本日は2017年1月31日火曜日である。
1月最後の日である。
あさっての2月2日に生まれて初めての「最終講義」があるのに、風邪っぽい。
微熱あり。喉が痛い。背中が痛い。だるい。しんどい。
どーするんだ。
どーもしないよ。
それはさておき、今日は「シェア」の静かなる普及と流行について書く。
きっかけは、美容院だった。
女性にとって、いきつけの美容院の馴染みの美容師さんは、親友のような存在である。
3週間や4週間に一度会い、3時間ぐらいは接する。
人によっては毎日接するかもね。
その間に、いろいろな話をする。
いろいろな話を聴く。
どこの病院がいいか、どこのレストランがいいか、どこの整体院がいいか、情報交換もする。
自然に自分の生い立ちや家族のことも話すようになる。
それが10年以上も続けば、馴染みの美容師さんは家族未満友人以上になる。
私が2005年あたりからお世話になっている美容室の美容師さんは、私より4歳か5歳ほど年下であり、ほぼ同世代である。
非常に頭のいい勉強熱心な美人である。
一流企業を定年退職なさっているご主人と、すでに成人している3人のお子さんもおられる。
家庭と仕事の両立をしてきたタフな女性である。
東京生まれの東京育ちらしく、名古屋人的な田舎モンの偏狭さがない。
お姉さんは大学に進学したが、「文系の大学を出ても食っていけない。でも理系に行ける頭じゃない」と冷静に自分を査定したそーだ。
で、美容師になった方である。
私と同世代の女性で、そこまで現実的に自分の進路を見定めることができた女性は少ないよ。
そういう女性なので、綺麗事は言わない。
偽善的なことは言わない。
非常に地に足がついている。
他のお客さんの前では知らないけれど、私の相手をしているときは「朝日新聞」みたいなことは言わない。
この美容院と美容師さんに出会うまでに、私はいろいろな美容院をさまよった。
私は、頭が悪い女性は嫌いだ。
品のない女性も嫌いだ。
ブスも嫌いだ。
センスが悪い女性も嫌いだ。
ギャアギャア無駄口の多い女性も嫌いだ。
運の悪そうな女性も嫌いだ。
そーいう人に、髪や頭を触られたくない。
あ、私は男性の美容師は想定しておりません。
すみません。
私の気難しい神経に触らなかった唯一の男性の美容師は、マンハッタンの美容院に勤めていた日本人男性でゲイだった。
ゲイは頭がいいね。
ゲイとカミング・アウトしなくても私にはわかるのだ。
ともかく、私は、長年のさすらいの末にようやく出会ったのだ、その美容院と美容師さんに。
ところが、その美容院と美容師さんがビジネス形態を変えると言う。
場所も移転すると言う。
シェアハウスとかシェアルームならぬ、「シェア美容院」に参入すると言う。
これまでは、ひとりのアシスタントを雇い、多忙な週末は「美容師派遣業者」から美容師を派遣してもらって美容院を経営してきた。
しかし、「私も2017年で還暦になるので、仕事の仕方を変えたい」と言う。
「自分のペースで自由にやりたい」と言う。
で、長年ともにやってきたアシスタントさんに転職を薦め、別の職種の資格をとってもらい、円満に解雇したと言う。
確かに、あのアシスタントさんは人柄は良かったが欲はない感じだったからなあ。
かつては、美容師はどこかの美容院に勤務し、技術を磨き、独立する例が多かった。
ところが、1970年代末あたりから美容院の数が増えてきた。
美容師の数も増えてきた。
競争が激しくなった。
せっかく独立して美容院を開いても客が来なくて経営が成り立たない事例が増えてきた。
かつては、将来は独立できて稼ぐことができると見込めたからこそ、大きな美容院に勤務し、店長を任され、夜遅くまで働いても、なんとか我慢できた。
今は、そのような時代ではない。
今は、そのような残業に対して労働基準局もうるさくなってきた。
それで、今の若い美容師さんは、大きな美容院で修行せずに、最初からフリーランスの美容師になるんだそーだ。
知らない人間から見ると、普通の大きな美容院であるが、実際はフリーランスの美容師さんが複数でルームシェアして、自分を指名する客だけを相手にしている例が増えてきたそーだ。
そういう美容院と知らずに行っても、誰も接客してくれません〜〜受付もありません〜〜
「面貸し」と言って、鏡と椅子だけのスペースを借りる例もあるそーだ。
その日に指名客の予約がなければ出勤しない。
指名客の予約希望時間については、極力対応する。
午後6時までしか営業しません、ということはない。
夜の10時でも対応する。真夜中でも対応する。
連絡は、みな美容師さん個人の携帯電話であり、店の代表電話はない。
会計も、その美容師さんがする。
で、私がお世話になってきた美容師さんは、他の美容師さんと部屋代を折半して、予約客だけを相手に営業することにしたと言う。
部屋代は、今まで20万円ほどだったけれども、今度は折半で12万円ですむし、今度のオフィスは駅に近い。
8万円の場所代圧縮。
それは大きい~~~!!
