本日は2017年11月14日火曜日である。
雨だ。
冷たい雨に打たれて〜〜街をさまよおおったわ〜〜♬♬
ところで、先日の11月12日日曜日に中学の同窓会に行った。
1952年4月から1953年3月生まれの同窓会である。
50年ぶりに中学の同窓生たちに会った。
女性は、みな旧姓で呼び合う同窓会。
年賀状のやり取りをしている女性は1人だけいて、互いの結婚式にも出席しあっていた。
それでも久しぶりなので、彼女に会っても瞬間にはわからなかった。
でも白い肌の綺麗な点が変わらず、すぐにわかった!
彼女も私がわからなかった。
名乗ったら、「面影が残ってる!!」と言われた。
面影ってさあ……
男性は1人以外は、まったくわからなかった。
みんな似た顔のオッサンに見えた。
名前を言われてもわからなかった。
わかったのは、番長やってたゴツい体つきの男性だけだった。
顔が同じだったから。
中学生時代から迫力あるおっさん顔だったんだな。
ならば、当時は怖かったはずだ。
私は、50年ぶりに再会した同窓生を大いに幻滅させたようだ。
「太っちゃって!!もっと痩せなきゃ!!」と馬鹿にされた。
出席者の中の数人が中学の卒業アルバムを持参していた。
そのアルバムの集合写真に写っていた私は確かに非常にホッソリしていた。
顔も細くて小さい。
ありゃ……これでは誰も私がわからないはずだ。
けっこう可憐な(美)少女だったんね、私は。
ほほほほ。
ここ20年くらいは私は「チャーチルみたいになって!!」と家族に罵倒されてきている。
なんだよ、チャーチルって。ヤルタ会議に出たことないぞ。
最近は、「せめてペギー葉山でいてちょーらい」と言われている。
意味不明だ。
私は度重なる引越しのために、中学の卒業アルバムも、高校の卒業アルバムも、大学の卒業アルバムも消えてしまって久しい。
母の死後にサッサと実家を業者に依頼して解体してもらった。
ついでに実家の家財道具も全部処分してもらった。
1998年当時で200万円ちょっとかかった。
仕事が忙しくて、実家の家財道具の整理とか自分でする時間も体力もなく、業者に丸投げした。
そのときに処分してもらった物の中に、卒業アルバムの類いは入っていたのだろう。
しかし、私が生まれる前の父の実家に遺されていたアルバムや自分の子供時代のアルバムは、まだちゃんと手元にある。
大事に保管してある。
ということは、つまり、1998年当時の私にとっては、卒業アルバムなど無価値であったので、持ち出さなかったんだな。
かわいそーな卒業アルバム。
でもやっぱり、卒業アルバムは、今でも私にとっては無価値だ。
学校なんて、私には通いの緩い刑務所だったので、学校時代のことはどうでもいいのだ。
真の人生は学校から解放されて始まる。
ともかく、「同窓会」というのは、不幸な人や問題を抱えている人は出席しない(と思う)。
仕事で多忙な場合も週末はへばっているので出席しない(今までの私がそうだった)。
だから、先日の「同窓会」も、出席者はそこそこ余裕のある幸せな人たちだ。
だから、同窓会そのものは和気藹々と明るく楽しいものであった。
ひとりひとりの自己紹介と近況被告のあとには、カラオケも出た。
卒業後にスクールメイツに入団していて、今でも「営業活動」して行事のあるときに歌っているとかいう女性は、カラオケで非常に巧みに演歌を歌い喝采を浴びていた。
スクールメイツってご存知ですか?
昔、歌番組が隆盛で、歌謡曲全盛の時代に、歌手の後ろで踊っているグループがいました。
某芸能プロダクションが公募で選んで結成した若い人たちだけのダンシング・チームです。
歌手やタレントの登竜門でした。
かの「キャンディーズ」もスクールメイツ出身だ。
なあああーーーんと、私の妹も入団試験を受けようとしていた。
オーディション時間と会場のお知らせ葉書が届いているのを私が見つけて、母親に言いつけて、阻止した。
アホか。芸能界に入れるような器量か!!
地元のミスコンでさえ、予選にも残らんわ。
それはさておき。
スクールメイツかあ!!
へーーあの中に同窓生がいたんだ!
