本日は2016年7月20日だ。
教授会が5時間以上も続いたんで、もう……消耗した。
夕ご飯を作る気力も体力も残っていなかったので、インスタントラーメン食っといた。
そういえば、本日の教授会では、めでたく私の後任も決まった。
私の後任も、まともにやってたら、きっと肝臓を悪くするに違いない。
でも、来年度からのことは、関係ないもんね。
知ったことか、ほほほ。
それはさておき、今日も身も蓋もなく夢も希望もないことを書く。
若い女性で結婚する気のある人は、「運命の人」を自分で決めてはいけない、ということを書く。
「この人こそ運命の人!」なんて、なんで自分でわかるの?
あなたは、洞察力も思考力も経験もないでしょう?
そんな程度の自分という人間の判断がなんで信じられるの?
そんな程度のあなたが「一目惚れ」した相手なんて、やっぱりろくでもないんじゃないの?
私は「一目惚れ」という現象は危険だと思う。
セーターや靴やバッグなんか、いくらでも一目惚れすればいい。
失うのはカネだけだから、どうってことない。
でも人間に「一目惚れ」して暴走すると、時間とエネルギーの無駄だ。
「一目惚れ」して「この人こそ私の運命の人だ!」と思い込むというのは、これは空中に浮いている邪気にいたずらされたようなものよ。
暇にしてたので、憑依されちゃった〜〜みたいな現象だ。
妖怪「一目惚れ」だね。
忙しくいろいろ考えていたり、働いていたり、勉強してるときには、「一目惚れ」なんてしないでしょう?
集中してるとピリピリした緊張感を発してしまうから、妖怪「一目惚れ」さんが寄ってこれない。
充実している時は、そんな目に見える程度のことなんかにも左右されない。余分なものが視野に入らない。
ある対象に深く固着し、その深く固着した自分の状態そのものに固着しているのを「恋」とか「愛」と人は呼ぶ。
それは脳の迷走。弛緩した自我が退屈しのぎに捏造する幻。
またさあ、時間潰しのTVドラマや映画は、そういう脳の迷走状態を美化するから、ついつい、そういうことは、そういうものである!と思い込むんだろうけど、そういうことは、そういうものではない!
もし運命というものがあるとしたら、それは脳の迷走が生産するような波乱万丈風なものじゃない。
「特に何もしなかったのに、なんかご縁ができちゃったみたいで、いっしょにいても苦にならないし、自然だから、いっしょにいます」という状態になったというのが運命。
これこそ命が運ばれた感じ。運命。
私は自分で何もしなかったし、決めなかったし、選ばなかったのに、なんか背中が押されたみたいに、ここまで来ちゃった。
ここまで運ばれちゃった。これが運命。
まあ、この世の中では、賢い人間とは、主体性があって積極的な人間であるということになっているので、大きな声では言えないのだが、私は非常に受け身の人間だ。消極的な人間だ。
自分でガンガン求めるとか、探求するとか、開拓するとか、目的合理的に動くとか、そういうことはしない。できない。
たまたま足元に流れてきたヤシの実を拾って、ポカポカ叩いたり、割ってみたり、中身をちょっと食ったり、みたいな行き当たりばったりの人生。
想定外の出来事には抵抗せずにつきあってきた。
たまたま会うことになった人々とテキトーに関わってきた、
その人々の話を聴いてきた。
私自身は特に話したいこともないからさあ。
結婚とかいうのも、なんか自分のそばでウロチョロしてる人がいて、そのウロチョロしている人の顔を眺めていても苦にならないなら、結婚すればいいというぐらいの緩さでいい。
そりゃ、上流階級とかだったら、政略結婚とか閨閥結婚とか、いろいろ結婚に際して考えないと困るんだろうけれども、
まあ庶民の結婚なら、「なんとなく、こうなりました〜〜」でいい。
なんとなく……に身を任せて、やるべきことを淡々とやり続けているうちに、誰かに出会う。
ほんとうの「運命の人」は、ファンファーレに乗って出現しない。
ビビビッと来ない。
なんとなく、そばをウロチョロしているという感じで現れる。
わからないよ。
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何が?
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