本日は2016年11月30日水曜日だ。
推薦入試の合否判定の臨時教授会が早く終わったので、3学期末試験の採点をするのもなんかなあ……と思い、福山駅前の「福山シネマモード」に行ってしまった。
午後3時5分から、確か『この世界の片隅に』が上映されるはずだと思い出してしまったから。
監督は片渕須直さん。原作は、こうの史代さんの漫画。音楽はコトリンゴ。
この映画は、すでに非常な評判作だ。
なんと、『シン・ゴジラ』や『君の名は。』を超える作品だという説もネットで見かけた。
ええ?そうなん?
で、やっと見た。
確かに『君の名は。』を超えてる。
はるかに超えてる。
しかし、『この世界の片隅に』を『シン・ゴジラ』と比較するのは、冒涜的な気がする。
どちらに対しても比較するのは失礼である。
世界観が違いすぎる。
正反対だ。
カトリックとプロテスタントぐらいに違う。
いや、カトリックと無神論ぐらいに違う。
舞台は、戦前戦時敗戦直後の呉市と広島市。
主人公は、広島市内の海苔作りが家業の平凡な家の長女のすず。兄と妹がいる。
すずは、19歳で話したこともない呉市の北條さんの家に嫁ぐ。
どういうわけか、そこの1人息子がすずを見初めたそうだ。
(どこで見初めたか、勘のいい観客ならすぐわかる)
北條さんところは、お父さんは呉軍港に努める軍属。お母さんは足がちょっと悪い。
1人息子で、すずの夫になる人も海軍に勤務しているが、軍人ではない。
この夫には姉がいる。この姉は独身の頃はモガ(モダンガール)で鳴らした近代風女性。
この姉は、広島市の繁華街にある大きな時計店の後継と恋愛結婚して、一男一女をもうけた。
しかし、その後継は早々と亡くなり、姉は後家さん(未亡人のこと)になった。
婚家先の時計店も強制疎開で閉店となり、婚家の両親は孫息子だけ連れて下関に行ってしまったので、姉は娘だけを連れて実家に出戻って来た。
ということで、すずの夫のお姉さんは、けっこうすずに当たりが強い。でも悪気はない。有能でいい人。ツンデレです。今風に言えば。
すずは、早朝から井戸の水汲み、炊事、洗濯、掃除に、畑の世話と休む間も無く家事に追われる。
すずは、苦にもせずにクルクルと不器用ながらもよく働く。
すずが、北條さんの家に嫁いだ頃から、だんだん戦局が厳しくなる。
昭和19年から20年と、呉市はたびたび空襲にあう。
昭和20年の7月の呉空襲はひときわ過酷だった。
すずは、広島市に帰りたくなる……
軍港のある呉は空襲にあうけれども、広島市なら安全だから……
これ以上は、ネタバレになるので書かない。
このアニメを見終わったとき、私は不覚にも涙が出てしかたなかった。
泣いたのは、戦争と庶民の暮らしとか、空襲の中で健気に強く生きる女たちとか、そういう文脈で心を動かされたのではない。
すずの生き方の「混じりっけのない気立ての良さ」に圧倒的な郷愁を感じたからだ。
このような「気立ての良さ」こそ、人間として最も尊い資質であるのに、この資質を豊かに持つことを現代日本人は恥じるようになって久しい。
現代において、「お人好し」は、褒め言葉ではない。
それは「他人に社会に国に騙される頭の悪さ」の同義語になってしまった。
「気立てが良い」のは、ヒロインのすずばかりではない。
登場する人々が、すべて「気立てが良い」。
意地悪な人間は誰も登場しない。
みな善意で単純で正直だ。
素朴な愛情を素直に発揮する。
すずの夫もすずへの愛情を隠したりしない。
照れたり、カッコつけたりするような気の小さい男じゃない。
手練手管とか陰謀とか権謀術数なんかのない世界。
意地が悪いのは、憲兵くらいなもんだ。
その憲兵だって、単純すぎて憎めないアホさ加減だ。
私は、ヒロインのすずの「気立ての良さ」に思い出した。
アナトール・フランスの短編小説「聖母の軽業師」を。
サーカスの薄らボンヤリした軽業師が、毎晩こっそり教会のマリア像に会いに行く。
で、マリア像の前でせっせと軽業をしてる。
「なに、あいつはやってんのかね……」とサーカスの仲間たちは、冷笑してる。
「俺ができることは他に何もないから。マリア様にして差し上げることが他に何もないから」と、その貧しい無知な軽業師は言う。
ある晩、仲間の1人が、軽業師が何をしているか覗いたら、彼は今夜も額に汗を流しながらマリア像の前で跳んだり跳ねたりしている。
ところが、仲間の1人は驚愕する。
台座の上で端正に黙っていた(あたりまえだけど)マリア像が、台座から降りて、軽業師の額の汗を拭っている!!
………
私は、この話が好きだ。
合理性だの主体性だの構築性だの自意識だの、近代的概念のいっさいが欠如した人間の真心。
純粋なる善意。
そのとき自分ができることをすることに躊躇しない大らかさ。
見栄も虚栄もなく他者と対する正直さ。
自分でない人間のふりをしない単純明快さ。
丸裸の真心でマリア像に対する卑しい孤児だった軽業師の気高さよ。
このアニメ『この世界の片隅に』を批判することは容易だ。
戦争を、こーいう風に描いちゃあかんやろ……と思う。
女をこういうふうに描くのは、もう消えてしまった美しいものへの挽歌でしかない……と思う。
だけれども、私の心の奥に憧れが潜んでいる。
地方に生まれ、同じく地方の顔もよく知らない男の元に嫁ぎ、婚家先の家族と暮らしを共にし、家事に明け暮れ、子どもをいっぱい産み育てて、いつしか婚家先の家族に馴染み、義理の両親や兄弟姉妹に信頼され、老人を見送り、近隣地域に根を生やし、働いて働いて死んでゆく女性の生涯というものに。
そのような女の一生など、近代的価値観からすれば、アホみたいだ。
でも、なんと気高い人生だろう。
なんと強靭で勇気に満ちた人生だろう。
「近代的女」や「フェミニスト」が束になってかかっても、このような女性にはかなわない。
ヒロインのすずの声を担当する「のん」という声優さんの発声が、また、その気高い平凡な女性の人生の輝きを、よく表現している。
いやーもう泣かされちゃったなあ!
(追記) 声優の「のん」さんは、女優の能年玲奈さんだそーですね。