[60] またも『シン・ゴジラ』はっきりネタバレ

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本日は、2016年8月4日木曜日だ。

またも『シン・ゴジラ』について書く。

結局今までのところ私は、『シン・ゴジラ』を3回観た。

夏季休暇に入ったら、また観るつもりである。

この夏は、最低5回は『シン・ゴジラ』を観るであろう。

シニア割引、1,100円で5回だから、経費は5,500円だな。

5,500円で世紀の大傑作を5回観ることができる幸せ!!

あ~た、何回も観に行きたくなるような映画を日本人が創ったんでっせ!!

ハリウッド映画の10%の予算で、ハリウッド映画を凌駕する映画を創ったんでっせ!!

『シン・ゴジラ』だけは大スクリーンで観ないと意味ない!!

ということで、7月30日以来ずっと今日にいたるまで、私の頭は『シン・ゴジラ』で過熱状態である。

ついつい 授業中にも、学生たちに熱く語ってしまう。

これで、「学生による授業評価アンケート」の自由記述欄において、「授業に関係ない話をした」と批判されるであろうこと確実。

文化資本の蓄積がない地域もしくは階級文化で育ったのかしらね?

冗談が通じない視野狭窄の無駄に真摯で無意味に真面目な若者を生産してきている今の日本よ。

それはさておき、私がなんで『シン・ゴジラ』に脳がいかれてしまったのかをご理解いただくために、『シン・ゴジラ』の魅力を覚え書き風にポイント・フォームで書いておきたい。

前回の記事と重複するところもありです。

(1)脚本の無駄のないスピーディな展開。ゴジラ対処のための人々の戦いの様相だけ描かれている。余分なエピソードなし。

(2)キビキビした知的な台詞の応酬。登場人物たちはいつも議論している。会話が低能でくだらないのが特徴のひとつである凡百の日本映画とは大違い。

(3)男も女もなく、能力のある人々が国家的危機に全力を尽くす設定。キャアキャア怖がって悲鳴をあげているだけの馬鹿ヒロインは登場しない。

(4)有事の際に身動き取れない日本政治の問題点が風刺されている。法の不備に、意思決定のプロセスが風刺されている。

(5)いちいち会議してコンセンサスをとらないと何事も決定できない民主主義のありようが風刺されている。会議している間にミサイルが飛んでくるよ。

(6)国家の指導者の孤独が「逆説的」に描かれている。映画内に登場する首相は、決断を迫られると、その重圧でジタバタするけど。

(7)すぐに米軍に依存しようとする閣僚を制して、まずは日本国と自衛隊がゴジラに対処しなければいけないと説く防衛大臣が女性。

(8)自衛隊がゴジラを攻撃する射撃の許可さえ、現場の判断ではなく、いちいち首相がしなければならないシステムのあほらしさ。

(9)ゴジラという巨大生命体のスペックの凄さ。

このゴジラは、海底奥深くに放棄された使用済み核燃料を食って、核分裂というエネルギー生成能力を体内に取り込んでしまった。空気や水の分子の活動を変性させ、異常に速い進化を、一世代で遂げてしまうゴジラ。

で、このゴジラは単体生殖。性交しなくても子孫生産可能。いいなあ。

で、このゴジラは大陸間飛行も可能になるかも。

こんな完全生物が、ウジャウジャ出現したら、人類の居場所はない。

これほど完璧なるゴジラはいなかった!

(10)米軍やアメリカ政府のいいなりになるしかない日本政府の属国ぶり。

(11)閣僚の多くが死亡してしまった日本政府において暫定的に就任した一見好々爺の新首相が、「日本人のやり方」で覇道のアメリカに抵抗する。

日本の脱属国の希望を感じさせるプロット。

日本は、アメリカや中露でなく、遠く地政学的に利害関係のないヨーロッパの国々と折衝して、ゴジラのいる東京への国連多国籍軍による核攻撃を延期させる。

国益を優先させる「普通の国」日本。だけど、国際社会の中での立場も考える日本。右翼でもなく左翼でもなく。

(12)自衛隊の指揮系統が明確に描かれている。この映画ほど、自衛隊の作戦や指揮というものが、どのようになされるものであるかリアルに描いたものはない。

(13)自衛隊全面協力のために映画に勢ぞろいする数々の兵器の異形の美しさ。

(14)自衛隊も米軍も歯が立たないゴジラが、「とりあえず抑止された」のは、日本のインフラを使った作戦だったという設定の素晴らしい鳥肌が立つような発想!!

