[98] 病名がつくと便利だね

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本日は2016年11月23日水曜日。

くたびれて、ソファに毛布かぶって寝っころがって、晩秋の曇り空を見てる休日の午後。

いつもくたびれている63歳。

心は10歳くらいの馬鹿ガキなのに、世間向きには63歳のフリするわけだから、くたびれるに決まってる。

どうでもいいこと書きたい気分なんで、どうでもいいこと書く。

病名がつくと便利だね。

たとえば、非常に落ち着きがなく、何か作業を始めても、その作業をきちんと終わらせずに、思いついた他のことを衝動的に始めてしまい、その結果、いつも仕事や家や部屋が片づかない。片づけることができない。

こういうのは、「発達障害」のひとつで、「注意欠陥多動性障害」(ADHD)と呼ばれる。

でも、この病名が発明される前は、このようなタイプの人は、「不注意」とか「ちゃんとモノを考えない」とか「だらしない」とか言われ非難された。

そういう自分を直そうとしないからダメとか、努力が足りないとか、道徳的に非難された。

でも、「注意欠陥多動性障害」と病名がつけば、まあ病気なんだから、しかたないよね、となる。

「発達障害」なんだから、しかたないよね、となる。

病名がつくと便利だ。

わかったような気分になるし。

まあ、しかたない……と寛容にもなれる。

その原因が不明でもさあ。

脳の器官的障害については、まだまだわからないことが多いんだし。

生来、脳の表面に擦り傷がいっぱいついているのかもしれないし。

乳児期の脳の発達期に何かの栄養が足りなかったのかもしれないし。

脳なんて、お鍋に入れられたお豆腐みたいなもんだから、多少はみんな壊れてるか欠けてるか、割れちゃってるのかもしれないし。

まあ、医学がもっと進めば、原因も判明するんだろう。

私自身も地味めに発達障害だなあ……と思う。

よくこの年まで生きてこれたなあ……と思う。

発達障害から初期の認知症に移行しつつあるのかもわからんけど。

大人になってから、幼い頃の自分の状態が一種の病気であったと知ることがある。

私は、物心ついた頃から高校時代ぐらいまで、ときどき、変な状態に陥った。

急に周りの風景がグダグダのモノクロームの縞模様になった。

その縞模様がグニャグニャと揺れている中で私は呆然としているしかなかった。

昔のテレビは、深夜は何も放送していなくて、そんなときには画面いっぱいにモノクロームの横縞がザーザー走っていた。

あの横縞が、もっと太くなってグニャグニャと360度四方いっぱいに動いていると思ってください。

そういう世界。

私は、「あ、まただ」と思って、そのグニャグニャモノクローム横縞を眺めてるしかなかった。

机も椅子も壁も消えた。

外を歩いているときは、樹々も家々も道路も消えた。

ただグニャグニャモノクローム横縞の世界。

自分が誰なのかもわからなくなった。

自分の身体が見えなくなった。

どこにいるのかもわからなくなった。

ただ、意識はあった。

グニャグニャモノクローム横縞の世界に漂っている意識。

ただし、そういう状態は長くは続かなかった。

1分も続かなかったんじゃないか。

まもなく、いつもの風景が戻ってきた。

だから、私は気にもしなかったし、誰にも言わなかった。

悩むようなことでもなかったし。

世界や自分は、ときどき形を失って、グニャグニャモノクローム横縞になる。音も匂いもなんもない。

それは普通のことなんだ。

と、勝手に思っていた。

そういう状態は、ボケっと漂っていれば、まもなく終わる。

実害なし。

そういう状態がどういうものかについて、自分なりにわかるようになったのは、大学院生の時だった。

私たちは、これは机、これは椅子、ここは部屋で、私はこういう人間で……と世界を意味づけて生きている。

フランスの精神分析学者ラカンの言う「象徴界」だ。

世界という混沌を、記号化し分類し意味づけすることが世界把握で世界を理解するということだ。

私たちが理解している世界は、ありのままのむきだしの世界ではなく、人間の認識というフィルターを通して整理された世界だ。

認識というフィルターを構築していくのが、人間の知能の発達だ。

それが広義の意味での社会化だ。

ところが、急に瞬間的に、認識というフィルターが機能しない状態になることもあるのではないか。

そうなると、人間は意味も何もない存在そのものになって、意味も何もない存在そのものとなった世界と直面する。

高校を終えるぐらいまでの私の目の前に現れたグニャグニャモノクローム横縞世界は、なんらかの理由で私の認識器官がフリーズした時に見せた世界の素顔だったのではないか。

世界というか、プレ世界世界というか、世界と記号化される前の世界というか。

なんの意味も音も匂いも光もないグニャグニャモノクローム横縞。

これは、ラカンの言う「想像界」なんかな。

まあ、何でもいいわ。

要するに、私の脳は、子どもの頃から17歳のくらいまでの期間に、ときどき認識機能を失った。

こういう症状は、「離人症」と呼ばれる。

そうか、私は17歳くらいまで「離人症」だったのか!

