前回のゴジラの尻尾に関する疑問については、いろんな説があるようだ。
今はネット検索すれば、疑問への回答が出てくるので、便利だよね~~
ということで、『シン・ゴジラ』のクライマックスの「ヤシオリ作戦」について。
「ゴジラ凍結作戦というのも幼稚ですから、ヤシオリ作戦としましょう」と、矢口蘭堂は自衛隊幹部に言った。
なによ、ヤシオリって?
なんでヤシオリか、全く説明なし。
馬鹿で無知な観客は、どんどん放置していくというのが、『シン・ゴジラ』のいいところ。
「ヤシオリ」というのは、「八塩折之酒」のヤシオリだそーだ。
『古事記』や『日本書紀』に出てくる八岐大蛇(ヤマタノオロチ)をスサノオノミコトが退治するときに、まずは、ヤマタノオロチに強烈に強い酒を飲ませた。
スサノオノミコトはご存知、アマテラスの弟ですね~~
スサノオノミコトは高天原で狼藉を働いたので、高天原という楽園から追放されて、世界を流浪の旅に出たということになっている。
アマテラスオオミカミの側近たちの官僚たちの罠にかかったんだね、スサノオノミコト。
「神輿は軽いほうがいい」ということで、アマテラスさんだけなら制御操作できるけど、スサノオノミコトまでいると、うざいということで、アマテラスの官僚たちがスサノオノミコトを遠ざけた。
で、日本の歴史においては、「有能な政治家を追放して、ミカドの役人どもが好きにする」という事例が転写され反復されてきた。
と言うのは、私が愛読する某神道系霊能者さん「伊勢–白山 道」のブログ。
勝手に検索してちょーらい。
確かに、菅原道真しかり、平清盛しかり、明治維新しかり。
だって、明治維新って言うけど、ほんとは徳川のテクノクラートの方が圧倒的に優秀だったでしょうが。
若きミカドの周りを固めていた長州や薩摩の連中より、はるかに優秀だったでしょうが。
ほんとは、明治維新政府も、実質的には徳川のテクノクラートたちが動かしたんでしょうが。
そのあたりは、9月に出版される副島隆彦&SNSI副島国家戦略研究所著の『明治を創った幕府の天才たち—蕃書調所の研究』(成甲書房、2016)を読みましょう~~♪♪
それはさておき、「ヤシオリ」について。
7回絞った酒というか、凄いアルコール濃度にした酒が、「八塩折之酒」だった。
で、グデングデンに酔っ払ったヤマタノオロチを、スサノオノミコトは退治する。
そのヤマタノオロチの尻尾から出てきたのが、かの有名な「雨叢雲剣」(アメノムラクモノツルギ)だ。
この剣は、後にヤマトタケルノミコトが使って、「草薙剣」(クサナギノツルギ)と名前を変えて呼ばれるようになる。
この剣は、私の産土の神社の名古屋は熱田神宮に保管されている。
というか、熱田神宮のご神体である。
ということになっている。
この「雨叢雲剣」(アメノムラクモノツルギ)の別名は、「天羽々斬」(アメノハバキリ)である。
「羽々」というのは、「ハバ」というのは、大蛇のことなんだってさ。
「アメノハバキリ」は、「ヤシオリ作戦」において、タンクローリーいっぱいの「ゴジラ血液凝固剤」を、転倒させたゴジラの口に注入する自衛隊の部隊のコールサインだ。
このいわば「アメノハバキリ隊」の第一隊は、ゴジラが発した熱光線で全滅する……
しかし、第二隊と第三隊が任務を引き継ぎ成功させた。
そのときの安堵感!感動!
登場人物たちは大騒ぎで喜んだりしない。ビールかけあわない。
それぞれが、ホッと一息つくのだ。心より。
その姿勢のリアルさよ。誠実さよ。静謐さよ。
いったい私が何を言いたいかといいますとね~~♪♪
要するに、『シン・ゴジラ』は、ゴジラという八岐大蛇退治に一致協力する「スサノオノミコトの末裔たちの物語」だってこと!!
