本日は、2017年7月19日水曜日である。
先日、The Wall Street Journalの日本語版を読んでたら、以下のようなニュースを見た。
http://jp.wsj.com/articles/SB10387820417957044660204583266973099959046
アメリカで、ゲームをやるために仕事辞めて引きこもって親と同居する若い男性が増えているという記事である。
この記事の最後は、同じくゲーマーが多い日本では、そういう現象がないとか書いてある。
いやいや、日本でも類似現象はある。
私のゼミ生のひとりは、ガキの頃からゲームばかりで、大学生になったら、世界中のゲーム愛好家といっしょに戦争ゲームに興じ、自分は司令官として作戦指令をしてた。
指令も簡単な英語でなんとかなるそうである。
インターネットでつながりながら世界中のゲームオタクと情報交換。
それでも、彼は単位はちゃんと取って、複数のコンピューターを駆使して、ゲームをしながら、卒論も書いた。
テーマは、Cyber Warsとかの新しい戦争形態についてだった。
趣味を卒論にしたんだな。
で、就活はいっさいしなかった。
family businessを受け継ぐとか言ってたけれど、よく知らない。
貴族でも財閥の御曹司でもないのに、自分の食い扶持すら稼がずにゲームに夢中になっているという生き方は、この世界の文明の到達点として、当然にありうる。
今の世界の先進国の人間観や社会観は、18世紀の啓蒙思想を基にしているので、だいたいが以下のようなものだ。
人間は、生まれながらにして法(神?)のもとに平等である。
生まれながらに自由と生命を守り、幸福を追求する権利がある。
この権利は誰からも奪われない!
好きなことして生きていいのだ!
国家は、個人のそれらの諸権利を保障するためにある!
それらに権利を犯す政府は取り替えられるべきだ!
こんなこと言うとぶっ飛ばされるが、この近代市民革命を生んだ啓蒙思想って、なんという世迷言であろうか。
世迷言というか、非現実的だ。
人間は、法のもとでも神のもとでも平等じゃない。
貨幣のもとでも平等じゃない。
成金が1億円払っても、入会できない特権的クラブもある。
自由や生命が守られる権利も、幸福を追求する権利も、そういう「言葉」があるだけのことだ。
ましてや、そんなものを守ってくれる政府なんて存在しない。
政府は為政者と国会議員と国家公務員のためにある。
ほんとはね。
一応、そういう建前で政府が運営されています〜〜〜というだけのことだ。
高校生なら騙されても、いくらなんでも30歳過ぎて、そんなこと信じていたら白痴だ。
建前と現実を混同させるのはガキの頭だ。
しかし、一応、法律には人間の権利を守るべきと明記されているので、カネと暇をかけて裁判闘争すれば、建前を言い募る方が勝つ。
セクハラされたら、女性の人権が侵されたことになるので、訴える。女性が勝つ。
これは実に素晴らしいことだ。
が、ただ、それだけのことだ。
勝ったとしても、死刑どころか懲役にもできず、せいぜい数十万円の賠償金しかとれない。
セクハラをする男は延々と生産される。殺しても殺しても生まれてくる。
セクハラだと女性が思えばセクハラなんで、セクハラのタネは尽きない。
神経過敏な女性からすれば、「痩せたね〜〜」と言われてもセクハラだ。
汚ったない顔で歩いている男は、存在そのものがセクハラだ。
私が、何を言いたいかと言えば、現行の文明社会は、「あなたは好きに生きていいのよ。その権利は守られるから」という建前で成立しているということは、当然に、好きに生きるという快楽主義が肯定され、快楽主義は快不快にこだわることなんで、どうしても神経過敏になり、そーいう神経過敏が肯定されるってことだ。
そういう社会では、当然に、「ゲームがやりたいから仕事しないで親に食わせてもらう成人男性」が生産されるってことだ。
「ゲームがやりたいから仕事しないで親に食わせてもらう成人男性」というのは、人類が作り上げてきた文明の結果なんよ。
アメリカの若い人とか、ヨーロッパの若い人って、エネルギーないもんなあ〜
先進国で気楽に快適に育てられたので、幻想の中で生きていて、貧乏人のくせに、王子様か王女様のつもりだ。
その程度の若い凡人たちが、好きに生きよと言われたら、快楽に走るに決まってる。
発明とかイノヴェイションなんてしやしないよ。
ゲームに夢中になる。
家を出て外に行けば、不快な現実ばかりだ。
ゲームの世界みたいに、サッと結果は出ない。
ゲームのキャラクターみたいに現実の他人はカッコ良くないし、消せない。
すっごく不快になる。
「現実はそういうもんでしょ。いちいち傷ついているあんたが悪い。あんたのことなんか世界は知らない。鈍感に無視するのも生きる技術だ」なんて、誰も言ってくれない。
言ってくれる人がいても、意味わかんない。
で、ゲームやるために仕事を辞めて引きこもる。
親の家に同居すれば、住居費と食費はタダで、(当分は)生きていくことができる。
「現実逃避しているだけだ!」とか「働かざるもの食うべからず」とか「自分の食い扶持ぐらい稼げない人間はクズだ」とか、今時は、親も言わない。
ましてや教師や他人は言わない。そんな親切はない。
親も、啓蒙思想が生んだ快楽主義と神経過敏を、人間の権利=人権と教えられてきたから、子どもに言えない。
「成人のあんたを食わせる義務はないから、出て行って」と言えない。
あとは野となれ山となれ白骨死体となれ、と子どもを捨てることができる根性のある親ならば、そういう類の子どもには育たない。
まともな親ならば、学校で綺麗事を教えられて脳をやられかけている子どもに言うべきだ。
「現実の世の中はダブル・スタンダードで動いている。人権人権と言っていても、そんなものは現実には存在しない。絵に描いた餅である。自分のことは自分で守るべく全力で生きよ。権威者はすべて疑え。社会も国家も学校も裁判所も病院もすべて疑え。誰の信者にもなるな。ただし、こういうことを世間で口に出してはいけない。言ってもわからない人々に言うだけ時間の無駄である」と。
まあ、親が死んだら、「人権教」のNPOとか福祉団体が役所に掛け合ってくれて、生活保護給付金が受け取れるようにしてくれるから、引きこもり無職のゲーム中毒男も、なんとか餓死はしないですむよ。
いい時代だね〜〜
しょうもないわ……
現代は、もう確信犯的に快楽主義と神経過敏で、ギャアギャアと「私の好きにさせろ〜〜私を傷つけるな〜〜」と言い立てる奴の勝ちだ。
人権思想の根源は啓蒙思想でさ、
啓蒙思想の根源はキリスト教だけどさ。
ということは、今の社会の腐った軟弱さの元凶はキリスト教なんだ。
キリスト教が、実は神経過敏な快楽主義の変形だってことは、すでに19世紀にニーチェが言っている。
あ、キリスト教というビジネスと、イエス・キリストは別物だということは、念のために書いておこう。
あのわけのわからんお経と葬式仏教と釈迦が別物であるように。
もし、あなたが現実から逃げずに無駄に神経過敏にならずに、健康に健全に生き生きと適度に野蛮に生きたいのならば、キリスト教を「弱い意気地なしの言い訳弁護教」であり、啓蒙思想も人権も社会主義も共産主義も、キリスト教の別派だと洞察したニーチェを読むといいわよん。
やっぱり、西洋文明の終わりも近いんかね。
いよいよ健全に野蛮なアジアの時代だ〜〜〜〜!!