l本日は2017年10月23日月曜日である。
台風が過ぎ去って気持ちのいい日であった。
でも、また今週末に台風が来るそうだ。
気象兵器がぶっ壊れてるんじゃないの?
常になくドタバタした衆議院選挙も終わった。
結果は、まあ、こんな感じでしょうか。
どっちに転んでも、しばらくは短くとも15年くらいは、ろくでもないことしか起きない日本であり、世界だろうから、いいのだよ。
こういう時代は、空騒ぎを眺めつつ勉強するしかないんじゃないでしょーか。
必ずRising Japanの時代は来るから、まあまあ悲観的にならずに。
一見悲観的な顔しながら、シレッと気にしないで行きましょう。
今日は、最近私が購入した「情報配信サービス」を紹介する。
Facebookに書いたことが多いですけど。
三橋貴明さんとこの事務所が販売してる「竹村公太郎の地勢歴史学講座—地形で読み解く日本史の謎」を購入したら、非常に面白かった!
竹村公太郎(1945-)氏は、東北大学大学院で土木工学を学んだ。
建設省(今の国土交通省)に入って、国の事業によるダム工事の責任者を歴任なさった。
官僚をしながら、ペンネームで建設関係の業界紙に寄稿。
歴史を人文学的観点ではなく、地形から考える「地勢歴史学」を独自に打ち立てる。
で、地形や土木工学やエネルギーの観点から、日本の歴史について考えた成果を、多くのご著書で発表してこられた。
ご著書は多いですよ〜〜
私が、まず読んだのは『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP, 2014)だった。
たまたま、この本を読んでいる時に、三橋貴明さんとこの「新 経世済民」で、竹村氏の講義動画が販売されていた。
で、つい購入してしまったというわけだ。
動画配信だと聴きながら他の作業ができるし。
トイレ掃除に洗濯物たたんで、炊事して……
眠れない時は聴きながら寝落ちして……
購入して聴いてみたら、ものすごく面白いんで、ついでに、11月に配信予定の別の竹村氏の講座動画も予約購入してしまった!
アホだ。
貧乏な年金生活者のくせに、アホだ。
で、内容の一部を、ちょっと横流しする。
地形や土木工事などのインフラから見る日本史!
人間関係がどーたらという歴史解釈は退屈だよ。
ダムの専門家が考察した日本史の謎!
(1)まず、江戸の堤防管理について。
江戸時代を舞台にした時代劇で、遊郭のある新吉原に行くには長い堤防を歩くでしょう。
昔の東映時代劇とかさあ。
あれ日本堤と呼ばれる。にほんづつみ。
隅田川沿いの日本堤を歩いて吉原に向かって男たちが行く。
あれは、ああやって堤の先に遊郭を作って、堤防を男たちに歩かせることによって、堤防を踏み固めさせてたんだってさ!!
堤防ってのは、人が歩いて踏み固める。
でないと、しっかりと硬い堤防にならず、洪水のときに役にたたないから。
江戸幕府は、堤防の先の土地に芝居小屋や料亭を集めた。神社を建てた。
堤防には桜を植えた。お花見お花見。
堤防には屋台も出た。
浮世絵の歌川広重の絵を見ればわかる。
人が堤防をいっぱい歩けば、モグラに穴開けられて決壊しやすくなる堤防の不備も発見されやすい。
すごい!
江戸幕府の官僚たちは、頭いい!!
(2) 比叡山延暦寺冤罪事件について。
竹村公太郎さんところに、ある日、比叡山延暦寺の高僧さん3人がいらした。
「織田信長の比叡山延暦寺の焼き討ちは、延暦寺の僧侶が妻帯して肉喰って酒飲んでるくせに偉そうにしてたからと言われ続けて、延暦寺の名誉は非常に傷つけられた。しかし、竹村先生の御本のおかげで400年ぶりに名誉が回復されました」って御礼を言われたそうだ。
織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちしたのは、なぜか?