カラオケといえば、私が中学生の1960年代後半にはカラオケはなかった。
インターネットもなかった。
携帯電話もスマートフォンもなかった。
大学進学率は30%もなかった。
女性は進学でも、短期大学がほとんどであった。
当時の一流企業は女性社員は高卒しか採用しなかった。
だから、私の同窓生の女性は高卒で丸紅飯田とか伊藤忠とかに採用された。
そこで知り合った人と職場結婚して寿退社して、専業主婦になるのが普通だった。
東京三菱UFJは合併していなくて、東京銀行と三菱銀行と東海銀行と三和銀行だった。
1ドルは360円で固定されていた。
TVはモノクロームだった。
地上波しかなかった。
NHKと「朝日新聞」は信頼されていた。
トイレは、やっと水洗トイレになった。
電話は普及しつつあった。
クーラーが家に来た時は大喜びした。
昭和40年代の前半だった。
東名高速道路が開通したのは1968年昭和43年であった。
先日の中学の同窓会に出席し、同窓生の話をいろいろ聴きながら思ったことは多かった
そのひとつは、「人間の資質は中学の2年や3年で全ては出ているのかもしれないということ」だった。
カラオケで歌う元同窓生に拍手しながら、私は、今の私自身の64歳の目で、記憶の底から浮かび上がってくる当時の同窓生を眺めてみた。
すると、現在の姿は予想外ではないと感じた。
大家族に嫁し、お嬢さんたちを育てながら、義理のご両親や、義理の伯母さんを全てきちんと介護して看取ったAさんは、中学生の頃からおおらかで親切で人間が大きかった。
結婚時点で、独身の大伯母さんがいることは知っていたので、長男の嫁の私がお世話するのが当然だと思っていた。でもまあ、お姑さんは、なかなか気難しい人で難儀したと、笑顔で語っていた。
でも、その目は潤んでいた。
一時期は大変だったに違いない。
Bさんは、永平寺系列の大きなお寺の住職夫人であるが、14歳時点ですでに、情緒安定した落着きのある女性であり、色白な丸顔が実に温厚で品があった。
感情を顔に出さない静かな笑顔で、檀家の方々ともうまくお付き合いしておられるのだろう。
他県某市の共産党選出の市会議員を勤めるCさんとは、別のクラスだったので話したことはないが、私にとっては印象に残る人だった。
あの年頃の女の子のキャピキャピしたところが微塵もなく、尋常でなくマイペースであり、少女時代から安定感に満ちた女史風であった。
「マルクスの『資本論』読みましたかあ?」と私は質問してみた。
「読んだことないです」と即座に返事が返ってきた。
正直な人だ。さすが私の中学の同窓生。
小賢しく「読んでも歯が立たなくて……」と言うカッコつけさえしない。
『資本論』を読んで理解できる人が、私が出た中学にいると思えんわ、ほんと。
成績が一番良かった男子のDさんは、その後国立大学に入り、卒業後は大銀行に入り、外国為替部門を担当し、今でも銀行のコンピューターシステムを担当する会社に再就職して現役である。
当時のいかにも怜悧な秀才は、今でもクールな金融マンであった。
某市役所に就職して今は悠々自適のEさんは陽気で洒脱な若々しい紳士であるが、その彼の姿の向こうに甲高い声で話す小柄な少年が見えて来た。
そういえば、あの小さい少年は、ケロッとあっけらかんと陽気で飄々としていて、いつも機嫌が良かった。
いつも機嫌がいいという資質が稀有なものであるということは、今の私ならわかる。
あの少年ならば、どの組織に入っても、人々の間を軽々と明るく泳いで行けるに違いない。無駄に敵など作らないに違いない。無意味に自説にこだわることもないに違いない。
そうかあ……
人間は、中学の2年や3年で、すでに自分の未来を体現しているのかもしれない。
洞察力のある人ならば、ひとりの中学生を眺めて、彼や彼女の未来を幻視できるのかもしれない。
私は、今の私から、中学時代の私自身を見つめてみようと記憶を探ったけれども、無理だった。
人間は自分のことは見えない。
現にかつての同窓生の記憶の中の私の像は、私自身が記憶している私自身の像とはかなり違った。
中学時代から更年期障害みたいに体調が悪かった私にとっては、中学時代も面白くなかった。鬱屈が多かった。頭も言語道断に悪かった。孤独だった。
が、同窓生の記憶の中にある私は、そうではないのだ。
かつての私について言及されると、「誰のことを言ってんの?」であった。
うーん……ひょっとして、私って中学生時代もすっごく幸せだったんかしらん?
ともかく、みんな元気で良かった。
正直言うと、誰が誰だかわかんなかったけれども。
それでも後ろ姿の腰の高いスタイルの良い女性の同窓生を見て、「あ!ナントカさんだ!ナントカさんだ!!そういえば、ものすっごくスタイルのいい同級生がいたわ!」と思い出したりした。
遠い遠い記憶の中で、いろんな中学生が蘇ってきた。
どこから浮上してくるんか?と思えるほど、いろんな中学生の姿が見えてきた。
人間の五臓六腑は、全細胞は、その人間が体験したこと、感じたことをすべて記憶として保存しているそーだ。
2017年4月から7月までテレビ東京で放映されていた土曜ドラマ『マッサージ探偵ジョー』で、そう言っていた。
「マッサージ探偵」の青年ジョーは、被施術者の身体をマッサージして、彼や彼女の内臓に刻み付けられていた記憶を見て、事件の真犯人や事件の真相を解明する。
「謎がほぐれました!」とか言って。
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デブで小柄な「小門未知子」も出てきます。
あの「逃げ恋」の『逃げるは恥だが得になる』(だっけ?)の平征(ヒラマサ)さんが、とんでもない姿で登場します。
ガハハハ〜〜
何の話か。
つまり!
忘れているようでも、人間の細胞や内臓や身体は、全てを記憶しているのであるからして、ときに自分の内臓に細胞に語りかけてみようということであります。
あなたが忘れていても、あなたの視神経が覚えているかも。
あなたが忘れていても、あなたの胃壁が覚えているかも。
あなたが忘れていても、あなたの肛門が覚えているかも。
だから、お風呂の中で、肛門も優しくマッサージというか、指圧してあげましょう。
そうするといいですよ、と鍼灸師の秋保良子氏に教えていただいたとよ。
はい、そうします。
カラスでさえ、会うたんびに挨拶してると、ゴミも漁らないし、襲ってこないそうだ。
ましてや、あなたの内臓や細胞ならば、あなたと対話出来ないはずがない。
自分の身体との付き合い方を、あらためて教えてもらった同窓会であった。