本日は2016年12月7日水曜日だ。
ポピュリズム(populism)を「大衆迎合主義」とか「衆愚制」みたいに思っている方、それは、あなたが日本のメディアに騙されているだけ。質の悪い学者がメディアで垂れ流す言葉をほんとうと思っているだけ。
ポピュリズムは、エスタブリッシュメント(既成支配層)に好きにされている政治や経済状況に、「いい加減にしろ!国民の圧倒的多数を占める人民を足蹴にするような政治や経済じゃあ、しかたないだろ!努力しても食っていけないシステムを変えろ!」と大衆の声を突きつけることだ。
トランプさんはポピュリストとして、日本のメディアにも散々と悪口書かれた。
会田弘嗣さんという人も、典型的アメリカ民主党政権リベラルの立場から『トランプ現象とアメリカ保守思想』という著書で、トランプさんを新右翼(New Right)と断じていた。
アメリカに住むアメリカ人の利益が1番で、アメリカの国益=アメリカの圧倒的多数の国民の利益が第一で、そんな遠い中東のことなんか知らんと言うと右翼でポピュリストなんか。
日本も自主防衛せい。アメリカだって財政状況は苦しいんだから、日本防衛なんか知らん。自分の国は自分で守れ。そんときはアメリカの武器をいっぱい買ってね、と言うのは右翼でポピュリストなんか。
至極あたりまえの、もっともなことじゃないか。
自分の国の利益を考えることは、自国民の暮らしが成り立つようにするためなら何でもやるってことだ。
ポピュリストでない政治家なんて、国民にとっては存在価値がない。
財団を立ち上げて、その財団に巨額の寄付をしてくれるならば、国家機密情報だろうが何でも売ることは、リベラルで正しい政治家なのか?
大義だかグローバリズムだかオープン・ソサイエティだか知らんが、自分の頭の中の妄想を実現させようと世界を社会工学(social engneering)的に変えちゃおう〜〜〜と、よその国々の政治や文化を引っ掻き回すことが、リベラルで正しい政治家なのか?
アホか!
という怒りがポピュリズムである。
しかし、政治家は大変だ。
大衆というのは、十把一絡げの人民ではなく、いろいろいる。
こんなん生きててもしかたない愚民でも食わせないといけない。
だって、保育園の子供の声がうるさいと保育園に苦情を言ったり、除夜の鐘がうるさいと寺院に苦情を言う強烈な馬鹿もいるもんなあ。
そんな馬鹿にも人権はあるんだから。
政治家は大変だなあ。
だから、もっと大きな視野から考えれば……国民のための政治なんかせんでいいわ、こいつら生きてハンバーガー食ってコーラ飲んでスマホいじってTV見てるだけなんだから、こいつらのことなど考えんでいいと確信犯的に考える政治家がいる(であろう)のも、理解できる。
さらにもっと大きな視野から見れば、地球の健康な存続のためには、人類は多過ぎるので、うんとこさ減らそう〜〜それこそ正義である!真に理想の社会を構築するためには、こいつら要らん……と考える博愛主義者がいても、おかしくはない。
ポピュリストの気持ちは実感としてよくわかる。
同時に、グローバリストやNew World Order推進者の気持ちも想像はつく。
たださあ、私は今やインターネットのYouTubeで拡散されている各種のオーディション番組の録画を見ていると、やっぱり、ポピュリストの方が正しいと思う。
たとえば、Britain’s Got Talent とか、その各国版とか、American Idolとかのオーディション番組見ていると、ほんとに世界中に凄い才能の持ち主が名も知られずに生きているのだなあ……と感心する。
どんなに無名で貧しくとも、専門の教育など受けていなくても、なんのコネもなくとも、参戦できるのがオーディション番組だ。
ただ冷やかしに来ただけなんかなと思われた中年の野暮ったいデブのオバサンが、実に澄んだ美しい歌声を披露して、観客を涙ぐませる。https://youtu.be/4KUpKXUSpfM
