いていた。
ついでに、顎とか鼻の下に伸びる濃いうぶ毛も抜いていた。
女性も髭が生えるんよ。
定期的に顔を剃らないと、キモイ顔になるんよ。
脚とかに生える毛は、毛抜きでは無理だ。
私の父は、私の毛深い脚を見て、「なんとかならんものかなあ……嫁に行く前になんとかしないとなあ……」と本気で心配するのだった。
当時は、「脱毛」というのは一般的ではなかった。気軽にできるものではなかった。
思えば、若き日の私が身を誤らなかったのは、生来の毛深さのせいだった。
ぶっちゃけて言えば下らん男と性交して馬鹿ウイルスに感染しないですんだのは、わが身の毛深さのせいであった。そんなもん他人に見せるぐらいだったら、結婚なんかせんでいい!
と、私は思っていた。
馬鹿と関わるぐらいなら、独りでいい!
と、これは今でも思っている。
ともあれ、塞翁が馬。
何が身を守るか、わからない。
それはさておき、あれから何十年。約45年。
あれだけ猛威をふるった私の毛深さも、50代に差し掛かる頃には、すっかり衰えを見せた。
毛脛の処理。これは、私の若き日の大仕事のひとつであったのだが。
眉間に密生したがる毛も、いつのまにか消えた。風と共に去りぬ。
しかし!
今度は顎のあたりに生える産毛が濃くなり硬くなってきた。
ひんぱんに鏡チェックをして抜かねば、ほんとに「ヒゲ」だぜ。
戦いは続くよ、どこまでも。
18歳の頃に資生堂の毛抜きを購入して以来、浮気して私は何本もの毛抜きを購入した。
資生堂の毛抜きは、今でも持っているが、いろいろ試したくなるじゃないですか。
スイス製の毛抜きは、なかなか良かった。
毛抜きは、小さいながら素晴らしい発明品である。
金属の刃先の肌への当たり具合、確実に抜けるような造り、すべてが高度な技術の成果である。
1本の毛抜きに、科学技術の粋(すい)が結集されている。
人間の英知が結集されている。
1本の優れた毛抜きを産出できることこそ文明の証しである。
なんと、最近は「尖ってない毛抜き」まで売っている。
日本の会社が発明したんである。
元同僚の三重大学名誉教授&埼玉大学名誉教授(福山市立大学名誉教授の称号は要らないそうである)の渡邊明先生から教えていただいたんである。
先端が丸い毛抜きがあるんである!! 名称は「Nook」である。ヌーク。おやじギャグ風ネーミングに、この毛抜きを開発した人々の誠実さを感じる。
毛抜きは、素晴らしいものであるが、先端の刃先が尖っているんで、用心しなければいけない。
眉を整えるつもりで、眼を刺してしまったら、とんでもない。
私が18歳の時に購入した毛抜きは、先が鋭利に尖っていて、よく抜ける。
しかし、その後に資生堂が発売した毛抜きは、危険な刃先を避けるためか、刃先が鈍い。
やはり、細い細い毛を抜くのは、尖った刃先を持つ毛抜きでないといけない。
が、「尖ってない毛抜き」」の発明も素晴らしい。
どういう原理で、刃先のない毛抜きが毛を抜けるのか不思議だ。
ご興味のある方は、是非ともお試しください。
私にとって、顎先に伸びる細い黒い剛毛を、今まで購入してきた毛抜きを代わる代わる使いながら抜く時間は、瞑想タイムでもある。
毛抜きさん、ありがとう。
毛抜きさんたちを作ってくださった方々、ありがとう。
愛と技術と人間の知恵は細部に宿る。「毛抜き」に宿る。