京都に入るときに、どうしても逢坂を通過しないといけなかったけど、逢坂は山道。
もしここを織田軍が通過するときに、朝廷を守護する比叡山延暦寺(京の鬼門にあった)の山伏(増兵)たちに攻められたら、軍が壊滅するから。
大津の近くの逢坂を通過しないと、東から京都にはいっさい入れません~~
逢坂は京の鬼門で、鬼門を守るために比叡山延暦寺を桓武天皇が建立した。
ともかく、織田信長にとっては比叡山延暦寺は徹底的に壊滅しておきたかった。
逢坂の通行の安全=京都支配を確保するために。
そのために比叡山延暦寺のネガティヴキャンペーンを随分としたらしいよ、織田さん。
焼き討ち正当化のために。
騙された~~私も。
そりゃ、破戒僧もいっぱいいたろうけれども、真面目に修行していた僧侶も、もっといっぱいいたろうからね。
(3) 日本の平野は人工ということについて。
日本のもともとの地形は、山間部と、山から出る水が筋を作り、川となり、いくつかのいっぱいの川がヤマタノオロチ状に扇型に広がる湿地帯でできていた。
ほんと。
古地図見ればわかるって。
だから水田というのは山の低いところに作る棚田が普通だった。
段々畑のことだ。
平野部というのは、湿地帯を人工的に水はけの良い土地にして、耕作地にしたものだ。
関東平野も濃尾平野も広島平野も、実は人工的な平野。
人間が作ったんだ。
堤防作って、いくつもいくつもある川をまとめて、堤防作って、水が数カ所にまとまって流れるようにした。
それをしたのが江戸時代。
徳川政権樹立で平和になったんで、じっくり土木対策できるようになった。
江戸時代に日本の国土は増えたんよ。
湿地帯を、堤防作って数カ所に水が流れ込むようにして、他の土地の水はけ良くして埋め立てたんよ。
湿地帯を乾地帯にしたんよ。
そうして耕作地を増やし食糧生産力を高め人口を増やした。
現在の日本の堤防の99.9%は江戸時代に作られた。
何を言いたいか?
つまり、もともとが日本は湿地帯だから、洪水になりやすいよ!ってこと。
それが日本の国土の運命よ!ってこと。
日本は地震も洪水も火山も多いからさあ、将来は、もう巨大な浮島=海上都市を20個ぐらい日本列島の周りに作ってさあ、人間はそこに住んだ方がいいと思うよ、私は。
週末や休暇になったら、日本列島に遊びに行けばいいじゃないの。
(4) 忠臣蔵は官製テロ説について。
忠臣蔵も、やらせかあ!! あんなに上手く行くはずないもんなあ!
忠臣蔵というのは、実は徳川幕府がバックについてた。
吉良家と徳川家は、両家とも三河の大豪族で、戦国時代よりずっと矢作川と塩田をめぐって確執があった。
矢作川の上流にいた松平家と下流にいた吉良家は、矢作川という水資源をめぐって潜在的に敵対していた。
だけど吉良家は源氏の名門。
足利将軍家の血筋で朝廷と太いパイプもあった。
だから江戸時代に入ると、吉良家は「高家」になった。
田舎侍の徳川にいろいろ朝廷マナーを教えるのが高家の仕事。
プチ公家さんみたいなもんかな。
徳川が征夷大将軍になるには吉良家が朝廷に口をきいてくれないとダメ。
このとき、吉良家は徳川に意地悪したかもね……
何年もかかったし……
また吉良家は上杉藩とか薩摩藩のような外様と縁組して、徳川家の神経を逆なでした。
吉良家さん、ボンボン過ぎて不用心。
ともかく吉良家のこと徳川は大嫌い。
そこに起きたのが浅野内匠頭の刃傷事件。
これも変な事件だが……
徳川幕府はこっそりと赤穂浪士を支援。
半蔵門近くの麹町に浪士16人が潜伏していることを見て見ぬふりした。
これは、現代で言えば、警察庁の中でテロリストを隠してたのと同じこと。
半蔵門というのは、実はこここそが江戸城の正門なんですよ。
大手門じゃない。
半蔵門近くに浪人が潜伏できるはずない。
もっとも警護が厳重なあたりなのに。
つまり、ほんとは、赤穂浪士を匿っていたのではないの?
