オープナーというのは、openerだ。「蓋とり」だ。
50代の終わりくらいから、だんだんと瓶の蓋が取れなくなってきた。
蓋を開けることができなくなってきた。
若い頃は、何でも気合いで開けることができたのに。
やっぱり握力が弱くなるんだなあ……
ひとつひとつ自分の老化現象を確かめるはめになるのが、50代後半からの日々よ。
50代半ばまでは、何と言っても、青春よ。
ほんと。
35歳くらいまでは、少年少女よね。
ほんと。
ところが、50代半ば過ぎたある日に、それまでは気合いで開けることができた蜂蜜の大瓶の蓋が開けられなくなるという事態に遭遇する。
なぜだ!?
「そんなはずあるかい!」と、ぐぐっと手に力を入れる。
お尻が破けそうになる。
ついには、ミネラルウオーター2リットルのペットボトルの蓋でさえ、取るのに難儀するようになる。
ちょっとタオルを湿らせて、蓋を取ろうと苦戦する。
熱湯に瓶の蓋あたりを浸して、それから蓋を開けようと苦戦する。
でも駄目。
ネット検索してみると、同じ悩みを抱えている人は多いらしくて、いろんな「蓋とり」が売られている。
冒頭の写真の左側のオープナーは安価で手軽で、非常に使いやすい。重宝している。
右側のオープナーは、値段が高いわりには使いにくくて出番なし。
便利なものを発明してくれる方々がおられるので、今の私は、醤油の瓶の蓋だろうが、味醂の瓶の蓋だろうが、ハンドクリームの蓋だろうが、リキッド洗剤の蓋だろうが、難なく開けることができる。
発明者の方々、ありがとうございます。
こういう、ささやかではあるが大事なことの手助けをしてくれる発明は、ありがたいよ。
瓶というのは、ボトルというのは、蓋を開けなければ、中身が使えないのだからして。
しかしなあ……
普通にできたことが、できなくなっていくのが老化であるのか。
このまま行くと、缶詰めの蓋を缶切りで切り開けることさえ、できなくなるぞ。
だからこそ、最近のシーチキンは、缶切り不要の仕様になっているのかな。
先月は、福山の自宅のトイレの天井についている電球が切れたから、スペアの電球と交換したら、なにゆえか電気がつかなかった。
電球をつける部分が妙ちきりんな形状になっていて、不器用な私は電球を妙ちきりんに取り付けてしまったらしい。
やり直そうとしても、どうやっても、電球がはずれなかった。
手や指の力は弱くなったのに、妙ちきりんな形の差し込む口に電球を差し込み回した時は、無駄に力を入れてしまったらしい。
で、はずれなくなってしまった。
トイレは真っ暗なまま。
廊下の電灯はつけて、トイレの扉を開けて用を足していたが、いくらひとり暮らしでも、トイレの扉がないのは、落ち着かない。
フランク・ロイド・ライト設計の邸宅じゃないからさあ。
ライト設計の住宅には、トイレの扉が付いてないものがあるそーだ。
トイレの扉が美しくないという理由で。
他人から見える所で用を足す人間の姿も、美しくないと思うけれども。
しかたないので、災害用の強力なハンディ・ライトをトイレの中に置いて、扉は閉めた。
そうやって、ひと月ほどを過ごした。
不便ですよ、そりゃ。
それでも、そういう不便さも慣れてしまうんだよね。
だいたい、私は、何でも上の空というか、忘れっぽい。
借りている部屋の管理事務所に電話するのも面倒でさ。
この件は、お盆に福山に来た夫が何とかしてくれた。
電気のついた明るいトイレって、素敵ね!!
あのですねえ、トイレの電灯ですが、天井ではなくて、壁に取り付けるのをデフォルトにしてください。
身長の低い鈍臭い人間でも、形状をよく調べることができるような位置に取り付けてください。
掃除しにくい便器とか、掃除しにくい台所のシンクとか、掃除しにくい洗面台とか、掃除しにくいフローリングとか、作り手が使い手のことを考えていない商品は多い!!
過剰包装はゴミが増えるだけ。
amazonよ、いい加減にせい、あの大げさな段ボール箱!
発明家の方々、中味がなくなったら消滅するような容器を発明してください。
口紅に小さい鏡をセットして販売してください。唇だけ見えればいいんです。
高級感のある重厚なレザーの外観だけど、実はナイロン製の軽いバッグやリュックを開発してください。
自分では、何も作れない私。
情け無い非力な私。
人様の作ってくださったものに頼って生きている私。
今日も、どなたかが考案してくださったゴム製オープナーで、ジャムの瓶の蓋を取り、米粉製パン(小麦粉はグルテンだからダメよん)にジャムを塗たくりつける私。
「ゴム製のらくらくふた取り」
「サンクラフト 瓶ふた開け」
「スマイル・オープナー」
「米粉」
「米粉パン・ごはんパン製造器」
右側と同じものを持っています。
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右側に使いづらいんです。私には。オープナーも、ほんと、いろいろありますね〜〜〜
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