病気だったんだ!

知らないうちに治ってたんだ!

自然治癒したんだ!

いや、油断はできない。

あのグニャグニャモノクローム横縞は、また私の目前に出現するかもしれない。

でも、再びあの症状が出ても、私はあわてもしないし、恐れもしない。

病名があるもん。病名知ってるもんね。

離人症。

リジンショウ〜〜〜♫♫♬

軽度の離人症。

脳の認識機能が、短時間だけフリーズするんだ。

短時間だけの脳の認識機能障害。

軽度とはいえ、そんな病気を抱えて、生きてきたんだもの、よく頑張ったよ、私。

私はサボったわけじゃない、怠け者だったわけじゃない、道徳的に劣っていたわけではない。

病気なんだからさあ、しかたなかった。

母は内心は心配していたらしい。

知恵遅れじゃないかとか、何とか。

まあ、子どもがときどきフリーズして静かに固まってるんだから、そりゃ心配だよね。

ご心配なく。

ちゃんと履いてます。

違う、違う。

あなたのガキは、ちょうどその時、世界の実相と対面中でした。

私が、権威主義になれないのは、世間的な価値基準や序列で物事を見ることが苦手なのは、どこか人を人と思わないといいますか、物を物と思わないといいますか、自分を自分と思わないといいますか、非常に大雑把なのは、人畜無害にアナーキーなのは、脳の機能障害のせいなんだろうなあ。

世界を意味づける機能の不具合のせいなんだろうなあ。

あのグニャグニャモノクローム横縞こそが、ほんとうの世界なんだろうなあ。

あれが、ほんとうの宇宙なんだろうなあ。

宇宙の管理者は、ヴァーチャル・リアリティを構築しているんだけど、そのマトリックスが瞬間的にせよ不具合を起こして、リアル・リアリティを垣間見せてしまうのだろうなあ。

もしくは、脳の中には洗脳しきれない部分があって、ときにその部分が稼働してしまって、マトリックスの向こうにあるものを目撃するのだろうなあ。

あのグニャグニャモノクローム横縞世界こそ、「神なき世界」であり「ロゴスのない世界」なんだろうなあ。

混沌。

将来、あのグニャグニャモノクローム横縞が目の前に出現したら、今度こそじっくり、その混沌を見つめよう。

ヴァーチャル・リアリティの外に出てみよう。

そここそ人跡未踏の空間。

4件のコメント

  1. 私も10歳頃から高校生くらいまで、頻度は減っていきましたが、アレは何だったのか、最初が強烈で、不安感襲い胸のあたり引きちぎってしまうか、今外に出て車に引かれれば死ねると思った。それから毎日夜中から明け方まで母に背中を、ドンドンと叩き続けて貰っていました、昼間は元気に学校に行き、夜になると不安感。その時感じたのは他の家族より自分が少し高い位置に居るのです。
    その後、不安感と共に、大きな大きな石の様な空間が迫ってくる様な事が起きましたモノクロームでしたね。母が精神科に連れて行き、私はキチガイ扱いされるかと思いました。普段は体動かす事が大好きで、学校生活も楽しかった。何とあだ名が、よく笑うので、ゲラ子でした。

    脳の機能障害に関しては確かに病名ついたら便利です。
    自分が1999年にADHDかその周辺と確信しました。目の前が明るくなりましt。更年期は体調が最悪でしたが、混乱状態から、脳の個性と知りどんどん整理され、歯の噛み合わせ治療や栄養、生活リズム、運動と、続けて来ました。毎日が面白いです(落ち込むことさえ)
    体験して言えることは、医者や他人から診断され枠に入れられる事は不幸だと。自分で調べて普通と言う基準が何となくわかり、合わせても合わせなくとも、自由。不都合起きそうなら合わせられる、というところまで自分で運んでいったらラッキー。行き違いは誰でもある。
    こんな経過も次には老化が、認知症も健康状態維持とのバランス。
    こんな書き込みさせて貰える場所・人に出会った事は大変感謝しております。
    長くなってすいません。

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    1. 国松さんも、そういうことがおありになりましたかーーそうなんですよ。うっかり病院になんか行くと危険なんですよ。ご先祖さまだか何か知りませんが、守っていただけないと、守護が足りないと、病院に行って不必要な薬を投与されるんですよ。国松さんのも、離人症っぽいけどなあ……

      おたがい、ここまで生き延びました……ありがたいです……

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