[225] 天照大神でさえ引きこもった

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本日は、2017年12月4日月曜日だ。

とうとう2017年も最後の月になってしまった。

今日は、朝刊に掲載されている身の上相談について書く。

今日の『毎日新聞』朝刊の身の上相談は、こういうものであった。

36歳の男性から、奥さんがひ弱で、どうしたらいいかわからんという相談である。

もうお守りするのも疲れたという相談である。

で、それに対する作家の高橋源一郎氏の回答がこうである。

この回答はすごい。

要するに、回答の肝は、「奥さんの好きなようにさせておくしかないでしょう、離婚する気がないならば」ということだ。

言い換えれば、奥さんは、今は生きている気がしていなくて疲れているのだから、疲れが取れるまで待っているしかないでしょ〜〜と答えている。

実に適切な回答だ。高橋さん、すごい!!

あのね、この奥さんは、日本の女性には結構多いタイプだ。

わがままとかひ弱とか言われたら、それはそうなのだけれども、この奥さんは、遅ればせながら、自分の気持ちに正直に向かい合ったのだ。

こういう女性は、わりと、子どもの頃から良い子で素直で親の言う通り、先生が期待する通りに生きて来た。

自分のほんとうの気持ちを問う前に、外部の要請に従ってきた。

だからこそ、今の非婚晩婚時代に、結婚もできたのだ。

普通ならば、自分に正直に生きていると、結婚は遅くなるし独身も当たり前だ。

他人を自分の人生に引き入れるのはリスクが大きいからね。

判断を間違えて、とんでもない人間と関与したら人生を潰される。

バツ1なんて、普通の当たり前のことだ。

1回で済んでるとしたら、たまたま運が良かっただけだ。

ともかく、この種の奥さんは、自覚はなくとも、他人の期待に応えて生きてきた。

ところが、やはり人間だから、他人の要請にばかり従っていると、疲れてくる。

自分自身の充実感はない。

いつも、やらされてる感じだ。

我慢してご期待に応えてるから被害者意識が蓄積される。

人間って、特に日本人なんかはボケっと生きてこれるので、自分の気持ちをとことん問い詰めたりしない。

だけれども、いくら鈍い人間でも、30代くらいになると、自分の心に問いかけるようになる。

「これは、私がしたいことなの?ほんとに?」と。

ほんとは、子どもの頃から始めるべき自分への問いを30歳過ぎてするはめになる。

この種の女性は、結婚についてすらも、「ほんとに、私はこの男でいいのか?この男が世界中を敵に回したら味方できるか?この男の子どもを産む気があるのか?この男の親族とつきあう気があるのか?」と自分に問わなかった。

いや、ほんとそうだって。

特に不快でもなく、職業も学歴も家柄も悪くないなら、特に相手のことが好きじゃなくても結婚するのが日本の女の子だ。

私の従姉妹なんか、結婚式1週間前に破談にした。

「よく考えたら好きじゃなかった」が、破談理由だった。

プロポーズしてくれた男性の条件が良かったので、断る理由もないし、有利だしということで婚約したけれども、よくよく考えると相手の男性といっしょにいたいわけじゃないということだった。

親戚みんな驚いたが、私はさもありなん……と思った。

こーいう事例は結構あると思う。

従姉妹の場合は結婚前に自分の気持ちに気づいたから良かった。

しかし、気づかずに、結婚する女性も多い。

そのうち、子どもが生まれて、いろいろ忙しくなる。

責任重大だ。

疲れる。

鬱っぽくなる。

なんで気持ちが沈むかわからない。

子育てはしんどいが幸福感いっぱいのはずなのに。

ともかく疲れる。

子供の頃から、何かに追われてここまで来た。

忙しかった。

忙しいままに、結婚生活に入り、子どもが生まれて、もっと忙しくなった。

すっごく疲れる。

寂しい。

生きている気がしない。

もともと深く考えてきたわけではない。

外部の期待に精一杯応えてきただけだ。

自分で当事者意識を持って選んできたわけではない。

覚悟があって生きてきたわけではない。

それでも育児は待った無し。

さらに鬱になり、とうとう身体が動かなくなる。

鬱になったら、休養しているしかない。

心療内科に行って変な薬を処方されたら、ほんとに病気にされる。

もう、何もせずに、休みながら、自分の生きてきたプロセスを振り返って、時間かけて心を修復するしかない。

この心の修復に、まず最短で半年はかかる。

そういう静かで自由な時間を奥さんが過ごし、奥さんが自分で自分の道を行こうと心に決め、主体的に自分と家族の生活を創って行こうと思えるようになるには、おそらく1年くらいはかかる。