場所代だものね〜〜〜問題は。
支出削減のためには、家賃の圧縮は一番にすべきことよ。
他の美容師さんがルームシェアを辞めても、部屋の賃貸料が2倍にならない契約も大家さんと済ませたそーだ。
予約客のみ相手なので、毎日美容院をオープンする必要はない。
長年の間に、顧客との信頼関係を造ってきたからこそ、できることだ。
私だって、もう他の美容師さんは嫌だもんなあ〜〜〜
最近は、このようなオフィスシェアは増えている。
郵便物の受け入れ先も必要だし、税金対策も必要だし、オフィスの住所というのもイメージ的に大事だ。
やはり吉原より銀座であろう。
オフィスは繁華街に構える方がいいだろ。
しかし、そのスペースは他の複数の会社とのシェアという例は、かなり前から普通になっている。
パソコンとかプリンターとかコピー機のリース代とか光熱費も分担できる。
シェアしている会社もいろいろで、最低限の数の社員が電話番、連絡担当として常住している場合もある。
ただオフィスが形式上あるだけで、借り手はたまに出勤というケースもある。
顧客との連絡なんてスマホがあればできるもんね〜〜
会議室だって、今は貸会議室ビルが隆盛だしなあ。
自前で所有する必要は全くない。
最近は、オフィスシェアの費用さえ、惜しむようになっている。
フリーランスの人たちが、「スターバックス」でパソコン仕事をするようになったのは、いつ頃からだったか。
商談とか会議とかを「コメダ珈琲」でやっている人々もいる。
「ロイヤルホスト」において、胡散臭いセミナーを開いて、数人がかりでひとりの女の子を洗脳している現場を私は見たことあるぞ。
個人教授と言えば、かつては自宅に訪問して……が普通であった。
しかし今ではファミリーレストランばかりでなく、「コメダ珈琲」や「スターバックス」や「タリーズ」とかで、教えている。
2時間ぐらいならば、粘れるもんな。
でもなあ、あれでは英語の発音とかの指導はできないだろうなあ……
家庭教師ではなく「コメダ珈琲教師」である。
お店もウンザリしたのか、「商談や会議やセミナーでのご利用はお控えください」という注意書きを店頭に掲げている店もある。
友人が留守の時間帯に友人の部屋を掃除することを条件に、友人の部屋を無料で使わせてもらい、ギターを教えるという事例も聞いたことがある。
アメリカ人女性とお茶しつつ、自分は英語を学び、アメリカ人女性は日本語を学ぶという事例も聞いた。
そういうマッチング・ウエッブサイトもあるそーだ。
こういうのもいいね。
お金を使わずに、互いの知識や技能をシェア交換するわけだ。
自動車のシェアにせよ、このようなシェアリングの静かな普及というものを、どのように解釈すべきだろうか。
物なんか持たなくてもいいんだと、人々が物の所有にこだわらなくなったのか?
何をするかが問題であって、それをする空間は公園でもカフェでもいいということになったのか?
ただ単に余分なカネは使えないという不況時代の庶民の知恵なのか?
最近は、葬式費用が高くて無駄だからということで、遺体は病院から自宅に運ばれ、そこで葬儀屋を呼んで商談……ではなく、遺体を安置する「ご遺体ホテル」に運び、そこから火葬場に行く「直葬」というものもある。
自宅が狭くてご遺体を安置できないので、「ご遺体ホテル」に運び、そこで家族が水入らずで別れの時間を過ごし、火葬場に運ぶのである。
これはいいアイデアだ。
葬儀屋に依頼して葬式を出すとなると、簡単に数百万円が飛ぶ。
僧侶への謝礼もバカにできない。
葬儀の参列者も忙しいから、迷惑をかけたくないし、気遣いされるのも煩わしい。
だから、身内だけでという家族葬は増えている。
冠婚葬祭も特定の時代の慣習であり、永遠に続くものではない。
いろいろ変わって行くのだろう。
それと同じで、所有形態も変わって行くのだろう。
その他にも、シェアできるものは、どんどん発見され考案されるのだろう。
いわゆる「エスコート・サーヴィス」なんてのも、あれもシェアみたいなもんだもの。
たまにいっしょにデートしてくれるガールフレンドのシェアに、ボーイフレンドのシェア。
配偶者と愛人は夫や妻を奪い合うのではなく、「シェアしている」と思えばいいけれど、そうはいかないか。
ひとつの建物を複数の学校でシェアもありえるのではないか。
夕方までは福山市立大学。夕方からは福山コンピューター・プログラミングスクール。
夏季休暇は、予備校に貸し出して受験特訓。
私なんてさ、夕暮れから閑散とする福山市立大学の教室や部屋を学習塾で貸し出せばいいのに……と思うよ。
公務員は副業禁止だけど、安月給なんだからそんなこと言ってないでさあ、アルバイトしたい教職員や学生や卒業生に使用させて使用料金を徴収すればいい。
まあ、この地球だって、ここで生きている人類を含む生物みんなでシェアしているようなものだ。
シェアリングというのは、「共有」に似ていて、「共有」とは違う。
あらかじめ所有しないことを前提に、使用時間を合意の上に決めて、ルールを定めて使用する。
お借りするだけ。
もともと、この世で手にしたものは、死ぬ時に手離すのだものね。
厳密に言えば、この世の全てのものは、誰のものでもない。
だから、シェアするという使い方が、ほんとうは一番に正しくて真実に近いのかもしれない。
まだまだ、いろんなビジネス・チャンスがあるようだ。