[79] ただのボヤキだから読まんでよろし

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今の私は追い詰められている。

だから、いつもより一層に一層にしょうもないこと書く。

10月2日が締め切りの論文を1行も書いてない。

参考文献リスト作り、日本語要旨と英文要旨を書いただけで、あとは何もできてない。

ボケっとしてる。

3学期は今週の木曜日から授業が始まる。その前に会議もある。

どうするつもりなんかしらね。

って、他人事みたいに言ってるけど、

他人事ではない!

別に、諦めちゃってもいいんだけどさ。

私が論文を書かないと、誰かが困るってことは全くない。

書かないといけない!という類のもんでもない。

書かないと給与が出ない!というもんでもない。

書かないと名前が廊下に張り出されるってもんでもない。

教授になったとたんに、何十年と論文は書かない大学教授なんていくらでも棲息してる。

私だって、そうであっても良かった。

でも、論文書きというのは、私が自分に唯一課してきた脳トレであり、修行だもんね。

これを辞めたら、もう私は、ただただ食って排泄する糞袋なのね。

便秘しがちな糞袋よ。

まあ、論文を書いても糞袋だけど。

論文つーのは、書いたことがある人はわかるけれども、ほんとに辛い作業なんである。

カネにもならん。

自分以外は誰も読まない。

Blogじゃないから、書き散らせばいいもんじゃない。

一文書くごとに、その文の内容の根拠を示さないといけない。

私がそう思ってるんだからさあ!そうなのよ!これでいいのだ!

と開き直れない。

論文というのは、ひたすらに「我を折る」作業である。

ひたすらに矮小な自分を超える作業である。

客観的な根拠を並べて、つまり他人の意見を並べて、自分の意見を保証してもらい、補強してもらう。

煉瓦を積むごとく、バケツ一杯の水を運んでプールを満たすごとく、自分が行きたいと思う方向に向かいコツコツと文を積み重ねて行く。

自分が作った論文要旨を大量に水増ししなければならない。

実に根気のいる作業だ。

もう生来どうしようもなく脳が混乱していて、かつ、体力も忍耐力も何もない私みたいな人間にとっては、論文書きが一番に辛い修行なんである。

家事労働だって、滝に打たれるんだって、お遍路さんだって、修行だけどさ。

私は、体力ないから、その種のことはできないのね。

滝に打たれたら流されて溺死だ。

お遍路さん なんて、2キロも歩けんわ。

家事労働は、今の時代は洗濯も、洗濯機に放り込んでおけば、洗濯から乾燥まで機械がやるからさ。

もう還暦過ぎたら、栄養のことなんか考えずに何を食ってもいいんだからさ。

ほんとは、食わんでもいいんだからさあ。

料理は、貧しい庶民が持っても差し支えない唯一の趣味よ。

すべからく、趣味ってものは実益を兼ねないと庶民はやってられんよ。

2,000円で食える外食と、2,000円で買える食材と比較したら、食材の勝ち。

今の時代では、幼い子どもも介護要老人もいないと、家事労働は修行にならん。

教師ならば、教師道を極めて、教室運営と講義構成に留意するのも修行だけど、

私は、そこまでの使命感も義務感もないんよ。

そういう自己欺瞞能力ないの。

学校というのは、行くところがない若い人たちの暇つぶしの収容所であって、通いの緩い刑務所なの。

教師は舎監なの。刑務官なの。

ほんとに頭のいい若い人に教えるべき学問の蓄積なんて私にはないしね。

通いの緩い刑務所の刑務官で食ってこれただけでも、法外に幸運だったんだから。

ともかく、論文書きの辛さを味わわないとエクスタシーが得られない。

充実感が得られない。

論文書きに比較すれば、他のことなんてほんと簡単に思えるよ。

私は、卒業論文を書いたときに、発見したんだ。

論文書きつーのは、私が忍耐力をつけるのに1番いい作業だ!と発見したんだ。

「自虐」つーのは、やるべきだ。

ここだけは、自虐する!という分野を持つのは、いいことだ。

自分を踏みつけにしてこそ、見える風景がある。

とはいえ、自分を踏みつけにするのは、やはり辛いこと。

で、チョロチョロと逃げまくり、今日に至る。

あああ……

今の勤務先の所属学部の紀要(論文集)の編集委員会は、非常に真面目だからなあ……

締め切りはほんとに厳守なんだよね。

冗談抜きで、厳守なんよ。

私が所属する「都市経営学部」って、理系や社会科学系が主で、私みたいな脳の緩い人文系スタッフはいないのよね。

みんなキチンとしてる。

そのチキンぶりじゃなく、キチンとしたあり方に意味があるかどうかはさておいて、キチンとしている。

数時間の教授会でも、みなトイレにも立たない。「内職」もしない。

私ひとりが、コソコソと小テストの採点してる。

あんな小テストしたって、効果ないんだけどさ。

英語力もつかないんだけどさ。

なんかやってます〜という身振りは必要だからさ。

意味ないと知りつつ、意味あることをやっている振りって、辛いのよ。

私みたいに白痴的な正直な人間は、自己欺瞞能力もないから、教師は務まらんね。

だいたいが、英語なんかできないのに、英語の教師やっていることのストレスよ。

世間さまを騙していることのストレスよ。

あのね、追い詰められて、うわあああ〜〜と焦って、恐怖にかられて、「やっぱ、やんなきゃ!」と思えるのも、若さなのよね。

追い詰められてるのに、ボケっと初秋の青空を眺めてるってのは、やっぱり老化よね。

そんなことしてる場合か!

と思いつつも、ボケっとしてしまうって、老化よね。

恐怖すら、今の私に火をつけないのね。

Set me on fire!

火がつかない……

あ……津波が来るのね………と、薄らボンヤリと海を眺め……

で、津波にさらわれるのね。

ただのボヤキでした。

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