本日は2016年12月14日水曜日だ。
今日の福山は朝から冷たい雨だったけれども、午後からは雲も晴れてきた。
ふと唐突に思い出した。
唐突にじゃないな。11日の日曜日に久しぶりに母校に行ったから思い出したんだろうなあ。
大学院の独身の男性の先輩が、たまたま私と私の独身の友人が写っている写真を見て、こう言った。
「僕なんか、この人にビビッと来た。是非ともこの人を紹介して」と。
私が30代最初の頃のことだから、先輩も友人も婚期の遅れた独身の30代であった。
あのね、1970年代や1980年代はね、いまほど未婚率は高くなかったからね。
先輩も友人も良いお相手がいるならば……とお見合いすることになった。
先輩は、すでに私立大学の助教授(今は准教授と言う)であったし、友人は美人のピアノの先生であった。
条件的には問題がないはずだった。
だが、友人は最初に会って直後に「このお話はなかったことに……」と断ってきた。
なんでかと言うと、互いに30歳過ぎているのでザックバランにお話しいたしましょうということで、居酒屋でおしゃべりしたところまでは良かった。
途中で先輩がトイレに立った。
帰ってきたら、ズボンのチャックが開いていたそーだ、
その姿が、「実にサマになっていた」そーだ。
それから居酒屋を出てふたりで駅まで散歩する感じで歩き出した。
そしたら、先輩が「ちょっと失礼」と言って、道端で「立ち小便」をした。
また、その姿が、これまた「実にサマになっていた」そーだ。
で、友人は思った。
「あの人物のズボラな無神経さは絶対に絶対に治らない。こーいうのは私は絶対に絶対に耐えることはできない。あそこまで自然にズボンのチャック開けっぱなし、あそこまで自然に悪びれず女性を待たせて立ち小便。ああいう気質は絶対に絶対に治らない」と。
で、固く固く、その縁談を断ってきた。
先輩は嘆いた。
あろうことか、私を責めた。
「あんた、友だち甲斐がない。なんで僕の弁護をしないんだ。僕は、ありのままの僕を見てもらいたかったんだ!」と。
で、私は思った。
こいつアホや。
こいつは「甘えのお化け」だ。
「ありのままの僕」って何だ?
こーいうことをほざく人間は、「世界のどこかに僕を丸ごと受け容れてくれる女性がいる」ということを無自覚に前提としている。
というより、「世界は、他人は、ありのままの僕を受け容れるべきだ」と思い込んでいる。
よく言うわ。
ありのままのあんたを受け容れる義理も義務も、世界にも他人にもないわ。
肉親にすら、ないわ。
ありのままのあんたなんか、なんぼのもんじゃ。何様のつもりか、アホ。
天皇陛下や皇太子殿下でさえ、ありのままに生きているとは思えない。
(皇太子妃殿下は知らんけど)
みな、この世界の中での役割を引き受けて、その役割を果たすために仮面をつけて生きている。
それが当たり前だ。
初対面の女性との会食の席で緊張もせずに、ズボンのチャックを開けたままにして、かつ立ち小便。
そんなもん独裁者のスターリンやヒトラーでさえ、しないぞ。
なんで、私の友人が、あんたのありのままを受け容れて愛さねばならないか。
そんな、みっともないありのままを。
私の友人は、お化粧もお洒落も、さり気なくも念入りにしてお見合いに臨み、「ありのままの自分」を剥き出しに見せつけるような甘ったれた姿勢は採らなかった。当然だ。
女は、そんな油断はしない。
だいたい、「ありのままの僕を受け容れろ」という要求は、一見ワガママで自我が強そうでいて、逆説的に言って自我が弱い。
ほんとに自我が強固な人間は、他人に自分を受け容れてもらわなくても平気だ。自分で自分を受け容れているから。
自分という素顔が安定しているので、いくらでも時と場合に応じて、仮面をかぶることができる。
30歳過ぎても、「ありのままの僕を……」とほざいている先輩を、それ以後、私は心理的に斬り捨てた。
こんな奴には誰も紹介せん!
