縄文人で生きる

本日は2017年4月4日火曜日である。

432ヘルツにしたピアノ名曲集をiTuneから購入してiPadで聴きながら書いている。

普通はガチャガチャかしましく弾かれる傾向が強い多いモーツアルトの「トルコ行進曲」でも、432ヘルツだと、非常に柔らかい。

緊張が解けていく優しさだ。

432ヘルツの基本音調ねえ。

ドイツの教育家のシュタイナーが言ったそうだ。

http://oka-jp.seesaa.net/article/416393394.html

「432ヘルツではない基本音調の世界は悪魔を勝利に導く」と。

現代世界の基本音調は、440ヘルツなんだそーだ。

ロック音楽なんか代表だそーだ。

440ヘルツは魂に悪いらしいよ。

ということは、全てに悪影響があるよ。

アメリカのショッピング・モールで地元の高校生が集まってジャカジャカ悪さをするんで、試しにクラッシック音楽をモールのBGMにしたら、アホ馬鹿高校生がたむろしなくなったそーだ。

そのとき使用したクラッシック音楽の音調は432ヘルツだったのかもね。

だから、アホ馬鹿高校生が正気に戻ったのかも。

ヘルツHerzと言われても、私はサッパリわかりません。

432ヘルツの音は人間の身体の多くを占める水分にいい影響を与えるそーである。

ほんまかいな。

でも、なんとなくいいんじゃないの……これは……と感じると私は何でもやってみる。

やってみて長続きすれば、私にとって良いことだから、続ける。

長続きしなければ、私にとっては必要ないことだから、やめる。

違和感というほどのものでもなく、なんとなくピンとこないね……となれば、物にも場所にも人間にも近づかない。

私は、すこぶる知能指数が低い。

考えるのは苦手だ。

今まで生きてきて、熟慮の末に決めてきたことなど、ほとんどない。

決めるときは、瞬間的だ。

決めるのに長い時間がかかっているようでも、心の奥底では答えはすでに出ている。

決めて失敗だったと思うことはあっても、まあ、長い目で見れば、これで良かったんだろーと思う。

確かに数年後に振り返ると、あれで良かったと思う。

つくづく自分のことを原始人だと思う。

感覚的なことは、ガキの頃から好みは出来上がっていた。

どんな絵が好きか、どんな音楽がいいか、どんな文学作品がいいか、どんな料理がいいか、どんな部屋がいいか、どんな衣類がいいか、どんな人なら関われるか……

感覚的なこと、美的なことについては、芸術方面については、最初から好みが決まっているのだから、特に勉強する必要ない。

楽器はひとつもできないけれど、自分が弾きたいわけではないから弾けなくていい。

要するに右脳的なことはいいから、私は自分に足りない左脳的なことをしないといけない、と思った。

だから、好きでもないし向いてもいない語学とか、理屈っぽいことを敢えてやろうとしてきた。

もともとがダメな左脳を鍛えようと思って、職種もそのようなものを選んできた。

しかし、もともとが原始人だから、うまくいかなかった。

「なんか、どうでもいいよなあ〜〜こんなこと、私程度がグチャグチャと小賢しく小利口に計算してもなあ〜〜しょうもないよなあ〜〜」と、どうしても思ってしまう。

私が今年の3月31日までいた業界は、左脳優位系人々で構成されている。

お勉強のできる、口の達者な計算ばかりしている人々で構成されている。

現代世界の現代社会は、そういう人々が多い業界ほど、そうでない人々が多い業界より優れているし上品ということになっている。

言葉の巧みさと屁理屈と打算と保身と言い訳と責任回避で構成された業界だ。

ほんとうは、こういう業界の方が卑しいしゲスである。

しかし、現代世界の現代社会は、「言葉の巧みさと屁理屈と打算と保身と言い訳と責任回避能力に秀でて、卑しさとゲスさ」がプラスされれば、無敵なんである。

官界、政界、財界、医療界、学界……

どんな業界にせよ、職を得て食ってこれたことは感謝している。

しかし、はっきり言って、つまらん業界だった。

歓びのない業界だった。

真心とか至誠とか情熱とか人間的魅力とか迫力には、出会えない業界だった。

そんな原始的なものには出会えなくて当然か。

まあ、そう言っている私自身に、真心とか至誠とか情熱とか人間的魅力があるのか?

原始人といえば、日本人の45%とケルト人(アイルランドとかスコットランドとかウエールズの先祖、先住民のこと)には、氷河期前の人類の遺伝子が残っているそうだ。

日本列島の太平洋沿岸とアイルランドとかブリテン島の北部にいた人類だけは、氷河期でも生き残ったとかで。

同じ東アジア人でも、この古い氷河期前の人類の遺伝子は中国大陸や半島生まれの人々にはないそーだ。

ほんまかいな。

まあ、おそらく、私もこの旧人類原人といいますか、原始人といいますか、石器時代人といいますか、縄文人の遺伝子の持ち主なんだろう。

なんとなれば、この遺伝子の持ち主は、デジタル的に物事をとらえるのではなく、論理的な積み重ねから物事を理解するのではなく、アナログ的に、大雑把に、本質的に把握するそーだから。

私でんがな、それは。

たまに夫が私に言う。

「あんたは狡い。何も考えずに勘だけで生きてきたアホのくせに、得ばかりしてる」と。

そーでもないっすよ。

原始人が現代社会で生きてくるのは大変だったんすよ。

ともかく、原始人としての、縄文人としての素地で生きていけるようになった今は、ホッとしている。

自宅は私の洞窟だ〜〜

洞窟でも水洗トイレでウォッシュレットがついてなくてはいけない、ひ弱で根性なしの縄文人でございます〜〜〜

 

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