ついでに、幕府は江戸の吉良家屋敷を寂しい場所に移した。
それまでは江戸城のすぐそばだったのに。
そうして、故意に赤穂浪士が襲撃をしやすいようにさせた。
で、襲撃吉良家虐殺皆殺し成功。
47人で老人ひとり殺しました。
四七士は、江戸を練り歩き、徳川家康が建立した泉岳寺で切腹。
普通は、これすぐに逮捕されて、市中引き回しの上に、獄門磔の刑だろう、ほんとならば。
なのに凱旋パレードしたね。
日本津々浦々に忠臣蔵の話は広まり、子孫は忠臣の子弟ということで、みな各藩に取り立てられた。
一方、吉良家はお取り潰し。
被害者なのに家系断絶。
忠臣蔵って、いろんな説がある。
しかし、この竹村公太郎氏の説が一番納得できる!!
忠君仇討ちは、官製陰謀でした~~
歌舞伎も、みんな加担させられました~~
いまだに忠臣蔵は美談とされている。
だいたい、江戸時代にお取り潰しになった藩は多いけど、藩士がお家再興を願って、殿様の無念を思って決起したなんて例はない!!
そんな暇か、みんな。
大石内蔵助は幕府とつるんでましたね……
(5) ピラミッドは堤防説について。
これはカイロ大学の教授も認めた仮説。
日本史の謎ではないけど、番外編。
ピラミッドは何のために建てられたのか?
エジプトのピラミッドは、ギザの3基のピラミッドだけが知られているが、実は砂に埋もれた100基以上のピラミッドがあって発掘中。
ピラミッドはすべてナイル川の左に建てられている。
ナイル川の左岸は砂漠。右岸は山脈。
つまり、ナイル川の氾濫のときにピラミッドが水を堰き止め、川が運ぶ土砂を集めた。
つまり、ピラミッドは堤防の代わり。
ただしギザのピラミッドは、ナイルのデルタ地帯の台地の上に立ってる。
6000年前は海辺。
このデルタ地帯は寒冷期になって水が引いた時に湿地帯のデルタになった。
古代エジプト人は、ここに他のピラミッドが集めた土砂を運び埋め立てて豊かな土地にした。
ギザのピラミッドは、最初は大理石が貼ってあって鏡面作り。
3つのピラミッドの側面が反射しあってピカピカ光り、遠くから見えるように作られていた。
それは広い広いデルタ地帯におけるランドマーク。
古代エジプト人は、このギザの互いに光る3つのピラミッドで方向を確認した。
ピラミッドは、古代エジプト人にとって絶対に必要な建築物だった!!
古代エジプト人の土木作業能力すごい!!
堤防造成が河川の氾濫を防ぎ、かつ有効活用できるって、古代エジプト人も日本人も、どうやって知ったんだ? すごい!!
(6) おまけ—堤防の作り方
からみ工法。
氾濫しやすい河川の近くに、蔦をからませた材木ををガンガン植える。
河川が氾濫したときに、その蔦に土砂が絡みつく。
その土砂が溜まり溜まって堤防になる。というか堤防のタネになる。
そのタネの上に更に土をガンガン重ねて堤防にする。
そこの上に人間を歩かせて踏み固める仕掛けを作る。
前に書いたように、堤防の先に遊郭作ったり神社を建てて、お祭りもそこでする。桜植えて名所にする。人が集まる仕掛けを作る。
考えた人は天才!!!
人間と自然との闘い。人間の知恵と自然との闘い。
ということで、最近の私は、竹村氏のご著書のおかげで、地勢歴史学講座動画のおかげで、「地形」という新しい視点をいただきました!
ありがとうございます!!
本日のノルディックウオーキング散歩のおりにも、近所の池の由来についてついつい調べてしまいました〜〜♬♬
まあ、念願のイスラエルに行っちゃったからね。
もう行きたい外国ないんよ。
来年は、日本をいろいろ探検するつもりだ。