アスぺが足りない—-映画『コンサルタント』の人間観

本日は2017年9月14日木曜日である。

昨晩、2016年に発表されたアメリカ映画『コンサルタント』The Accountant を、Amazonビデオで399円出して視聴した。

年会費3900円のプライム会員だと、比較的古くて、比較的どうでもいい映画は無料で観れるが、新作とか、問題作で受賞したとか、人気があったとかだと48時間有効レンタル料金がかかる。

映画館に行けばシニア料金1100円だけど、半年から1年待てば、48時間以内なら何度でも、高くても500円で観れるからいいか……

と思って、クリストファー・ノーラン監督の新作『ダンケルク』も観に行かない初秋だ。

どうせ『シン・ゴジラ』のような映画には会えないから、amazonビデオでいいんだ……

と、私は引きこもりがちな前期高齢者の映画大好き人間である。

ところで、The Accountantは「会計士」の意味だけれども、邦題は「コンサルタント」だ。

コンサルタントなんて、日本語的にはいかにも胡散臭いけれども、原題のaccountantは、いかにも地味で堅実だ。

その田舎町の地味な中年の会計士のクリスチャン・ウルフが、実は天才で、会計士としても無茶苦茶に有能な実業家であり、巨額の利益を福祉施設に寄付していて、下劣悪辣非道卑劣なマフィアや悪徳企業家たちを清掃する殺し屋であるという設定の映画だ。

アメリカの必殺仕事人みたいなもんかな。

会計士のウルフを演じるのが、ベン・アフレック(Ben Affleck: 1972-)だ。

この映画は、ベン・アフレックの最大の当たり役だろう。

ぴったりだ!

ベン・アフレックって、1990年代の若い頃はハンサムなだけだったけど、中年になってきて良くなった。

イランのホメイニさんの革命の時にテヘランのアメリカ大使館員をカナダに逃すCIAのエージェント役を演じた『アルゴ』あたりから、すっごくカッコ良くなってきた。

でも、The Accountantは、もっといいな。

リバータリアン風味の、共和党の男風味の、野暮ったいアメリカのオッサン風味が加わって、すっごく渋くなった。

いいわああ〜〜♬♬♬

マット・デイモン(Matt Damon: 1970-)もいいんだけど、彼はいつまでたっても「とっちゃん坊や」のリベラル民主党風味が抜けなくてさ。

と言いつつ、どっちも好きだ!!

なのに、ふたりが脚本書いて、オスカーを受賞したGood Will Huntingは見てないけど。

ひどいね。

話が逸れてる。もとに戻す。

ベンという名前は、Benjaminの略だな。

Benjaminは、ヘブライ語で「末っ子」って意味だ。

ということは、彼はユダヤ系かな。

そういえば、イスラエルにいそうな顔立ちにも見える。

調べてみたら、スコットランド系らしい。

それはさておき、この映画The Accountantは、きっとシリーズ化される!

マット・デイモンの「ジェイソン・ボーン」シリーズみたいに。

密かにベン・アフレックのファンであり、彼を見守ってきたつもりの私としては非常に非常に嬉しい!!

このThe Accountantは、単なるアメリカ版必殺仕事人じゃない。

この映画は、アメリカのアクション映画において、初めて自閉症のアスペルガー症候群の人間を英雄として描いた。

陸軍軍人の長男としてクリスチャン・ウルフは生まれた。

母は、長男を施設に入れて見守りたい。

しかし、軍人の父は、長男を特別扱いせずに、徹底的に鍛える。次男とともに、過酷な訓練を課す。

クリスチャン(以後クリス)が、自閉症であることで虐められると、虐めた悪童どもを自力で制裁できるまで、 父は容赦しない。

理不尽に苛められたら、絶対に復讐するんである。

父は、長男が「かわいそうな障害者」「誰かに守ってもらわなければならない障害者」であることを絶対に許さなかった。

軍人の父は息子が「犠牲者」になることを絶対に認めなかった。

しかし、その父のやり方に母は抵抗して、母は息子たちを置いて家を出てしまう。

離婚して息子たちを妻が引き取ることを、夫は断固拒否したから、しかたなかった。

母がいなくなったことは、クリスにとって非常なトラウマとなったが、それを乗り越えるしかなかった。

おかげで、アスペルガー症候群のクリスは、父の鍛錬のすえに、非常に優秀な天才的に頭脳明晰でタフな軍人となった。

しかし、再婚した母の葬式に陸軍大佐の父とともに参列したクリスは、哀しみのために抑制が効かず、動揺して怖がった保安官に撃たれるが、その銃弾を受け止めたのは、クリスの父親だった。

クリスの父は、彼なりにクリスを愛していたのだ。

息子を過酷に鍛えたが、障害者といえども人間は弱くてはダメなんだ、強くなるしかない、それは日々の鍛錬で可能になるという父の信念のおかげで、クリスは有能な社会人になれたのだ。

しかし、この事件のためにクリスは刑務所に入る。

そこで、マフィアや悪徳企業の資金をロンダリングして入獄している老会計士と出会う。

さて、それから……

と、ネタバレはここまでにしておく。

このThe Accountantという映画は非常に面白いんで、お見逃しなく!

