三重大学工学部大学院「生産管理論特論 1」第4回講義 フォード生産方式

本日は、2017年5月8日月曜日である。

今日は、5月2日に開講された三重大学工学部大学院の渡邊明先生ご担当「生産管理論特論1」第4回ご講義の内容を紹介する。

とはいえ、私は第4回ご講義は聴講できなかった。

上海旅行でドタバタして、くたびれきって名古屋から三重県津市まで行けなかったから。

でも、ありがたいことに、渡邊先生が第4回ご講義の「前回に関する質疑応答」部分を省いた約45分間のご講義の動画を送ってくださった。

だから、今回はYouTube動画を視聴しつつノートを取った。

動画だから何度も聴ける。

いつもは、講義を聴きながらとったノートを読んで私なりに頭の中で組み立てた内容を、ここに覚え書きとして、記述している。

でも、今回は動画で視聴したまんまの順番で書く。

ところで、90分講義なのに45分動画?

ということは、45分間も質問コメントに回答しておられたのか?

受講生の約120名の院生の中には、コメントペーパーに「こういう講義は役に立たないと思う」と書くのがいるそーである。

驚くわん。

国立大学の大学院生でっせ。

最後の勤務先の大学の学生の中には、「英語に関係ないことをしゃべった」と私の担当クラスの授業評価アンケートの自由記述欄に書く奴がいた。

まあ地方の公立大学だから、ただただ真面目に受験勉強して、余裕がなくて、伸び代 がもう全く残ってない類の頭が硬いのが入学しやすいのかもしれない…..気の毒やねえ……

と、私の事例は納得できる。

しかし!

国立大学の大学院生にして、そんなにアホなのか。

学んだことはみな役に立つんだ!!

無駄な経験とか、無駄な知識というものはないんだ!

これは役に立つとか、これは無駄とか、グジャグジャ計算するなんて、くだらない。

脳の中にはいくらでも入るわ!

胃袋とは違うんだ!

ネットは広大だわ……

じゃない、これはThe Gost in the Shellの台詞だ。

脳内世界は無限だぞ!!

税金で勉強している身でありながら、なんで、そうも心理的にキャパシティがないんかねえ!?

精神的三畳一間!

ということで、第4回ご講義のテーマは、「フォード生産方式」だ!

( ご講義内容 覚え書き 始め)

(1) 前回の「テイラーの科学的管理法」の時間研究(時間要素研究)と作業研究が、熟練の移転を可能にし、分業というものを可能にし、後の大量生産を可能にした。

(2) 1908年以降のフォード自動車の「フォード生産方式」は、テイラーの科学的管理法の応用。第二次世界大戦後の40年代から発生し、試行錯誤され1980年代に脚光を浴びた「トヨタ生産方式」も、テイラーの科学的管理法の発展応用形。

(3) テイラーの科学的管理法は、ブルーカラー労働者を効率的に使うために作業を標準化し、賃金システムを変えた。反労働者組合主義であった。経営者にとっての管理運営のし易さと、利潤の増大に貢献する合理化がテイラーの科学的管理法だった。要するにコスト・ダウンのための管理法だった。

(4) であるから、今現在でも、テイラーの科学的管理法の発想は使える。中小企業の経営においては、まだまだ、このコスト・ダウンを実現する管理法は有効である。

(5)  留意すべきことは、ここから、20世紀初頭から、今現在のホワイトカラー労働者(上層労働者)のリストラの芽は生まれていたということ。生産現場の作業の標準化、マニュアル化、「誰でもできる化」の次は、意思決定を担うホワイトカラーの頭脳労働のプログラム化、「誰でもできるか化」である。しかし、これはまた別の話。Anothet story。

(5) ともかく、先鋭的技術を取り入れることは組合の反発が非常に強かったのが、20世紀初頭だった。テイラーの科学的管理法も、幅広く採用されるまでにはいたっていなかった。

(6) ところが、第一次世界大戦が1914年に始まり、1915年にアメリカが参戦すると、アメリカは戦時体制となり、生産性を高める必要に駆られた。で、アメリカ政府もテイラーの科学的管理法を採用するようになった。

