本日は2016年12月20日火曜日である。
懸案のゼミ生の卒業論文も続々と完成している。
以下は、第1号提出者の写真である。
彼は、ゼミ担当教員が年度途中で退職してイラクの復興支援と調査に行ったので、わけのわからないままに、私のゼミに配属されてしまったのだけれども、頑張りました!
他のゼミ生たちも、よく頑張った!!
彼らや彼女たちは、ささやかな事ではあるが自力で成し遂げたことに誇りを感じているようだ。
ゼミ生たちの卒論完成以外にも、本日の私は、久しぶりに、ほんとうに久しぶりに嬉しい。
ワクワクしている。
胸が躍っている。
ドキドキしている。
なぜか?
ほんとうは、他の退職者とコミで40分ほど話す形式の最終講義のはずだった。
しかし、私は福山市立大学に来て、初めて我儘を言った。
「私の講義科目の時間に最終講義をさせていただきたい!!90分話させていただきたい!!福山市立大学に来てから一度も大講義室で講義したことがないので、大講義室で話させていただきたい!!」
これは異例のことなんよ。
異例を私は言い張った。
最終講義担当の副学部長に懇願して、認められた!!
まあ、「このオバハンというか、オバアサンも、頑張ってきたんだしな……かわいそうだから好きにさせてあげよか」と管理職も思ってくださったのであろう。
これで、私以降の都市経営学部の退職者は、私風の「最終講義」ができる。つまり、普通の大学が慣習としてきた「最終講義」ができる。
私の前に道はない。
私の後に道はできる。
前例を作ったぞ!
ということで、新年2017年2月2日木曜日の午後4時半から6時まで、「最終講義」をさせていただく!
福山市立大学の大講義室で!! うわお〜〜〜!!
題目は「アイン・ランド—-アメリカの国民作家になったユダヤ系ロシア人女性」だ。
2月2日は、奇しくもアイン・ランドの誕生日である。
ご来場自由です。
どなたでも聴講できます。
そうかあ、時間もあるし、聴いてやろうかーーとお思いの方は、どうか聴いてやってください。
生涯初めてで最後の(大学教員としての)藤森かよこの「最終講義」です。
「副島隆彦の学問道場」や「東京アイン・ランド読者会」でも、アイン・ランドについては講演させていただいた。
だけど、同じ話を「最終講義」では繰り返さない。当然だ。
私だって、「シン・ゴジラ」ほどではないが、これでも日々進化しているのだ。
肉体は、ババア化一直線ではあるが。
私のアイン・ランド理解も深まっている。アイン・ランド愛も深まっている。
世界情勢も変わってきている。
ドナルド・トランプの「アメリカ無血革命」(西鋭夫氏の言葉)も成った。
革命がどのように展開していくかは未知ではあるけれども。
これからの20年間は、まさに人類史における変動期だ。
人類が覚醒する時期だ。
心を自由にする時期だ。
いろいろな幻想を打ち破っていく時期だ。
「輝かしき新世界」が来るなんてことは言わない。
そんなもん来るはずはない。永遠に来ない。
人類は、いつの時代にも苦闘する。
苦闘しないと学べないでしょ。
苦闘しないなら生まれて来ても意味ないよ。
それでも、その苦闘の最中に、その苦闘を別世界から観察するような視野の自由さ、心の自由さは持てる。
この地上での世界での「自由」は、富裕層や特権層のものでしかない。
ほとんどの人間に自由などというものはない。
労働者に自由なんてものはない。
ただただ働き病み死んでいく。
私たちは奴隷だよ、どんなに格好をつけても。
しかし、この世界が一握りのエスタブリッシュメントと、その走狗の連中に操作されていることを認識して、この世界の外側から世界を眺める心と脳の自由さは持てる。
そこに人間の尊厳はある。個人の尊厳はある。
これからの20年間で、このような尊厳を自覚し生きる人間は一層に増えていくだろう。
いつまでも騙されていないよ、人類も。
こういうことを私が考えるきっかけを作ってくれたのは、アイン・ランドの著作だった。
アイン・ランドに出会わなかったら、私の心も脳も矮小な世界に閉じ込められたままだったろう。
ということで、2017年2月2日の午後4時半から6時までの90分を、いかに満たそうか、充填しようか。
お正月は、そのことばかり考えよう。
嬉しいなあ〜〜〜〜♫♫♩
ムチャクチャに幸福だ!!
All’s Well That Ends Well!
終わり良ければ全て良し。
私の福山市立大学での日々を、最高の幸福と感謝で終わらせます。
みなさま、お気が向いたら、どうぞ聴いてやってください!!
参加賞も何も出ませんが……
広島県福山市に新幹線止まります。
「のぞみ」だけですが止まります。
駅からバス出ています。
駅からタクシーで1000円出すとお釣りがちょっとだけ出ます。
私は、2017年2月2日の「最終講義」で、ひとまず自分で自分を焼き尽くすぞ。
自分で自分を焼き尽くさないと、新しい自分になれないぞ。
って、ニーチェの言葉をパクりました。
自分を空っぽにするんだ。
これ以上は何も出てきません、絞ってもでません!
と言うくらいに自分を絞り尽くそう。
って、これはDie Emptyっていうアメリカのベストセラー自己啓発本から、パクりました。
これ翻訳出てますよ。「空っぽで死ね」だったかな。
空っぽになるまで生き尽くさないから、不成仏霊になるんじゃ。
空っぽになるまで自分に負荷をかけないから、エネルギーが余っていつまでも生きるんじゃ、若い人の人生を介護で潰して。
さ、燃え尽くそう。空っぽになろう。
藤森さん、流石に素晴らしいブログです。僕も、一つの区切りで若い人と会社と言う組織に物申して去るつもりです。
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向山さん、コメントありがとうございます。互いに新しい生き方に挑戦ですね!
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