まあ、この映画に関する否定的評価はいっぱいいある。

アメリカでは駄作映画に提供されるThe Rotten Tomatoe Awardを受けてしかるべき映画だと評された。

「腐ったトマト賞」だ。

スクリーンに腐ったトマトを投げつけられてもしかたない映画ってことだ。

リベラル的にいえば、アスペルガー症候群の人々に、「障害者だからって甘ったれるんじゃねーよ」と言っている映画ということで、差別的な映画だ。

アスペルガー症候群とか自閉症に対する誤解や無理解を増長させかねない映画だ。

もしくは、逆差別的に、アスペルガー症候群と診断されるくらいの天才的な記憶力や頭脳明晰さがない人間なんて、類人猿みたいなもんだぞと言いかねない映画だ。

アメリカ映画におけるヒーローも、ここまで来たか。

これぐらいにスペックが高くないと、アメリカではもう主人公としては認められないのかという感じだ。

主人公のクリスは、毎晩ある訓練をする。

肌触りに過敏で、大きな物音や強い光に激しく反応して不安にかられて騒ぐアスペルガー症候群の症状を軽減するべく、足を棒で強く摩擦し、時には棒で足を叩き、時間が来ると大きな音を立てるようタイマーを設定し、光を調節しておく。

苦手なことを克服するために、苦手なことを自分に課す逆療法だ。

私には、生まれて初めて露出狂の痴漢に遭遇した時の、その痴漢の顔を度々思い出して記憶に刻みつけ、今度会ったら、あいつ絶対に刺してやる!とナイフをいつもバッグに入れていた時期があった。18歳の時から数年間が、そうだった。

あれは痴漢への恐怖を超える私なりの逆療法だった。

ある種のアメリカ人は、特に共和党系、リバータリアン系アメリカ人は、犠牲者としての自分を絶対に受容しない。

銃規制など、するはずない。

殺されるならば殺すほうを選ぶ。

当然である。

アスペルガーだろうが、身体障害者だろうが、他人に馬鹿にされ足蹴にされ憐れまれるくらいなら、憎まれ恐れられるくらいに強くなれ!!

運命なんてない! 自分で自分の人生を構築せい!

というメッセージを、この映画The Accountantは発している。

いかにもアメリカらしい近代主義全開の映画だ。

進歩主義のスーパーマン志向の映画だ。

まあ、「21世紀のカルヴィニストになりつつある」なんて書きつつも、そういうアメリカ人の精神の在りようが嫌いじゃないんだよね、私はさ、やっぱり。

そうそう簡単には、近代主義の妄想の輝きからは解放されないんよね。

ところで、私がいた日本の大学の世界には、こういう言葉がある。

「アスペが足りない」

意味わかりますか?

アスペルガー症候群というのは、尋常ならざる記憶力とか、尋常ならざる集中力とか、尋常ならざる探究心とか、優れた研究者に必要な資質が無駄にあるんで、大学教員には比較的多い。

ただし、非常識で幼稚で社会性がなく、コミュニケイション能力がない。

他人への想像力がない。

だから、大学行政に関わる業務ができないので、講義も独りよがりで、一方的で、その意味では世間知らずの無能である。

しかし、研究者の世界は、学問業績が全てである。

人格とか社会性は二の次だ。

常識的で社会性に富み、世間的にはまともであるが、学問業績がない大学教員は馬鹿にするのが大学という世界である。

その馬鹿にするときの言い方が、「彼(彼女)は、アスペが足りない」なのだ。

実際のところは、ほとんどの大学教員はアスペが足りない。

そこまでの学問業績を出せる研究者は少ない。

またアスペが足りているようでも、ただのオタクであり、学問業績など実質的にはないような研究者もいる。

明らかにアスペルガー症候群で、読んだ本はすべて暗記できるが、だから何?みたいな人々もいる。

さらにひどいのは、アスペも足りないし、他の能力もないというケースだ。

ほんとは、このタイプが1番多い。

実際には、何もない非常に凡庸な人間が多数派であるのは、どこの社会でも同じだ。

もちろん、私も、その他大勢の凡庸な多数派のひとりであった。

「アスペが足りない」のは、かつての私の劣等感のひとつであった。

しかし、アスペルガー症候群的に頭脳明晰なスーパーマンは、映画の世界だからカッコいいのだ。

ベン・アフレックが演じるので、クリスチャン・ウルフはカッコいいのだ。

アスペルガー症候群の無敵のヒーローは、真夜中のiPadによる映画鑑賞の孤独な快楽の時間を疾走する妄想だ。

アスペの足りない類人猿的人間のままに平凡でも十分に幸せで楽しいよんと、今の私は思っている。

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