(7) テイラーの科学的管理法から発展したフォード生産方式ではあるが、T型フォード自動車の生産が始まったのは1908年だった。T型フォードは1927年まで生産されて、累計1500万台生産された。ちなみに、フォード自動車Ford Motor Companyが創立されたのは、1903年。

一時期は、フォード・モーターは、全世界の自動車生産の3分の1を占めた。

フォードより後に創立されたGM(General Motors)やクライスラー(Chrysler)の後塵を排するきらいはあるが、現在でも、フォード・モーターは健在である。創業者の子孫に受け継がれてきている。GMやクライスラーと並び、アメリカの自動車会社ビッグ3のひとつだ。

下の写真がT型フォード。色は黒しかなかった。

この自動車がアメリカのみならず世界の産業と交通に革命をもたらした。

下は改良された進化系フォード。カッコいいな。

チャプリンの無声映画によく出てくる自動車だ。

(8) ただし、フォード・モーターの創立者のヘンリー・フォード(Henry Ford: 1863-1947)の理念は「企業はサーヴィスを提供する機関」というものだった。利潤追求は第一次的なものではなかった。

フォードさんは自動車を発明したわけではなかったけれども、世界における自動車の普及に最大の貢献をしたことは確か。それも、「企業はサーヴィスを提供する機関」という理念あってこそ。

(上の写真はフォードさん)

(9) 後年、「マネージメントの父」と呼ばれピーター・ドラッカー(Peter   Ferdinand Drucker : 1909-2005) が、似たようなこと言って、Neo-Fordismと呼ばれた。

ドラッカーの著作は非常に多いけれど、『現代の経営』上下巻ぐらいは、最低読んでおこう。これは必読書であり、経営者のバイブル。


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(フジモリは、『経済人の終わり』が好きですが……)

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(10) ドラッカーのことはさておき、ではフォード・モーターが目指したサーヴィスとは何か? まず、多くの人が入手できる安価な自動車を生産販売すること。

(11) 安価な自動車を生産するためには、コストダウンを可能にする生産管理が必要である。また安価を維持するために、車種はひとつだけ。T型のみ。色は黒色のみ。

(12) 製品を単純化し、 1車種大量生産すれば、コストは下がる。規模の経済を達成するとコストは下がる。

(13) まず、フォード・モーターは、部品を規格化した。

(14) 部品を規格化すれば、部品の互換性が可能になる。

(15) T 型フォードは、T型フォードであるならば、部品はみな同じ規格で作られ、故障すれば、そこの部品だけ取り替えればいい。

(16) この部品の互換性については、銃製造会社のコルト社Coltを参考にした。銃って衝撃でぶっ壊れやすい。特に戦場ではそうだ。部品のスペアがないと困る。部品に互換性がないと使えない武器ばかりになる。

(17) 部品の規格化といい互換性といい、今はそんなこと当たり前のことだと思われるが、当時としては画期的だった。この部品の規格化と互換性担保は、その重要性を諸外国が理解するのに時間がかかった。

(18) たとえば、太平洋戦争で活躍した零式戦闘機、ゼロ戦であるが、なんとゼロ戦の部品は規格化されていなかったし、互換性もなかった。一機のゼロ戦が壊れたら、その部品を他のゼロ戦用に使用するということができなかった。信じられないだろうが、これは事実だった。

(よく、そんなもんに生身の人間を乗せたよな。旧日本軍のそーいういい加減なその場しのぎの戦略性のなさが……)

(19) 一方、アメリカのグラマン機は壊れても、他のグラマン機の部品を使えば良かったし、部品ストックから必要な部品を持ってくれば良かった。


(むっかつくわ……)

(20) なんと、部品の規格化と互換性担保について、日本の製造業に、たとえばトヨタに徹底されたのは、やっと1980年代に なってからだった。なぜ、そういう事態であったのかについて話すと長くなるので、今回は取り上げない。

(21) ともかく、部品の規格化には寸法を測る装置を一律にするとか、部品製造用の工具を特定の決まったものにしておく必要があった。製造作業を徹底的に分業化して、誰でもできる単純作業にしておくことも必要だった。

