『シン・ゴジラ』  はアジア市場でコケた?

世紀の大傑作『シン・ゴジラ』は、100国以上で上映される予定だそうだ。

だけど、今のところアジア諸国ではヒットしていないそーだ。

シンガポールでは、2週間しか上映されなかったとか。

…………………

無茶苦茶に面白くたって、1回ぐらい観ただけでは理解できなくて7回観に行った私からすれば、そんなもん当然かもね………と思う。

あれだけの台詞量を字幕でどうやって説明するんだ?

登場人物たちは、日本語でだって、相当に集中しなければ理解できないような内容のあることしか言ってない。

『シン・ゴジラ』は、登場人物たちが、ものすごく早口で台詞をしゃべると指摘されている。

それは2時間以内に収めなければいけない映画だから、俳優はなるたけ早口に台詞を言うことを監督から要求されたからだそうだ。

私は自分が早口なんで、他人の早口も聴き取れるんで、その点に関しては鈍感にも気がつかなかった。

タラタラ言われると苛々するタイプだからさあ。

会議なんか、早回ししたいもんね。

『シン・ゴジラ』には、日本映画によくある類の「思わせぶりに情感込めてタラタラダラダラ言ってもいいような言わなくてもいいような類の無内容なことを言い合ってる」シーンがない。

もう、これだけで稀有よ!!

議論大会、討論会みたいな日本映画って、ほんと稀有なんだぞ!!

頭を使ってる登場人物が出る日本映画なんて、滅多にないんだぞ!!

『シン・ゴジラ』は、日本映画にはほとんど皆無な知的刺激に満ち満ちた映画なんだぞ!!

それで狂喜乱舞した私であった。

狂喜乱舞〜〜〜〜♫♬

きょうきらんぶうう〜〜〜〜♫♬

その私でさえ、環境省の課長補佐で、東京3区壊滅後に課長代理になった(課長さん死んだのね……)尾頭ヒロミさんが言う科学的説明なんかは理解ができなかったんだぞ。

そんな映画を、外国人が理解できるはずない。

特に「ゴジラ」を見に来る類の観客は、知的な客ではない。

「ゴジラがド派手に街をぶっ壊す」ところが見たいんであってさ。

あんな「政治映画」期待もしていないんだからさ。

インテリが見に行く類の映画じゃないんよ、ゴジラ映画つーのは、もともとが。

私だって、「ゴジラがド派手に街をぶっ壊す」映画だろうと気楽に観に行って、仰天したんだからね。

子ども時代からの慣習なんよ。

ゴジラに会いに行くのは。

名古屋は伏見の東宝劇場(だったかなあ、今は移動したみたい)に父親に連れられて、ゴジラ映画見て、映画終了後は道路を挟んだ向かいのお鮨屋さん(「東寿司」だったかな)「鉄火丼」を食う。

これが、私のガキ時代の夏休みの大イヴェントだった。

1960年代初期の頃の庶民のガキにとって、お鮨屋さんで「鉄火丼」を食うというのは、もおおおお〜〜すっごい贅沢だったんだぞ。

昔は、お寿司はスーパーマーケットやコンビニで売っているものではなかった!!

実は、ここだけの話、『シン・ゴジラ』5回目を観に行ったとき、映画館の隣の席で、亡き父の気配を私は感じた。

「あ〜〜私があんまり騒ぐから、なんじゃなんじゃと思って観に来たんだなあ……」と思った。

霊の父と私とで、いっしょに映画を観たとよ、52年ぶりぐらいに。

ゴジラが生まれたのは1954年。

私が生まれたのは1953年。

ゴジラと私は幼馴染なんよ。

ということで、幼馴染に会いに行くつもりで、しかし、なんも期待せずに気楽に観に行ったら、なんと立派な崇高な男前のゴジラ………

ついでにバリバリの「政治映画」だったもんだから、もう〜〜

もう〜〜想定外に喜ばせちゃ、いやっ!!

ほんとに、いやっ!!

それはさておき。

そもそも「政治映画」というのは、外国人観客にとっては、きつい。

国によって政治事情が違うので、外国の政治映画は 、その政治事情に関する知識がないと、わからないし、楽しめない。

ハリウッド映画だって、ドンパチのしょうもないアクション映画に見えて、政治映画なんだぞ。

ハリウッド映画を作っている人々はインテリだからね。

パニック映画ですら、そこに政治的メッセージはあるわけよ。

映画評論の水準も高いしね。

アメリカ人批評家の黒澤明監督の『七人の侍』評には驚いたけど……

あの戦国末期映画は核戦争を意識しているって……

死んだ侍たちは、剣の闘いで死んだのではなく、銃で撃たれた。

あの銃は核兵器の暗喩だって……

だから、『七人の侍』は、冷戦映画だって……

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同じく黒澤明監督の『生きる』は、アメリカ人批評家からすると、「官僚制批判映画」なんだよ。バリバリ政治映画なんだよ。

ほら、ぬかるみになる公園を何とかしてくれと陳情する奥さんたちが役所をたらい回しにされるでしょう。

「役所仕事」批判の政治映画なんだよ、アメリカ人からすると。

それも、リバータリアン映画なんよ。ほんと。

かくも、政治映画というのは、政治風土の差によって受容のありようが違ってくる。

日本人は、政治映画を政治映画として認識するだけの感性が育成さない政治風土に生きてんじゃないの。

おそらく、他のアジアの国々も……

ここらあたりの問題については、まずは、副島隆彦氏の『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』上下巻(講談社、2004)を読んでちょーらい。

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『ハリウッドで政治思想を読む』(メディアワークス、2000)とか、『副島隆彦の政治映画評論 ヨーロッパ映画編』(ビジネス社、2014)を読んでちょーらい。

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「なんで、あんなに会議ばっかりしてるの?」という反応も、外国人観客には多いそうだ。

会議ばっかり……というのが日本の社会と政治の「リアル」だもんなあ……

「老人が避難していないという理由で、なんで首相が自衛隊の攻撃を止めさせるの?老人2人の生命の方が、東京防衛より重いはずない」という反応も外国人観客には多いそうだ。

その感想はごもっとも。

しかし、「東京を守るために、老人2人を見殺しにしましょう」という政治的判断は、今の日本の「リアル」じゃないんだなあ……

胃瘻だの何だのと延命治療して、回復の見込みのない老人を無意味に長生きさせているのが、日本の現状だからなあ。

老人自体も、自分で点滴の管を引きちぎって「サッサと死なせろ!馬鹿!!」と家族や医者を怒鳴りつける気概はないしなあ。

還暦過ぎたら、もうなるたけ病院に行かないというのが、病院に行くと病気にされる…と思うのが、高齢者の教養ではないだろうか。

と、日本で言うと問題なんだよなあ……

「なんでヒロインと恋愛しない?」という感想も外国人観客に多いそうだ。

馬鹿なの?

なんで恋愛シーンが要るの?

日本人は草食化といいますか、人類としての進化を遂げつつありまして、恋愛なんかどうでもいいんだよ。

頭の悪い奴の暇つぶしだろ、恋愛って。

あ……すみません。

また本当のことを言ってしまいました……

ということで、今日も私の『シン・ゴジラ』慕情は高まり、心深くに潜行しております。

夏が過ぎ、台風も何回も来て、大雨にさらされ、秋になった……
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