自衛隊も、「巨災対」も、官邸も、「ヤシオリ作戦」に協力する民間企業も、タンクローリーを貸してくれた上海の業者も、スーパーコンピューターを貸してくれたドイツも、米軍も、みんなスサノオノミコトだってこと。
それぞれの持ち場で任務を遂行する人々は、みなスサノオノミコトの類魂だ。
ひとりの英雄で世の中が支えられているわけではなく、みんな頑張って世界を支えていますというプロジェクトX的な物語って、非常に日本的でもある。
あの映画に主役はいない。
登場人物たちは、みなが「地上の星」だ。「地上の小さな神々」だ。
その小さな神々が、みなで知恵と勇気を出し合って、巨大な神をなだめる物語が、『シン・ゴジラ』だ。
まったくもう、日本の神話をネタにするところも憎い!!
映画を、「スサノオたち」の群像劇にしたところも憎い!!
アマテラスオオミカミというのは、存在することに意義がある。存在することだけで世界を、宇宙を照らす。まさに太陽神。
一方、スサノオミノミコトは、行動する神だ。何かを成す神だ。
高天原を追放されたあとは、彼は、世界中を放浪して、穀物の育て方や、鉄の精製法を人間たちに教えた。
その証拠に、世界中に「異人がやってきて、いろんな技術を教えてくれた」という伝説がある。
その異人は、牛頭の被り物をした偉丈夫(堂々とした体躯の男性)だったそうだ。
牛の頭ってさ、スサノオノミコトのシンボルですね~~
バール神とかさあ、元はスサノオなんじゃないのお〜〜
と、ウイーン大学の日本研究所の学者が書いてたよ(うな気がする)。
A・スラヴィク博士の『日本文化の古層』(住谷一彦訳、未来社、1984)に。ちょっとだけだけど。
この本はすでに絶版ですが。
この種の話が好きな方は、相曾誠治(あいそせいじ)という神道研究家の方の御著書『サニワと大祓詞の神髄』(山雅房、2001)とか『言霊と太陽信仰の神髄』(山雅房、2001)をお読みください。
ただし、これらの本は、amazon.co.jpからは入手できない。山雅房という書店に直接注文してください。
相曾氏は、作家の佐藤愛子さんの『私の遺言』(新潮社、2005)に登場する凄い霊能者だ。もちろん、すでにお亡くなりになっている。
私は、ガキの頃から佐藤愛子さんのファンでさ、佐藤さんのオカルト本も好きなのだ。
話が、すぐに逸れるなあ。
私の趣味のひとつは、神社めぐりだけれども、好きな神社はみなスサノオ系だ。
私が、スサノオゆかりの熱田神宮や、もろにスサノオ信仰の総本山の津島神社のある愛知県に生まれたのも、何かのご縁だなあ。
職場のある広島県福山市にもスサノオ系神社は多い。
私が勝手に「ここは福山での私の氏神さま!」と決めている神社も、スサノオ系だ。
鞆の浦を見下ろす高台にある「沼名前神社」(ヌマクマ神社)も、スサノオ系だ。
スサノオ系神社いっぱいの出雲は大好きだ。
出雲には、スサノオノミコトが息を引き取った場所として伝えられる「隠ヶ丘」(カクレガオカ、コモリガオカ)というのもある。
ここは、日御崎海岸の近くにある。日御崎神社(ヒノミサキ神社)の近くにある。
神気が素晴らしい場所である。
「隠ヶ丘」は、スサノオノミコトという有能であるがゆえに中央官僚制から弾き飛ばされた英雄の哀愁と永遠の男性性なるものの孤独を感じさせる空間である。
男前の極地がスサノオノミコトである。
そのスサノオノミコトの息吹が感じられる聖地が、「隠ヶ丘」である。
だから、穢れた人は行かないでね。
波動の低い人は行ってもダメね。
どうせ、地元の人も良く知らない場所だけどね。ほほほ。
何の話だったか??
そう、『シン・ゴジラ』は、神道系想像力までもが駆使された大傑作ということだ!
おそらく、総監督&脚本&編集の庵野秀明氏は、あのアニメを観たね!
東映アニメの1963年の「わんぱく王子の大蛇退治」を!
「オロチタイジ」って読んでください。
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こういうアホなタイトルだけど、このアニメはスサノオノミコトが主人公の古事記アニメなんよ。
いいアニメ作品なんだけれど、あまり陽の目を見ていない。
当時は、日本のメディアの精神風土がずっと左巻きだったんで、まともに評価されていない。
しかし、庵野氏は必ず、あれを観ている!!
私は確信してる。
ともあれ、この映画の続編は作られない。
あれ以上のゴジラ映画は作られないよ。
永遠に無理でもかまわんよ。
もう私たちには『シン・ゴジラ』があるから。