(22) 単純作業の分業に利用されたのが、ベルトコンベアー( belt conveyor)であった。ベルトコンベアーというものは、すでに1830年代には存在していたようだが、1901年にスチール製のベルトコンベアーが発明された。生産現場に登場し積極的に活用されるようになったのは、1913年から。フォード・モーターの工場の流れ作業においてであった。

(23) ベルトコンベアーは一定の速度で動き、ベルトコンベアーの前に作業員が間隔をあけて立っていて、流れ作業をする。たとえば、作業員Aは、自動車の基部を設置する。作業員Bは、自動車の基部の上に座席を設置する。作業員Cは、自動車の前の部分を設置する。同じ作業を、同じ時間内に淀みなく遂行する。分業化され単純化した労働は時間でコントロールされる。

(24) こうなると、出来高払い制という給与システムは消える。みな同じ類の単純作業の流れ作業で、同時間働くのだから。ここらあたりから、日給制になった。

(25) Ford Motor Companyは、利潤追求型企業ではなかったので、給与は高かった。社会に有益なサーヴィスを提供するのが企業の目的ならば、そういうサーヴィスを具体的に形にする従業員の給与は高くあってしかるべきだから。

(覚え書き 終わり)

フォード・モーター創立者のヘンリー・フォードってのは、反ユダヤ主義者であり、ユダヤ陰謀論をアメリカに広めちゃった人物でもあるので、私のイメージは決して良い方ではなかった。

しかし、調べてみると非常に面白い人物だ。

農場主の長男として生まれて、懐中時計の分解が大好きな少年時代をおくり、デトロイトの会社の見習い機械工として就職し、転職して蒸気機関の操作を学び、蒸気機関の修理工になり、ついでに簿記を学んだ。

ズバリ「工学部で経営学」だ。

理系だけど、マネージメントもできるよ、だ。

1891年にエジソンの会社に入り、技術者として内燃機関を研究した。

1896年に自作4輪自動車を制作し、1899年に「デトロイト自動車会社」を創業した。この会社はうまくいかず解散。

出資してもらって、1901年にHenry Ford Company 創業して、フォードはチーフ・エンジニアに就任した。

しかし、コンサルタントとして雇われた人物が嫌で、ここを去った。この会社はキャデラックになった。

紆余曲折あり、またも出資者を得て、Ford Motor Companyを結成。

ヘンリー・フォードの人生の軌跡は、まさにアメリカという国の産業の隆盛の軌跡と重なっている。

アメリカの金融・経済・経営の発展の軌跡と重なっている。

ヘンリー・フォードは、アイン・ランドが『肩をすくめるアトラス』で祝福した起業家、企業家、発明家そのまんまだ。

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ハンク・リアーデンみたいだな。

ハンク・リアーデンとは誰か?

『肩をすくめるアトラス』読んでちょーらい。

良質のアメリカ人が憧れるアメリカ人像がいっぱい登場するから。

スティーヴン・バノンさんや、ピーター・ティールさんみたいなのが、いっぱい登場するから。


(バノンさん、いいなあ!こーいうガッツあるおっちゃん好き)


(アイン・ランドの小説みたいに、アメリカの中に別のアメリカを作りたいと海上都市国家を建設しようとしたんでっせ〜〜〜この人)

ともかく、ヘンリー・フォードは、アメリカにおけるイノヴェイションと経営学が手を結んで20世紀を推進した時代のトップ・ランナーだ。

アメリカ帝国の礎を造った立志伝中の人物がヘンリー・フォードだ!!

と、やっぱり人文系の私は、「生産方式」よりヘンリー・フォードという人物について調べてしまうのだった。

さて、次の第5回ご講義は、いよいよ「トヨタ生産方式」だ!

理解できますかねえ……

(備考)

この拙文を読んで下さったアメリカ史の研究者で私の母校の南山大学の後輩にあたる女性が教えてくださった。

フォード・カンパニーの給与が高かったのは、社員に自社の自動車を買わせたいということだったって!

やっぱ、発想がまっとうよね。

当時の平均給与がいくらで、T型フォードがいくらだったのか、気が向いたら調べて、ここに加筆しておきます〜

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