[131] 終わった

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本日は2017年2月10日金曜日だ。

本日で、大学の教師としての授業は終わった。

ゼミ生の卒業研究発表会が終わった。

まだ学期末試験とか採点や成績報告は終わっていない。

研究室や福山の自宅の整理は、もちろん終わっていない。

会議も少しある。

でも、大学の教師としての講義や指導は全部終わった。

この最後の1週間がきつかった。

非常に忙しかった。

先週の最終講義に送っていただいたお花のお礼状も書いていない。

e-メイルのアドレスを存じ上げない方へのお礼状も書いていない。

くたびれた。

冷えるせいか右脚も痛かった。

歩くのが難儀だった。

また杖が必要になるのかなあ……と思うくらい。

寝るときはデロンギに湯たんぽの1週間だった。

いつも授業してきた情報処理室や中講義室を、しみじみとあらためて眺めた。

いつも昇り降りする階段も、あと何回昇降するのだろうか。

アメリカの連続テレビドラマに『ER』というのが、あったでしょう。

シカゴの大病院の緊急医療室を舞台にしたドラマ。

あの主人公の医療関係者たちのひとりにDr.Greenって、いたでしょう。

あのグリーン医師は癌で亡くなるのだけれども、その亡くなる寸前に、グリーン医師の意識は、長く働いたシカゴのあの病院の中を歩き回っていた。

通路に、ナースステイションに、医務室に、病室に、手術室に、休憩ラウンジに。

すでに末期の癌で歩くこともできずに病床にいるグリーン医師は、元気な頃と同じように、白衣を着て、病院内を軽やかに歩き回る。

自分が苦闘し愛した医師の仕事の場を振り返りながらグリーン医師は亡くなる。

そのシーンを見ながら、私は思ったものだった。

私も、また自分が死ぬ前に自分の意識をかつての職場に飛ばすだろう、と。

まだ40代や50代始めの頃のように軽々と脚を進めて、キャンパスを歩き回るのだろう、と。

私が、まがりなりにも少しは教師らしくなったのは、大阪の桃山学院大学に来てからだ。

30代や40代なりたて頃の私は、どうしようもなくアホな教師であった。

教師としての努力や心労を十分にはしていなかった。

だから、桃山学院大学に移る前のふたつの職場については、死ぬ寸前の私の意識は、そこを歩き回らないと思う。

しかし、桃山学院大学と福山市立大学は歩き回るだろうなあ。

それだけ大変だったから。

客観的に見れば、どうということのない凡庸な大変さだ。

苦労のうちには入らない程度のものだ。

でも、まあ私本人にとっては苦闘の日々であったのだよ。

思い出して、楽しいとか嬉しいという日々ではなかった。

だけれども、あの日々が私の人生のハイライトだったんだろうなあ。

ドタバタ忙しく追いまくられているうちが華よ。

それが人生の華。

でも、その人生の華の真ん中で苦労しているときには、自分がどんな華の上で走り回っているかは、わからない。

過ぎてみないち、わからない。

というわけで、どういうわけじゃわからないが、お気が向いたら 下の動画をご覧ください。

本日の午後3時から100分間ほど開かれたゼミ生の卒業研究発表会のひとりの発表である。

12分くらいかな。

テーマは「新しい戦争形態」だ。

もっと明解にまとまった発表はいくつもあった。

でも、それらの動画は公開しない。

「福山市立大学都市経営学部」は、日本では生まれたばかりの「都市経営学」という学問分野を形成している途上にある。

形成している途中なので、専門性がまだ確立していない。

だから、学生は、卒業研究のテーマもほんと好きに選ぶ。

この学生は、その典型。

ゼミの担当教員がイラクにいってしまって急に退職したので、私のゼミにやって来た。

去年度に私の「アメリカ文化論」を受講していたので、私のゼミを希望してやって来た。

あと2名の男子学生も、同じ理由で私のゼミに入ってきた。

もともとが私のゼミにいる学生4人(5人いたけど1名不登校で消えた)も、好きにしかできない連中だ。

去年の秋に私のゼミに乱入してきた3名も、好きにしかできない人々だ。

でもまあ、こういうわがままな連中が好きなんだね、私は。

これもご縁だ。

ともかく、私の最後のゼミ生たちの卒業研究発表会が無事に終了した。

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