本日は2017年12月9日土曜日である。
昨日は驚いた。
東京は深川の富岡八幡宮という、そこそこ有名な神社の女性宮司さんが、弟に日本刀で殺害されたというニュース。
Facebookには、殺害された女性宮司さんのBlogが紹介されていた。
https://ameblo.jp/tomiokashrine/entry-12334480912.html
なんか、宮司さんばかりの集まりの忘年会に行ったらジジイの宮司さんたちにセクハラされたという内容の記事が最後であったようだ。
この女性宮司さんの弟は代々の神官のお家の長男に生まれたのに、中学生時代から不良で賽銭泥棒であり、素行の悪さには定評があり、姉に脅迫状を出したりして、宮司をやっていられなくなったそうだ。
で、この弟は、生業に就て地道に働く能力もないので、宮司に戻りたくて、しかし戻れず金に窮して、脳がおかしくなり、姉を殺害して自分自身をも刺して死んだそうだ。
どこの家でも何らかの問題をかかえているだろうけれども、こんな事件を起こすとは、この宮司さんのお家は、よほど神様のお怒りを買ったのだねえ。
で、このような流血騒ぎに穢された富岡八幡宮は、どうやって浄化されるんかしらん?
水晶のアクセサリーの浄化は、こんな風にすればいいけどね。
この浄化シートは、例の「舌はがし啓蒙活動リーダー」の平井幸祐氏よりpdfファイルで送っていただいたものを、プリントアウトしたものだ。
インドのサイババさん考案の浄化シートらしいです。
ネットで検索すると見つかるらしいです。
水晶というものは吸い込んでくれた邪気とかを中に閉じ込めるので、濁りやすい。
その濁りを取るのに、いいそうだよ、このシートは。
平井カリスマは、摩訶不思議なことを、いっぱいご存知である。
話を元に戻す。
要するに私が言いたいことは、大きな神社でも寺院でも教会でも、そこを管理する聖職者は必ずしも神仏や聖なる大いなる存在を信仰しているわけではないということだ。
まあ、それはわかる。
長年、教師をやっていた私は、教育の力など信じていなかったからなあ。
教えることは、単なる生活費獲得活動でしかなかったからなあ。
まあ、他に食べる手段がなくて神仏ビジネス参入しましたという人々がいることは、わかる。
だけど、神仏ビジネスのサービスを提供する人間が、自分へのサービスを強要しちゃいかんよね。
カトリックの神父たちが、少年相手に性的虐待をしてきたことは周知された。
バチカンの法王が謝罪したぐらいだ。
私の昔の教え子さんの女性のお家は、代々カトリックであるが、幼い頃に下半身を露出した神父から、扇で風を送るように命じられたそうだ。
どこに風を送れというのか。
キッモいわ、変態!!
成長してから、そのことをお母さんに告白したら、「あなたの記憶違い、勘違いでしょう」と相手にされなかったそうだ。
どーいう記憶違いか?
勘違いで、そんなこと告白するか?
お母さんは、神父さんがそんなことするはずない!と信じたかったのでありましょう。
お母さんは、神父がそんな変態では、私の信仰はどうなるの!?と思われたのでしょう。
信仰と宗教組織におけるヒエラルキーは関係がないのだよ。
変態神父を弾劾したって、信仰が穢れることはないのだよ。
教会が消えても、信仰が消えることはないのだよ。
もう、いい加減に、人間は宗教組織に騙され利用され搾取されることを拒否すべきだ。
教会や寺院や神社がなくても、自分の心の中に自分の聖なる社を建てればいい。
建物は建物に過ぎない。
宗教心と宗教施設は別物だ。
宗教心と宗教組織は別物だ。
教祖さんなんか、はっきり言って、口舌の徒でしかないだろう。
まあ、百に1つぐらいは、信者の悩みを当てたり、運命を当てたりすることはできるのだろう。
でも、だから何だと言うのか。
実際のところは、その人間の人生を好転させるのは、その人物の努力や気持ちの持ちようだろう。
教祖さん、関係ない。
そんなに霊験あらたかならば、あんた、北朝鮮のミサイルを落としてよ。
中国の南シナ海に作った基地を沈めてよ。
原子力発電所の放射性廃棄物の毒性を無化する技術を開発してよ。
イスラエルとパレスチナ自治区のいざこざを治めてよ。
世界中に石油が採れるようにして、世界中がエネルギーを自給自足できるようにしてよ。
自給自足できれば、戦争も起きないんだからさあ。
そんなこともできないのに、なにが教祖だ。
芋食って寝てろよ。
予言して何かやったような気になってんじゃねーよ。
神仏の教えを説くことを生業にしているからといって、実際に街の清掃する人や、デリバリーのピザを配達する人ほどにも社会に貢献していない。
神仏の教えを説くことを生業としている人々だからといって、神仏に近い生き方をしているとは限らない。
21世紀は暴露される時代だ。
だから、21世紀は聖職者と言われる人々の実態もバレる時代なのだ。
神様のことを考えていたい?
