[100] ずっと、お人形遊びしてきた

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本日は2016年11月28日月曜日だ。

4学期制の福山市立大学の3学期末試験が終わった。

現在の私の短期目標は、ゼミ生8名(不登校児がいるんで実質7名。そのうち3名は退職してイラクに行った同僚のゼミ生引き受け)に「必修6単位の卒業研究論文」を12月22日に提出してもらうことだ。

私は、この「卒論指導」というのが好きだ。

面倒くさくて厄介だけれども、好きだ。

なんでか?

「卒論指導」は、「お人形遊び」だから。

お人形を古いのや新しいのや5体ぐらい並べて、名前と役割決めて、ストーリー作って好きに動かす。

ヘアスタイルを作り、リボンをつけ、端切れ布で作った貫頭衣みたいなドレスを着せる。

女性は、幼児期や小学校低学年くらいまで、そうやって遊ぶ。

私も、そうだった。

持っている人形は、すべて私自身であった。私の分身なのだった。

私が教師としてしてきたことは、あの「お人形遊び」の延長だった。

「指導」って、お人形遊びだよ。

指導者本人のイメージしたことに学習者が近づくように指導者は助言したり、やってみせたりする。

論文だって、レポートだって、教師のイメージした論文やレポートに近いものを学生が書けばいいわけだから。

ところで、福山市立大学都市経営学部の卒論は必修で6単位もある。

ところが、今時の大学生の多くは自分で卒論のテーマを決めることができない。

自分でテーマ見つけてサッサと資料集めて、論文の形にできる学生は少ない。

テーマは自分で決めても、その後ボケっとして、ろくにリサーチしない学生も多い。

リサーチと言っても、図書館にある文献とインターネット情報でいいんだけどさ。

官公庁のウエッブサイトは情報の山なんだし。

intelligenceはなくとも、informationはいっぱいだ。

私のゼミのテーマの安全保障とか危機管理なんて、防衛省と外務省と国土交通省とかのウエッブサイトを検索すれば、pdfの論文はいくらでも見つかる。

ああいうところは、シンポジウムやフォーラムの報告集を必ず出すから、いくらでもダウンロードできる。

だけど、それを面倒くさがってやらない学生も多い。

それでもともかく6単位の必修卒業論文は提出しないと卒業できない。

地震が来ようが津波が来ようが、卒論をでっち上げるしかない。

学生さんがテーマ決めたら、私はそのテーマについてすぐに調べる。

で、そのテーマにのめり込む。

本も買い集めてしまう。

今年の4年生の卒論の題目は、「人間の安全保障」に「中国の軍事的躍進の諸相」に「沖縄の米軍支配を超えて」に「日本のエネルギー安全保障–原子力を中心に」と「人工知能の現在と未来」に「太平洋戦争期の青年雑誌のジェンダー」に「新しい戦争形態」だ。

もう、自分が論文を書く気分になる。

テンション上がる。

ワクワクハラハラだ。

で、「これとこれとこれを読んでちょーらい」と学生ひとりひとりに文献を渡す。

「この論文読んでちょーらい」と、CiNiiで検索してダウンロードした論文のコピーを渡す。

「これネットで拾ったよ」と、ネットの海に浮かんでいた論文のコピーを渡す。

「このサイトが参考になるよ」と、何かのウエッブサイトのURLをメイルに添付して送る。

で、彼女たちや彼らが書いてきたものを添削して、個別指導で、やいのやいのと言う。

我ながらしつこい。

他人の論文に、やいのやいのと介入する。

面倒見がいい先生?

いや、全く違う。

学生の卒論は、私の論文なんよ。

学生の卒論じゃないんだよ。

私が関与するから、私の論文なんよ。

私がイメージする卒論に近い感じのものを学生さんたちに作成してもらいたいんよ。

で、やいのやいのとお節介を焼く。

遊んでるんよ。

学生さんたちは私の操り人形になってる。

彼女や彼らたちは、私のかわりに書いている。

卒業研究発表会もそうだ。

私が納得するまで、発表会の練習もしてもらうけれども、私の代わりに発表するんだから、面白くなければダメなんよ。

すみません。

告白します。

私は、教え子たちを「お人形さん」にして遊んできました。

実は、「英語プレゼンテイション・コンテスト」も同じだ。

私がプレゼンする代わりに、学生たちがする。

だからこそ、どんな破茶滅茶な英語も添削するし、構成ができていないならば徹底的に構成を直す。

午前1時まで特訓が続けられるのは、彼女たちや彼らのプレゼンは私のプレゼンだからだ。

絶対に知的にも面白くて生き生きしていてパワフルでユーモアがないといけない。

熱心な先生なんかじゃないんだ、私は。

私のイメージに近いことを実現してもらわないと気が済まないだけだ。

今だから告白するが、留学志望の学生がアメリカやイギリスの希望の大学に提出する自己紹介文やエッセイを(ほぼ)代筆したことは何度もあった。

いいじゃん、別に。

合格すれば、あとは彼女たちや彼らが自力で何とかするんだからさ。

その後のことは知らんのよ。

どうでもいいんよ。

もう名前も覚えていないよ。

私のお人形を私がイメージするように、その場だけ好きに動かせれば、それでよかった。

すみません。

そういえば、私にとっては、「恋愛」というのも、「お人形遊び」だった。

素材はいいのに、 ちょっとイケテいない男の子をオシャレにカッコ良くするのが好きだった。

自分が男だったら着たいものを着せて喜んでいた。

着せ替え人形になってくれれば、それでよかった。

あとは関心ない、という感じだった。

私は、ずっと「お人形遊び」してきたんだなあ……

ずっと、ガキやってきたんだなあ……

次は、どんな「お人形遊び」をしようか。

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