まれに、男子学生なんかで、「僕のことをどう思いますか?どう見えますか?」と質問してくるのがいる。
どこまで、こいつ自分のことが好きなんか、不細工なくせにナルシストなんだな……と思ってはいけない。
こういうことを質問してくる学生の自我は、ほんとうは非常に脆弱である。
他人に自分自身について問いかける必要があるくらいに、自分が安定していない。
他人の言葉に依拠しなくては立っていられないほどに自我が脆弱なのだ。
こういうお子様ランチが「ありのままの僕を……」と言うのはしかたない。
お尻に、まだ蒙古斑が薄っすら青く残っている年齢の場合はしかたない。
しかし、30歳過ぎて、そんなこと言ってたら、スペシャル・ウルトラ・アホだ。SUAだ。
ええ?
結婚(するかもしれない)相手に対しても「ありのまま」じゃいけないのかだって?
限度があるでしょーが、それは。
結婚生活だって社会生活だ。
洞窟の中で、パンツをはいていない全裸の北京原人二匹が火を焚いてるのとは違う。
「仮面夫婦」とか言うけれども、仮面夫婦でない夫婦が存在するのか?
ありのままの自分をぶつけ合って上手くいく人間関係などない。
そこまで、ありのままの自分にこだわるほど、あなたの自分というのは、他人を必要としているのか?
いい年こいて、そーいう類の依存性をカッコ悪いと思わないのか?
なんで、そんなに暇なのか?
仮面をつけていない社員など、職場では邪魔だ。
素顔を見せるような店員など邪魔だ。
ありのままでいたら、ろくなことはないぞ、個人間も国家間も。
え〜〜〜いったい、何を私が言いたいかと言いますと……
「ありのままで〜〜♫♫」は、雪山でひとりだけで歌っていてください。
レリゴ〜〜レリゴ〜〜♫♫
真実は、ありのままのあなたには他人は誰も用がないし、興味もない。
自分で自分のありのままを愛して慈しんでいればそれでいいのであって、しょうもないことを他人に求めるのはやめましょう。
それは一種の搾取だ。
やらずぶったくりだ。
「ありのままの自分を受け容れろ」と暗黙に求める人間に限って、他人のありのままを受け容れる気はサラサラない。
無垢な子どもでさえ、親の前で演技して可愛く可愛くふるまってこそ、生き延びることができる。
Survival of the Prettiest
ってタイトルの本が20年前くらいにアメリカで出版されたことがあった。
最も可愛い子どもが生き残れる。
美人はブスより生き残れる。
「適者生存」the survival of the fittestのもじりだ、もちろん。
「可愛くない子どもは虐待にあって殺され易い」ことをデータで説明した本でもあった。
可愛いガキでさえ、ありのままにしてると、可愛げがなくなくなり虐待にあうんだぞ。
まして大人なんて、ただでさえ汚いんだから、可愛げがなかったら、廃棄だ。
ありのままではなく、飾れるだけ飾るのが文明だ。文化だ。人間の華だ。
ということでありました。
大拍手を送ります。
先生、ありがとうございます。
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お読みくださり、ありがとうございます〜なんか、勘違いが多くて……
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いやぁー何度読んでも、思わず、吹き出してしまい、笑いこけました。何度も頷きました。
実に切れ味よく、ざっくりと。
友人にも読ませたい❗
あぁースカッとしました。◎┓
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ブログの記事って不思議です。何をみなさんが面白がってくださるか、わからないものですーーー読んでくださって、ありがとうございますー
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最近、勘違いしている人が増えていますよね。
スッキリしました! ありがとうございます。
シェアさせていただきました。
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拙文をお読みくださりありがとうございます。晴野さんの風水Blogも拝読します〜
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