経営学って日本人には向かない学問だね〜だから必要だね〜〜

本日は、2017年10月11日水曜日だ。

昨日は、久しぶりに三重県津市の三重大学工学部まで行ってきた。

福山市立大学時代の同僚で、三重大学名誉教授&埼玉大学名誉教授の渡邊明先生の工学部大学院開講科目「生産管理論特論2」の聴講に。

第2回目講義であった。

第1回目講義は、紀要に提出の論文状作文作成で、へばっていて出席できなかった。

「生産管理論特論1」は、前期に聴講させていただいた。

体調とかのせいで5回も欠席したけれど。

最初は、講義録みたいなものも作成して、このブログに書いてた。

でも、途中で講義録をブログに書くのはやめた。

やっぱ難しい。

テキトーにブログに書けるような内容じゃない。

まあ、聴講させていただいた内容の中で、ひとつふたつ私でもわかりそうなポイントがあれば、いいんじゃないかと思い直した。

で、つくづく思ったよ。

経営学という学問分野は、日本人には向かないんじゃないかって。

マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に書いてたね。

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資本主義の精神とは何かって。

それは、以下の3点。

(1) 労働は救済だよん。働くことは、神様の目にかなってるよん。

(2) 働くのは、やむくもに働くんじゃなくて、神様のお目にかなうように、ちゃんと効果が出るように働くのよん。目的合理的に働くのよん。その目的を達成するため以外のことはしなくていいんだよん、これが行動的禁欲ね。

(3) 神の目にかなうように働いて、結局できた利潤は受け取っていいのよん。神の目にかない、人様の役に立ったからお金持ちになるのはいいのよん。隣人愛の派生物が富かもねん。ひょっとしたら、貧乏な人は、隣人愛が足らんのかもね〜〜

この、救済としての労働=労働が宗教的行為と、目的合理的な労働と、結果としての富の蓄積の肯定。

これが資本主義の精神よん。

と、ヴェーバーさんは言った。

だから、働くのは卑しいことだと思ってるカースト制度のあるインドでは、資本主義の精神は生まれんかった。

だから、富をひたすら得ることで、弱肉強食の世界を生き抜いてきた中国人には、資本主義の精神は生まれんかった。

拝金思想と、資本主義の精神は違うと、ヴェーバーさんは主張した。

資本主義の精神は、神の救済を真摯に求めるが、神の救済は神が決めるんであって人間が何してもしかたないのよんと言うカルヴィニズムが浸透した地域のみで発展した。

つまり、オランダやベルギーなどのネーデルランド、北ドイツ、イギリス、スイス、アメリカ合衆国だけだと、ヴェーバーさんは言った。

いや、それ違うよ、日本だけは例外だよと言ったのが、山本七平さん。

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北ヨーロッパで生まれた資本主義の精神は、日本にも生まれていたんだよと、山本七平(1921-1991)さんは書いた。

鈴木正三(しょうさん)っていう関ヶ原でも戦って生き残った武士で、後に僧侶になった人が、コペルニクス的転回の画期的思想を提出した。

「コペルニクス的転回」と言ったのは小室直樹さん。

何を鈴木さんが言ったかというと。

「労働って仏業だよ」。

これは、鈴木さんのとこで勉強してた農民さんが、「忙しくて仏業やってられません」と言ったときの返答。

「働くことは神仏のお気持ちにかなってるんだよ」

あのね、普通のインドで生まれた仏教にこーいう発想はない。

カースト制度のインドでは労働は最下級の人間がやること。

坊さんは、喜捨されて、施し物で生きる。

日本の坊さんも、お葬式や法事で意味不明のお経読んで、しょうもないことしゃべってるだけで、お金もらって、税金かからんでしょ。

これ、まさしく仏教。

お釈迦さんも、何もしなかった。お経すら書かんかった。

だから、鈴木正三さんの言ったことは、すごいことだった。

普通に働くこと自体が仏業だよ。

これ、「労働は救済。宗教的行為」と考えるヴェーバーさん言うところの資本主義の精神と同じ。

ついでに、鈴木さんは、「結果としてカネがたまっても、それは悪いことじゃないよ」と、商人の弟子に言った。

この鈴木さんや鈴木さんの弟さんが、どんだけ偉い人だったかは、この動画を見てちょーらい。

愛知県豊田の人なんです。

ここから、あのトヨタ自動車が生まれたのも、偶然じゃないんだ。

「勤労のすえにカネが溜まっても悪いことじゃないよ」と鈴木正三さんが言ったことは、これ、まさに「貨幣の蓄積の肯定」で、ヴェーバーさん言うところの資本主義の精神と同じ。

