大学というデイケアセンターの哀愁

私は、ニーチェが好きなぐらいなんで、生きていく意欲がない人間は、生きていかなくていいだろうと思っている。

そういう人間は、生きていく意欲や意志の強い人間に足蹴にされ踏み台にされるか、捨て置かれていいと思っている。

生きていく意欲はないけど、運が良くて親兄弟に世話になって生きていけるのならば、それでいい。

誰にも頼れないなら、市役所に行って生活保護を申請して生活費を給付されるなら、それはそれでいい。

誰にも頼れないし、生活保護の申請するのも面倒くさいならば、どうぞ野たれ死ぬなり何なりお好きにどうぞ、と思ってる。

生きていく意欲がない人間をお世話して励ます義務など私にはないし社会にもない、と思っている。

そーいう考え方の私が、福山市立大学に赴任して不思議だったのが、デイケアセンターみたいな学生へのケアぶりだ。

不登校の欠席日数が多い学生がいると、ゼミの担当教員や教務委員が集まって、話し合う。

対策を考える。

なんで?

放置でいいでしょ。

来たくないなら放置でいいよ。

授業が面白くない?

じゃあ、よその大学の授業に潜り込んで聞いてくればいい。

大差なく面白くないよ、そんなもん。

怠惰の言い訳をいくら言い募っても現実は変わらないよ。

単位履修状況が悪い学生の保護者には、今はどこの大学でも成績を通知する。

福山市立大学では、該当の成績不良学生に「保護者に通知していいですね?」と確認して、彼や彼女からOKが出ないと、保護者に成績不良を通知しない。

なんで?

問答無用で、保護者に知らせて何が悪いのか?

福山市立大学は公立大学だ。

税金で運営されている。

授業料を学生は払ってはいるが、彼らや彼女たちは税金で学んでいるのだ。

税金で学ぶという特権的立場にいながら、不登校だの、単位取得困難だの、甘ったれるな !ふざけるな!

ましてや、そんな学生をいちいちケアするなんて、なんで?

本日も同僚から私にメイルが来た。

私の4年生ゼミの男子学生が、その同僚担当の科目に4回連続して休んでいるので、「ご指導をお願いします」という文面だった。

知らんわ。

この男子学生は4年になってから、ゼミには全く出席していない。

メイルしても電話しても、返答はない。

じゃあ、もう知らんよ。

あなたの人生なんだから、あなたの好きなようにすればいい。

好きにした結果を引き受けて生きるならば、それでいい。

親切そうに、あなたの家庭や生活の状況を聞いても、私にできることはない。

「ああ〜それは大変ねえ!でも頑張ってね〜」ぐらいは言えるけれども、言ってどうなるんだ。

と思って放置してる私は無責任で冷たい教師であるのだろうか?

まあ、デイケアセンターの介護士としては失格なんだろうなあ。

大学が、こーいう状態になったのは、クレイマーが多くて、最悪な場合は裁判沙汰になるから、ちゃんと大学はそれなりに対処しました!という証拠固めが必要となったからだ。

ちゃんと、何月何日には電話して、メイルして、親御さんにはこういう手紙を出しまして、そのデータは保存されていますんで、教師や大学には落ち度はありません、と暗に主張するために、大学のウエッブサイトには、ちゃんと「指導記録」みたいなファイルもある。

本気で学生の心配しているわけじゃない。

本気で心配しても、しょせんは他人の人生だからさ、何かできるわけでもない。

まあ、この世の問題は、ほとんどが金銭で解決できるけれども、金銭なんて教師に一番縁がない。

だから、何の助けにもなりません。

それでも「問題」が起きて「新聞沙汰」なんかになると非常にうざいので、「問題」が起きても、やれるだけのことは大学はやりましたんで……という証拠を記録として残すために、問題学生のための会議をし、問題学生に対する対処を、大学のウエッブサイトにデータ保存しておく。

すべて形式で保身です。

あたりまえだ。

人間が好きで人間の成長を見守るのが好きで……なんて人間は、大学の教員にならない。

そーいうタイプの人間は、保育士か義務教育の教員になる。

自分で好き勝手に「学問という趣味」で遊んでいたいのが本音の大学教員が、18歳にもなって投票権もあるような人間の心配なんか本気でできるはずがない。

学問という趣味を共有している学生相手ならば話せることもある。

しかし、趣味を共有できない学生については、サッサと単位取ってサッサと卒業してちょーらいが、本音だ。

学生がいない大学、授業と会議がない大学というのが、理想の大学なんであるよ、大学教員にとっては。

しかし、最近は、そのただでさえ少ない「学問という趣味を共有できる」学生に遭遇することもなくなってきたんじゃないかなあ。

そーいう人間に育てるのが大学でしょーと言われてもなあ、18歳くらいだと、もうほぼ出来上がっているんじゃないの?読書習慣も思考力も文章力も。

大学というのは、特に大衆大学というのは、若い人々の時間潰しを提供しケアするデイケアセンターなんだよね。

学校というのは、通いの緩い刑務所だというのは私の持論だ。

ほんとの刑務所でも、いろんなスキルを学ぶからね。家具製造とか縫製とか。

そのなかでも、日本の大学というのは、特に文系の大学というのは、先々食ってゆくためのスキル習得も特にしなくてもいい、お遊びできる最高に緩い刑務所ということで、デイケアセンターなんよ。

お風呂はないけど、シャワーはあるよ。

そのデイケアセンター出所後のことは、もう知ったことではないのよね。

私は、そういう場所で働き食って来た。

はっきり言って、無意味な半生であった。

意義のない労働に従事してきた。

それでも生活費を稼げてきたのだから、ありがたいことであった。

いろいろあったね。

ともかく、これからも、生きていく意欲のみを頼りに、生きて行こう。

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