不細工でデブの携帯電話のセールスマンのお兄さんが、素晴らしいテノールでオペラを歌う。https://youtu.be/o5GUM8E0xPI
すごく内気そうな、若いのに化粧もファッションも冴えない女の子が、素晴らしくセクシーな低音で観客を魅了する。https://youtu.be/4KUpKXUSpfM
中年過ぎのオッサンたちが5人も舞台に立つと、舞台が暗く淀むが、踊り出せば身も軽くキレも良く観客を楽しませる。https://youtu.be/ggswWVZ8zKA
いかにもいかにも学校で虐められそうなひ弱な男の子が、虐め(bully)を諌めるラップを歌い、世の虐められっ子たちに勇気を与える。https://youtu.be/g3Rf5qDuq7M
どう見ても特徴のなさそうな風貌の日本人の若者のダンスが奇抜秀抜卓抜で、アメリカの観衆の心を掴む。https://youtu.be/cn-NsWRtaSY
オーディションこそ、ポピュリズムの華だ。
圧倒的多数の人民の中にこそ宝がある。
地上を社会を楽しく多彩に生き生きと面白くするのは、圧倒的多数の人民の才能の開花だ。
その未だ世に出ない才能を発掘することがオーディションだ。
パフォーミング・アーツ(performing arts)は観客を魅了して感動させれば勝ちである。
「M-1グランプリ」は観客を笑わせることができれば勝ちである。
こんなに勝ち負けが明解なのもない。
アマチュアもプロも関係ない。
学歴も家柄も容姿も関係ない。
観客は感動すればスタンディング・オベイションをする。
歌やダンスなどのパフォーミング・アーツ以外にも、世に隠れた才能はいっぱいにあるに違いない。
そういう才能もオーディションできればいい。
アメリカのYouTube見てると、政治家のスピーチの映像がいっぱい視聴できる。
あれだってパフォーミング・アーツみたいなもんだ。
現代の日本の政治家のスピーチはパフォーミング・アーツになっていない。
政治弁論のオーディション番組もあるといい。
普通の主婦がすごい政治的アジテーションができるかもしれない。
高校生が理路整然と爽やかに国防を語るかもしれない。
90歳近くの高齢女性が年金制度改革について語るかもしれない。
ちょっと前まで国家公務員だった男性の暴露話もいい。
元自衛隊員が訴える自衛隊員の待遇の改善とか。
彼らや彼女たちから、ほんとうに国政や 地方行政に入る人々が出るだろう。
この世に生きる圧倒的多数の人民の持つ才能やエネルギーを埋もれさせないために、各種のオーディション番組が乱立するといい。
ひとつのテーマを15分以内にいかに面白くわかりやすく教えるかで、教師のオーディション番組があれば、日本の教師の刺激になる。
T-1グランプリね。「先生のグランプリ」よ。
教師で食っている人間じゃなくても参加できる。
おそらく、国立の教育大学(や教育学部)出身の教員はボロ負けする。
絶対だって。
賭けてもいいね。
勝つのは、ほとんどが学習塾の先生になるんじゃないか。
地球の資源のうち、豊かにあるけれど使われていないのは人的資源だ。
官庁や大企業は、かなりの新人をコネで採用している。
マスコミは特にそうだと聞く。
大手新聞社とか放送局とか。
国連もそうだと聞いたことある。国連で働いていた人から聞いた。
地方の教員採用なんて、情実が相当に多い。
適材適所なんて、全くできていない。
圧倒的多数の人民の埋もれている才能の発掘と開花を促進させるシステムが、構築されるといい。
どんなシステムがいいのかなあ。
八百長ではないオーディションや公募というものこそ、民主制の華だ。ポピュリズムの華だ。
審査できる人間がいるのかって?
審査員のオーディションもやろう。
(備考) 畏友の国際安全保障学者の松村昌廣氏によると、ポピュリズムは「百姓一揆」のようなものだ、そうです。なるほど。