ただの週末の独言だから内容はないよう

本日は2016年12月3日土曜日だ。

くたびれている週末だ。

でも、すべきことはいっぱいある。

7名のゼミ生のうち5名の卒業論文は目処がついた。

あと2名の卒論のサポートが、これから2週間の課題だ。

ともかく全員が12月22日木曜日の2016年内最後の授業の日に卒業研究論文を提出して、その晩はコンパをするんだ!

断じて、これは決定事項!!

卒論は、来年の1月11日と12日に提出もできるけれど、私のゼミは12月22日に提出と決まってる。

来年1月は2月10日開催の卒業研究発表会の準備をするんだ。

学生時代にきちんとしたプレゼンテイションの経験をするんだ。

2月10日の発表会が終わったら、卒業記念祝賀パーティをやるんだ!

ところで、話題はまるっきり変わるが、2015年10月に開設した本ブログのヒット数が本日120,000を超えた。

うわあ〜〜いったい、どなたが読んでくださっているのか。

読者は、日本在住の方だけではない。

アメリカ合衆国、カナダ、ブラジル、韓国、台湾、中国、香港、マカオ、マレーシア、ベトナム、フィリピン、ドイツ、スペイン、グアテマラ、ベルギー、フランス、イギリス、アイルランド、ロシアに在住の方も読んでくださっているようだ。1度だけだが、イラクの読者もいらした。

ご存知の方々も多いとは思うのですが、このブログは、ほんとは、「藤森かよこの日本アイン・ランド研究会」(http://www.aynrand2001japan.com) というウエッブサイトの一部だ。

このウエッブサイトは、2001年の10月に開設された。

当時の日本では、ほとんど全く知られていなかったアイン・ランド(Ayn Rand:1905-1982)というユダヤ系ロシア系アメリカ人女性作家&思想家を伝播するために開設された。

理系大学中退者の桃山学院大学時代のゼミの卒業生に依頼して作ってもらった。

彼は、しばらくはサイトの管理人もしてくれていた。

その後、彼はオーストラリアに行った。

今頃は、どうしているのかな?

彼の気質だと、まだオーストラリアにいると思うね〜〜♫♬

2001年当時は、私みたいな不器用文系には簡単にホームページって作れなかった。

今でこそ、誰でも簡単にブログでもウエッブサイトでも開設できるようになったけれどもね。

このウエッブサイト自身は、ヒット数が10万を超えるのに10年以上かかった。

なのに、このブログは1年ぐらいでヒット数10万超え。

うーん。

アイン・ランドを伝播するには、伝播者の私自身がパワー不足ということだね。

私自身が、コスモを上げてパワーアップしないと、アイン・ランド伝播できない。

アイン・ランドのほんとうの価値と美質を伝えることができるのは、世界広しと言えども、私だけである。

こすっからいアメリカ人やユダヤ人にわかってたまるか、アイン・ランドの魂が。

でも、今の私ではダメだ。

ということで、「藤森かよこの日本アイン・ランド研究会」は、去年の12月から開店休業だ。

冬眠ね。

近いうちに春が来ます。

目覚めます。

私が、アイン・ランドの伝播サイトを立ち上げた2001年というのは漫才のM-1グランプリの第1回が開催された年だ。

数日前から、私は、就寝前にamazonビデオ(年会費3900円のプライム会員になれば無料の見放題の映画やドラマいっぱい)で、このM-1グランプリの録画を視聴している。

やっと2004年まで視聴した。まだまだ先があるよ。

笑って眠りに就くのはいいことだもんね。

漫才というのは、ほんと私の師匠です。

2001年というのは、私にとっては忘れられない年だ。

私が生まれ変わった年だから。

生物学的に生まれた年は1953年だけれども、mind的と言いますか、精神的に脳的に生まれたのは2001年だ。

やっと、心や脳が動き出したのが2001年からだった。

きっかけは、アイン・ランドという作家&思想家を知ったことだった。

アイン・ランドの小説のThe Fountainhead(1943)を読んで、火がついた。

身体中の全細胞が活性化された。

これを翻訳しなければ絶対に死ねない!と思った。

大学の仕事をしながら2年で訳し、校正に1年かかった。

で、2004年に、政治経済評論家の副島隆彦氏のご尽力のおかげで、翻訳『水源』をビジネス社から出版していただくことができた。

2008年には、アイン・ランドの哲学的エッセイThe Virtue of Selfishness(1963)の翻訳『利己主義という気概』もビジネス社から出版していただいた。

このエッセイ集は残念ながら絶版になっている。

『水源』のほうは、翻訳出版12年を経ても細々と命を繋いでいる。

ありがたいことだ。

ともかく「アイン・ランドと彼女が生きた時代を知りたい!理解したい!」と強烈に焦がれるように思って、勉強を始めたのが2001年だった。

彼女は、アメリカの草の根の保守主義言論界の一角を占めた作家であったし、ハイエクより早くに新自由主義を提唱した思想家でもあった。

だから、私は政治や経済の勉強をしなければならなくなった。

彼女に影響を与えた思想家の著作を読まなければならなくなった。

文学部英文学科を卒業して英米文学のセンセーであった私は、48歳から法学部や経済学部の学生が読む本と格闘することになった。

忙しかった。

48歳で、働きながら夜学で学ぶことを始めたようなものだった。

だから、2001年から2016年に至る15年間のことは、よく覚えている。

ほんとに学び始めて生きがいを得たが 、ほんとにハードな日々だったから。

毎晩寝る前に、M-1グランプリの録画をチェックしつつ、思い出してる。

2001年の苦闘を。

2002年の苦闘を。

2003年の苦闘を。

2004年の苦闘を。

でも、2001年にアイン・ランドに出会っていなかったら、生き直していなかったら、どうなっていたんだろ。

まあ、そんなこと考えてもしかたがない。

私が言えることは、大きな出会いは48歳でもありうるってこと。

生き直すことは、生まれ変わることは、48歳でもありうるということ。

48歳でもあったんだから、70歳でもありうるんじゃないか。

70歳の私が、別の何かを新たに勉強し始めて、生き直す、生まれ変わることは、ありえるだろう。

ああ、今日の夕焼けも綺麗だなあ……

大学教員としての最後の初冬の夕焼けだ。

 

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