それまでは、商行為は卑しいものと思われていたからね。

この鈴木正三さんの思想をより広めたのが、石田梅岩さん。江戸後期の人。

呉服屋に丁稚に入り、その呉服屋さんが倒産したので、別の呉服屋さんに入り、番頭まで行って、退職して、自分ちで私塾を無料で開いた。

話を聴きたい人が集まってるうちに、評判になっちゃって、男性用レクチャー、女性用レクチャーとやって、老若男女が集まった。

これが「石門心学」の基礎になった。

「石門心学」と呼んだのは、梅岩さんの弟子で、ご本人はそんな気なし。

私の話を聴きたいなら、誰でもいいよ、きてちょーらい。

江戸時代って、こーいう時代。

農民や町民が、生きるための哲学を聴きたいって、聴きに行く社会。

豪商が、「じゃあ、うちの座敷を使って。離れを使って」と講義場所を提供してくれた社会。

江戸時代には、公民館も貸し会議場もなかったから。

で、山本七平さんは、日本が明治以降に急速に近代化して資本主義体制に入れたのは、江戸時代から素地があったから、と論じたのです。

小室直樹さんに言わせると、山本説はすごい卓見で洞察で発見らしいけど、日本のアカデミズムは無視してるんだって。

それはさておき、ただし、山本説は、「目的合理的な労働」については指摘していない。

なんでか。

それは、日本では機能集団が共同体になっちゃうから。

どーいうことかと言うと、たとえば百田尚樹氏の『海賊とよばれた男』に描かれる国岡商店。

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国岡商店は、出光興産をモデルにしてる。

この会社は今は知らないけど、創業者の出光佐三さんが生きていた頃は、解雇なし、定年なし、出勤簿なし、タイムレコーダーなしだった。

会社は企業であり、かつ共同体であり、家族なんだから、解雇なんかしない、定年退職なんて家族にない、家族を信じているから出勤簿なし。

この会社は、営利企業という機能集団と、家族という運命共同体がゴッチャになってる典型だ。

もう、出光興産の社員はとんでもなく働いたそーだ。

会社は彼らの家族だもん。

出光興産は、社員が戦争中で兵隊に行っている間にも、残った家族に給与を払い続けた。

敗戦直後、どんなに経営が苦しくとも、リストラしなかった。

株式上場もしなかった。

株主という他人に好きにされたくなかったから。

株は社員と分け合った。

日本人にとっては、理想の会社でしょ。

だから労働組合もなかった。

だって、労働者への搾取がないから。

でもだ、こーいう会社って、経営者が出光佐三さんみたいな優れた人だからいいけど、凡庸な経営者だったら、すぐに倒産だ。

ねえ。

この『海賊とよばれた男』のネタ本のひとつが、この本。

水木楊氏の出光佐三さんの伝記。

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この伝記には、出光佐三さんが非常に稀有な経営者であったことは書いてある。

愛国者であり、かつ非常な社員思いの方であったが、冷徹な企業経営の計算もできた人物だったと。

ここよ、ここ!!

この冷徹な計算というのが、目的合理的な行動禁欲的な労働=経営よ!

経営学というのは、目的合理的にどう労働するかを考える学問だから。

でもね、この伝記にも、百田さんの2013年「本屋大賞」受賞した小説にも、出光さんの経営手腕の具体例は書いてない。

出光興産のマネージメントの内実は書いてない。

立案、計画、タイム管理、コスト管理、品質管理、人的資源管理、リスク管理に、調達管理に、コミュニケーション管理に、統合管理。

ここよ、ここ!

これが経営だ!

これを学問にしたのが経営学だ。

日本が大東亜戦争や太平洋戦争に負けたのは、経営学ができなかったからでしょ。

タイム管理も、コスト管理も、兵站管理も、人材管理もできなかった。

ダラダラ戦争を続けた。

優秀な人材を特攻隊で廃棄した。

特攻隊なら、刑務所の囚人にやってもらえ。

人権無視?

何言ってんだ。

有為の人材をなんで廃棄できるんだ?

日本国という企業の経営を考えたら、有能な勇気ある兵士こそ、残さなきゃ。

ともかく、日本人には近代戦できない。

経営学の素養がないから。

日本人の資本主義の精神には、経営学が足りない。

なんで、足りないかといえば、機能集団が共同体になっちゃうから。

営利追求の企業が、社員の人間関係に引っ掻き回されるから。

企業の目的を社長も社員もわかってないから。

マネージメントができないから。

だから、シャープも東芝もああなっちゃった(そーだ)。

ということで、どうしたらいいんですか?

この経営学のセンスって、個人の人生にも大事よね。

たとえば、研究者としてやって行きたいと思うのならば、自分の人生を経営学的に考える。

大学院生時代に査読付きの大きな学会の学会誌に論文が採用されないなら、本人がどう思っても、学会というフィールドで研究者をする資質がないということだから、研究者として売れないから、スッパリ諦める。

自分を自分という企業の経営者として考えれば、見込みのないことはやっていられない。

別の商品開発をする。

(ただし、日本の学会もね、機能集団ではなく共同体になっていて、ダメ論文を採用するらしいけどね)

でも、こういうことは、日本人は1番苦手なんじゃないかなあ。

わりと、日本人って「特攻隊」でしょ。

やみくもに頑張る。

無駄に動くが機能しない。

動いてるけど働いてない。

頑張りゃいいとばかりに残業を頑張って過労死。

投資しても無意味な能力の子どもに教育費をかけ過ぎ。

老人介護に心を砕き過ぎて一家心中的破産。

愛が大事と、ダメンズに貢いで玉砕。

馬鹿男は、どうやっても馬鹿だよ。

ブスなのに、化粧品や衣類に金かけ過ぎて、効果なしでクレジットカードの借金を増やす。

費用対効果を考えると、アホらしいよ。

会社は潰れちゃ意味ないのに、そこを忘れて理念に走る経営者は迷惑。

目的合理的な労働管理という経営学のセンスこそ、日本人が苦手だからこそ、学ぶべきだなあと思った、昨日の聴講でした!!

渡邊明先生、ありがとうございます!!

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