[155] プー子から見える風景 (3) 下から目線はラクだ

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本日は、2017年4月24日月曜日だ。

退職して、約4週間が過ぎつつある。

定年退職して何もすることがなく寂しいとか、暇を持て余して不善を為すとか、そういう事例を聞く。

そういう人って、現役時代から何もしていなかったんじゃないの。

そういう人って、職場でも不善を為していて、密かに迷惑がられていたんじゃないの。

生きて暮らしていくだけでも、結構やることばかり、考えさせられることばかりだけどね〜〜

でも、若い方々は、しっかり働いてください。

人間は食っていくためにカネのために働く。

これは辛くて悲惨で貧しいことに見えます。

が、普通の人間は、働くことによって学び、社会に参加し、そのことによって他の人々と繋がるのでありますよ。

半強制的に勤労せざるをえないって、ありがたいことだ。

嫌が応もなく学習させられる。鍛えられる。

そりゃ、貴族に憧れる気持ちはわかる。

(ほんとは、わからんけどね、私は。一度もないもんね、貴族に憧れたことなんか)

先祖代々の資産があって、家作があって、働かないですむのは、羨ましいでしょう。

(ほんとに私は羨ましくない。家作なんか管理が面倒くさそう)

でも、何もしないで食って行けるのは呪いだ。

よほどの才能の持ち主でないと、そういう立場でいると腐る。

試されない魂に、試されない身体に、試されない知力。

働かないで食っていける立場でもさあ、頭が悪ければ、児童ポルノDVDなんか集めて、小学生の女の子に性的虐待するぐらいのことしかできない変態になる。

大方の人間は、享楽や遊興程度のことで人生という時間が潰せるほど、いくらなんでもそこまで頭が悪くない。

働かないですむ立場を活用して、政治運動だの社会的活動だの慈善活動に集中できるような頭脳や気力や体力を持つ貴族ならいいけれども、大方の人間は、そこまで資質に恵まれない。

だからさ、大方の人間にとっては、働かざるをえなくて、それで勉強するというのが、一番いい。

働けるって恩寵だ、ほんとに。

働いていれば、何らかのスキルや知恵は身につく。

働くことによって、社会と他人と繋がることができる。

労働は、必ず誰かの役に立っている。

自分自身のためにもなるし、他人のためにもなる。

働けるってクールだ。

アルバイトを入れての勤労期間46年、正規雇用の立場での勤労期間31年を、良かったなと思う。

時にグチグチ愚痴りながらも働いてきて良かったなと思う。

働ける場があって、ありがたかったなと思う。

働くのが辛いときは、下から目線になってみるといいかもね。

自分が何もできない知らない無能の脳足りんだと認める。

無能の脳足りんなんで、仕事ができないのは当たり前だから、時間がかかるのもあたりまえ。

で、無能の脳足りんだから、不注意で不用心に決まっているので、失敗するのあたりまえ。

だから、しつこく念を押す。

カッコよくスピーディーに見せようとしない。

私は亀です、ノロマです、でいい。

どうせ、休日になっても、無能の脳足りんだから、享楽遊興に勤しむぐらいしかやれることもない。

ならば、週日にできないことを休日もタラタラやってていい。

こういう下から目線になるとラクよね。

私は、勤めの最後の1年間は非常に精神的にラクだった。

それは、遅ればせながら、自分がしてきたことに対する幻想が全部ぶっ壊れて、無能で非力な自分自身を認めて受け容れることができたから。

無能で非力なんだから、じっくりゆっくりやっていこうと思えたから。

無能で非力でも、時間をかけて念を入れれば、何とかなるだろうと開き直れたから。

できれば、30代で知りたかったな、こういう下から目線の生き方。

自分に見栄なんかはらなきゃよかったな。

もっともっと早くに、それに気がついていたら、もうちょっと丁寧な実質のある生活ができたのにな。

でもまあ、過ぎたことは、どうでもいいよん。

今は、楽しい。ラクだ。

無能で非力な自分の真実に気がついたあとだったので、無職ライフは嬉しい。

この徒手空拳ぶり、この何にもない状態こそ、私のありのままの正直な姿。

そこに、じわじわと学び、何かを加えていく。

することいっぱいだ。

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