本日は、2017年5月31日水曜日だ。
5月も終わりだ。
私が、正式に無職のプー太郎ならぬプー子になってから2ヶ月過ぎたのだ。
今の私のマイブームは、「手織り」である。
なんでかっというと、このBlogにも書いたように、「トヨタ産業技術記念館」の織機の展示に魅せられてしまったからだ。
特に、初期の頃の手織り機に、ビビビッと来た。
「夕鶴」の鶴の精じゃないけれど、女性が腰掛けて機織り機でパッタンパッタンやっているイメージというものは、非常に郷愁をくすぐる。
(http://www.nunokirie.com/sin.nsakuhin1.htm より)
この手織りという作業は、注意力や集中力は必要ではあるが、基本は反復作業なので、無心になれる。
空っぽになれる。
そこがいい。
おそらく、昔の女性にとって、機織り仕事は、他の仕事よりはるかに楽しく、自分自身の世界に没頭できる作業だったのではないか。
織物という成果もあるし。
自分の手から、綺麗なものが生まれるのだ。
同じ手を使う作業でも、料理や調理は、そうはいかない。
掃除も洗濯も、そうはいかない。
料理も掃除も洗濯も労働だもんな。
たとえば料理という労働は、非常に忙しい。
段取りを随時考え、テキパキと作りながら片付けつつ、火加減を見て、テーブルセッティングするわけであり、忙しい。
相当な集中力と注意力が必要だ。
認知症の初期症状のひとつに、「料理ができなくなる、億劫になる」というのが、あるそーだ。
納得できる。
料理できなくなったら、おしまいだな……と私自身そう思う。
確かに、料理は頭脳労働系肉体労働である。
一方、手織りのような手仕事は、労働というより、手仕事だ。
無心に手と指を動かせばいい。
そこがいい。
「夕鶴」といえば、鶴が自分の羽を抜いて、錦(にしき)の布地を織ったそうだが、あの羽をどうやって糸にするんじゃ……とか、
鶴の羽は白いのに、なんで錦(にしき)の布地ができるんじゃ…..とか、
いろいろ疑問はわいてくる。
ともかく、布を織る女性像というのは、私のツボにはまった。
どういうツボか知らんが。
トヨタ産業技術記念館で織機をいろいろ見て以来、ネットで検索して、チョコチョコと手織り機について調べてみた。
意外にも、「手織り」というのは、連綿と女性の趣味として生き残っている。
根強い人気がある。
YouTube動画も、「手織り」で検索すると、いろいろある。
外国にも、いろいろある。
手作りの段ボール紙で作れる手織り機の紹介動画もある。
100円ショップにも、手織りキットが売っているそーだ。
「手織り教室」というのも、あちこちにある。
月謝週に1回で3000円とか。
それらの動画を漁っているうちに、手織り機の仕組みというものが、なんとなくわかってきた。
感心する。
誰が、こんな仕組みを考えついたのか?
織物は、縦糸と横糸を交差させて作る。
織り機は、その動作をする装置だ。
縦棒と横棒四方の枠を用意する。
経糸=縦糸(warp)を、横棒2本の間にピンと張り、シャトルといいますか杼(ひ)に緯糸=横糸(woof)を巻く。
横糸が巻かれたシャトルを通すための隙間(shed)を開ける綜絖(そうこう、heddle)を縦棒に固定させて、その綜絖を上下させて、縦糸の下を横糸にくぐらせる。
縦糸にくぐらせた横糸をしっかり打ち込む。
この動作を繰り返すことが、織るということだ。
下の動画を見てちょーらい。織るということの基本は、これだ!
不思議なんは、この綜絖よ。そうこう。
誰が考えついたのか?
どう考えても、人間業とは思えない発想だ。
私なんか何十年かかっても、思いつかないぞ、こんな仕組み。
餃子を考案した人物は天才だ。
小麦粉でも蕎麦粉でも、水と塩で練って麺にした人物は天才だ。
同じく、この手織り機の仕組みを考案した人物も天才だ。
人類の恩人だ。
ということで、私も「夕鶴」さん、やってみたくなった。
「よひょう、あんたの言葉がわからない!」と言ってみたくなった。
しかし、いくら私が馬鹿の脳足りんでも、最初からきちんとした「手織り機」なんて購入したらあかんとわかる。
卓上手織り機は2万円くらいからある。
本格的な手織り機だと、最低10万円くらいはする。
私の不器用さは私が一番知っている。
で、まずはおもちゃの手織り機をAmazonで購入した。
「キティちゃん手織り機」も売ってたけど、そっちは1200円。
この「プチおりき」は、864円だ。
だから、こっちを注文した。
説明書を熟読しつつ、作業開始。
最初は、縦糸の張り方を間違えた。
それでも、コースター作成。以下は処女作。
なんだ これ?
幼稚園児以下のできばえである。
今度は、縦糸の張り方を間違えずに織る。
前よりは、ましなコースター完成。
下の写真に写っている上のコースターが二番目に織ったものだ。
ほんの少しではあるが、進歩してる。
自分で作ったものとは愛おしいものである。
料理だって、自分が作ったものは、相当にダメでも食える。
それと同じで、手織り初体験で作ったコースターは、可愛い。
うーん、自分の子どもも、きっと強烈に可愛いいんだろうなあ。
自分で作ったんだもんね〜〜〜
子どもは、親の作品だ!
失敗作でも愛おしいのだ!!
いったい、フジモリは何をやっているのか。
暇つぶしのために、アホなことやってるわけではないよ。
賃金労働はしていないけれども、やるべきことは多いんだよ。
読むべきものは多いし、書きたい論文もある。
でも、せっかく賃金労働から解放されたのだから、今までできなかったことを、なるたけやる。
手仕事は、そのひとつだ。
「手縫い」の衣類作りもする。
ミシン使わずに、作る。
編み物もする。
私にとって記憶に残っている亡き母や、亡き祖母の姿というのは、何かいつも手仕事をしているというものだった。
母や祖母は、何か縫い物や編み物をしながら、タラタラと話していた。
祖母は、着物は全部自分で縫うことができた。
母は、そこまではできなかったが、洋裁で簡単な子供服は縫ってくれた。
私の世代だと、子どもの頃は既製服があまりなかった。
デパートに、子どもや10代の衣類のジュニアショップができたのは、1960年代に入ってからだ。
それまでは、みな手作りだった。
私は、母や祖母の生き方やライススタイルを否定して、足蹴にして、フェミニストになり、「職業婦人」というものになった。
その私も64歳となり、生まれて初めて「専業主婦」というものになった。
無職のプー子になり、手仕事を遊びにできるようになった。
やっと、亡き母や祖母の気持ちをほんの少しだけ想像できるようになった。
なんで、ちゃんとお礼を言わなかったのだろう。
作ってもらったことに。
当たり前のことと思って、母や祖母の手仕事の恩恵を受けていた日々よ。
これも、プー子になって見える風景である。
心の風景である。
温かい記憶である。
進化しております!
次は、不要の衣類を裂いて、それを糸にして織ることをやってみる。