新幹線にJR在来線に東京の高層ビルに、民間企業!!

(15)ゴジラは倒されたのではなく、海に還ったのではなく、「東京のど真ん中にずっと存在し続ける」という結論。人類はゴジラを駆除排除できない。ゴジラと共存するしかないという結論の「哲学的」深さ。

「完全な他者」との共存は、「異質の共存」は、人間の最も大きなテーマのひとつだ!!政治そのものだ!

(16)『シン・ゴジラ』は、もろにエリート主義である。そのリアルな正直さ。偽善のなさ。

だって、庶民は逃げ惑うしかないよな。決めるのは国家の中枢にいるエリートたちだ。

(17)何よりも魅力なのは、『シン・ゴジラ』に横溢する科学的説明能力遂行への情熱だ。

どうして、ゴジラがああいうゴジラなのか、それをきちんと科学的に説明してくれる。

だから、私は3回観た。私のような人文系の科学音痴の人間では、その科学的説明が1回観たぐらいでは理解できなかったのだ。

(18)『シン・ゴジラ』のゴジラは、むやみやたらにガキみたいに破壊しない。

1954年発表の第1作の『ゴジラ』は別格として、従来のゴジラ映画は、脳タリンの怪獣が街をぶっ壊すだけのものであった。いや、ほんと。

ところが、『シン・ゴジラ』のゴジラは、ただただ街を通過するだけだ。通り過ぎるだけ。結果的に鎌倉も東京も破壊されるけれども、ゴジラ自体は通過するだけ。ここに「絶対的他者」としてのゴジラ像が浮上するね~~~

(19)『シン・ゴジラ』のゴジラは、従来のゴジラと違って優雅である。立ち姿の優雅なこと!!そのゴジラが、鎌倉に上陸し、川崎の工場地帯を通過するときの進行の静かさよ!

こんなゴジラ見たことない!!

なぜ、『シン・ゴジラ』のゴジラの動きが優雅なのか??

それは、映画を見終わって、俳優や製作スタッフの名前が出るクレジットを注意深く見てください。

そうすれば、答えが見つかる。

おびただしい数の出演俳優のリストの最後に、ある高名な能役者、狂言役者の名前を、私は見つけた。

で、大いに納得した!!

どうりで!!

実は、私は、あの「安倍晴明」俳優さんのファンである……ほほほ。

まったく、もうさああ~~~~ゴジラの動きに、あの俳優さんの動きをあてはめるとは!!

細部まで心憎い『シン・ゴジラ』である。

(20)やはり音楽の良さ。

1954年の初代「ゴジラ」以来の伊福部昭(いふくべ・あきら)氏作曲の「ゴジラ行進曲」を始めとしたゴジラ音楽は、『シン・ゴジラ』にも使われている。

21世紀の特撮技術やコンピューター・グラフィックスを駆使した『シン・ゴジラ』にも、古代的雰囲気のある伊福部昭氏の一連のゴジラ音楽は違和感なく合致している。

さてさて、まあまあ・・・細かく言えば、もっともっと『シン・ゴジラ』の魅力を語ることができる。

しかし、これぐらいにしておこう。

『シン・ゴジラ』は、いかにも近未来的サイエンス・フィクション映画でありながら、どこか懐かしい古代的雰囲気も併せ持つ超超超ウルトラ名画である!!

ゴジラは、核分裂という科学技術がうっかり生んでしまった巨大生物である。

異常なスピードで進化する完全生物である。

その進化の果てに、ゴジラは神々しき宇宙の「精霊」になった。

ゴジラは日本が生んだ世界的アイドルだ。

ゴジラを生んだ日本が、最高の日本映画&21世紀の大傑作『シン・ゴジラ』を創造した。

めでたい。

相模湾に潜伏していたゴジラが鎌倉に上陸し、ゆっくりと川崎工場地帯を抜けていく姿を遠くから俯瞰した、あのシーンのスケールの大きさよ!!

あああ・・・私の「シン・ゴジラ」熱は冷却されない。

メルト・ダウンしそう。

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