[139] さようなら&ありがとう「都市経営学部」!

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本日は2017年3月2日木曜日だ。

昨日の3月1日は、私が所属する福山市立大学の「都市経営学部」が私を含めた3名の退職者のために送別会を開催してくれた。

会場として、幹事の若い同僚が私の好きなお店を選んでくれた。

大黒町の「地中海料理FUKUHARA」だ!

美味しかった!!

出席者は少ないけれども、すっごく気持ちのいい送別会となった。

まあ、気持ちのいいメンバーしか出席していないから当然だけれども。

話も大いに弾んだ。

みな言いたいことを口走っていた。

いつもあんな調子で忌憚なくしゃべり倒して陽気に大笑いできればいいのにねえ!

みなさん、ありがとうございました〜〜♫♫♬

同僚たちは、学部長や副学部長をはじめ、みな忙しくて疲れているのに、わざわざ送別会を開いてくれた。

うちの学部は、ほんと忙しいんよ。

福山市立大学は「教育学部」と「都市経営学部」で成立している。

定員は1学年「教育学部」は100名。「都市経営学部」は150名だ。

しかしだ!

学生定員が1.5倍多い「都市経営学部」の教員数は、教育学部の教員数より少ない。

なんで?

「都市経営学部」の教員は、両学部の共通教養科目も担当している。

なのに、その数は教育学部の教員数より少ない。

なんで?

「都市経営学部」は学際的な学部であるので、いろんな分野の教員が必要である。

学際的な学部の教員数は多い決まってるんよ。

理系も社会科学系も必要だ。人文系も必要だ。

なのに、「都市経営学部」の教員数は、教育学部のそれより少ない。

なんで?

不思議だ……

ということで、うちの学部の教員の仕事量は多くて、みな疲れているのだ。

設置者の福山市は、何のつもりで、こういう学部を作ったのか?

ぶっちゃけて言えば、「教育学部」なるものはどこの国立大学にもちゃんとある。

わざわざ、福山市が作る必要はなかった。

集中と選択。

日本で初の「都市経営学部」を設立するのならば、これひとつに集中するべきだった。

いっそ「福山市立都市経営大学」にするべきだった。

なのにさ……

そりゃさあ……

若い教員が、「都市経営学部」から逃げるのも無理はないんよ。

これではさ……

2012年の初夏に、たまたま福山市の2名の副市長に会う機会があったときに、私は福山市立大学の状況を伝えた。

というより、陳情したんよ。

「このままでは、優秀でやる気のある教員ほど、追い詰められて辞めて行きますよ」って。

実際に、そのとおりになってしまった。

あの日が、随分と昔のことに思える……

あの2人の副市長は薄ら笑いを浮かべていただけだった。

話を戻そう。

ともかく、うちの同僚は、送別会などすればお金もかかるし、ただでさえ安い給与から参加費を出すのはきついのだから、送別会などしなくていいのに、わざわざ送別会を開いてくれた。

私は、大阪の桃山学院大学勤務時代には、同僚の送別会の幹事を随分としたので、ああいうことを準備することの面倒くささがわかる。

それに加えて、同僚たちは記念品も用意してくれていた。

これだ!


良いでしょ!?

これはね〜〜福山市の北部に位置する神辺(かんなべ)にある「中村金襴」(なかむらきんらん)という会社の製品である。

伝統工芸品の金襴(きんらん)を織る工場がひとつだけ残っているのだ、福山に。

製品は京都で販売しているが、織っているのは福山の工場だ。

これは、テーブルセンターとコースターのセットですね〜〜

タペストリーにもなるね〜〜このテーブルセンターは。

コースター使うのもったいないね〜〜

でも使うぞ!!

黒地に銀の糸を織り込み、微量に金も織り込んでいるのが素敵だ。

シンプルで品が良い。

柄は、薔薇と蝙蝠だ。

薔薇は、福山のシンボルなんである。

一応は、福山市は「バラの町」なんである。

蝙蝠も、福山のシンボルである。

なんで、コウモリ?

理由は知らない。

私は、この記念品を拝領するまで、福山にこのような工芸品があることを知らなかった!

「中村金襴」!

私って、福山のことを、よく知らないままに福山から去るんだなあ……

と、あらためて、この6年間の自分の不調について残念に思った。

やっぱりさあ……

58歳で新しい土地に来るのって、キツかったのかなあ。

58歳では、新設大学に挑戦するには、老けすぎていたかなあ。

58歳の時には、すでに教師としての情熱ややる気も落ち込んでいたしなあ。

「都市経営学」という学問分野に貢献できる何ものも私は持っていなかったしなあ。

福山について知るためにあちこち福山を歩き回ろうにも、2012年には脚の具合が悪くなっていたし。

いつもくたびれていたし。

大学の体制に、いつも怒っていたし。

もろもろの理由で、私は、せっかくの新しい学部の「都市経営学部」の充分な戦力になれなかった。

これは、揺るぎないかけ値ない真実。

昨晩の送別会での私の気分は、存分に闘った戦場を振り返るというものではなかった。

「負け戦でした〜〜」の気分であった。

それでも、私の最後の職場の「福山市立大学都市経営学部」を、私は私なりに愛していた。

その気持ちを確認した送別会の夜だった。

さようなら、ありがとう、私の「都市経営学部」!

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