身近に感じていたい?
そんなこと自分でできる。
本もあるんだしさあ。
自分の収入の1割も2割も宗教組織に寄付することなんかない。
初詣のために、凄まじい数の人々の波の中に入ることなど、くだらないことだ。
インフルエンザが伝染するわ。
ほんとうに神仏に近くありたいならば、神仏を商売にするような類の人間の繰り出す下手なお芝居なんかに木戸銭を払うのはやめる。
私は、神社に行くことは好きだが、参拝する神社に神様がいなくても構わない。
神気なんて全くなくても構わない。
なんということはない土地でも、多くの人々が祈りや感謝を捧げれば、そこが聖地になる。
たとえ、そこが寄付や賽銭を着服して無駄な奢侈に費やすよう脳足りん宮司しかいない神社でも、そこに神様がいると信じて敬虔な祈りを捧げる人々がいれば、そこは神の社になる。
私が祈った場所が聖地になる。
祈るときには、人間はたった独りで目には見えないが大きな存在の前に立っているんだ。
伊勢神宮も行きたいけど、あの混雑を思うとうんざりだ。
内宮をギャアギャア騒いで歩いている人々の群れの中に加わる気がしない。
何度も参拝した伊勢神宮の道やお社を脳内に再生している方がいい。
まあ、神社なんかに行くと、ずううううううううっと本殿の前に立って、ずううううううううと、なんかブチブチ言ったり頭垂れたりしてる人がいるけどさあ。
あんたみたいな小さな人間の思うことなんか、もし神様がいるとしたら、お見通しなんだから、グジャグジャいつまでも突っ立ってんじゃないの。
ほんとに、もうそーいう神を使役して自分に都合よく動かそうとする姿勢が卑しいし怠惰だわ。
祈ってる暇になんかできるだろう。
断捨離とか資源ゴミ整理とかさあ。
寺院消滅とか言われる。
宗教消滅とかの本もある。
でもねえ、問題は宗教組織じゃない。
人間が集まって組織作れば、だいたいが、ろくでもないものになるに決まってる。
何よりもダメなのは、そういう神仏詐欺に依存してしまう私たちの心のありようだ。
だから悪徳教会や悪徳寺院や悪徳神社に騙される。
自分の心の中に神社や教会やでっかい壮麗な寺院を建てればいい。
もう神仏ビジネスの欺瞞はバレてしまった。
神仏ビジネスのプロじゃなきゃいけないってこともないだろ。
お経も祝詞も自分であげればいい。
DIYよ。Do it Yourself!
全知全能の神ならば、あなたの勝手なデタラメな祝詞でもお経でも、趣旨は理解してくださるだろう。
ま、今回の深川の富岡八幡宮事件は、日本人が自分の心の中に神社を作ればいいんだ……と覚醒するいい契機になるかもしれない。
といっても、来年のお正月も、富岡八幡宮は初詣客でいっぱいになるだろう。
多くの人々が敬虔な気持ちで祈れば、きっと浄化されるよ。
知らんけど。