その静かで自由な時間を奥さんに提供できないならば、奥さんの鬱は治らないだろう。

鬱の原因は、深い疲れだ。

蓄積された疲れと自分の人生を自分で作ってこなかったことの抑圧。

その疲れが癒えるのに1年は長くない。

身体の疲れよりも、心の疲れは癒されるのに時間がかかる。

その時間を奥さんに提供できますか?

と、回答者は相談者に問うているのだ。

いい子ちゃんは、こうなる危険があるよ。

天照大神でさえ、高天原の政争に疲れて、天の岩戸にお隠れになった。

要するに、鬱になって引きこもった。

いい子ちゃんのお姫様のお嬢ちゃんだったので、高天原における自分の配下の者たちと弟の素盞嗚尊の間の対立に、どうしたらいいかわからなくなってしまった。

で、お隠れになってしまって、多くの人々が右往左往した。

女の子というのは、デキがいい子ほど、こうなる。

その点、私のようなデキの悪い女は、お隠れにならない。

他人の期待に応えるより、まずは自分の気持ちが優先する。

学校なんて、テキトーに行っておけばいいと決めて、ズル休みして家でTVを見てる。

宿題なんてしない。

幼稚園は中退してる。

習い事は全滅。学習塾も不登校。

小学校も中学校も欠席は多かった。

高校は2年の秋から確信犯的にプチ不登校だ。

出席日数さえクリアすればいい んだよ。

大学も欠席が多かった。

大学院は修士課程2年を3年かけてる。

博士課程3年を4年かけてる。

馬鹿だもん。

馬鹿のくせに無理して頑張れる能力もないし。

「なんでもっと真面目に生きないの?」と母が枕元で言った。

真面目に生きるって、何だよ、それ。

犯罪を犯しているわけじゃないのに。

私は自分の本音を知っていた。

好きにフラフラと自分がしたいことだけしていたい。

好きにフラフラと自分がしたいことだけしつつ食って行くにはどうしたらいいのか?

大学の教員が自由時間が多そうだし、世間と付き合わなくてすみそーだ。

別に研究者になりたかったわけではないし、研究したいこともなかった。

教育なんて、できるはずない。

伸びる奴は勝手に伸びるだろ。教師のせいじゃないよ。

教育サービス労働者として最低限の労働をこなすことだけはした。

ということで、デキの悪い女の子は、デキの悪い大学教員として食って、無事に退職して、今やデキの悪い無職である。

他人の期待や要請に応じて生きる能力はないし、そんな利他的志向は全くない。

したくないことは極力しない。

つきあいたくない人間とはつきあわない。

打算しない。自分の好みが優先。

下手な計算は休むに似たり。

だから、無理を重ねて、勤務時代に入院することもなかったし、鬱病になることもなかった。

夫に向かって「ここは私が幸せになれる場ではない」とメソメソ泣きながら訴えたこともない。

何が言いたかって?

要するに、引きこもりはマメにしとけ!ってことです。

まとめて引きこもるよりも、マメに引きこもっている方が実害が少ないよ、ってことです。

世間なんかとまともにつきあうことはないの。

世間なんて、アホなんだから。

まともにつきあってると、こっちが保たない。

天照大神だって、引きこもって「自分はどうすればいいんかなあ」と考えて心を休ませる時間が必要だった。

普通の人間ならば、なおさら、「ちょっとこの浮世から抜けます」と逃げて引きこもる時期が必要だよ、ということです。

それか、私のように、マメに勝手に不真面目に、もろ無能に、浮世からの逃亡活動を頻繁にいたしましょう、ということです。

ということで、私は目のお灸をいたします。

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