[230] 脱一家心中メンタリティ

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本日は、2017年12月13日水曜日である。

今日はBlog記事を2つ書いちゃう。

今朝の新聞にこんな記事があった。

仙台市で2015年に当時19歳だった少年が、父親からDVを受けている母親をかばって、父親を刺殺したという事件の裁判員裁判が近いのだそーだ。

で、その裁判では、「面前ドメスティックバイオレンス」の影響というものが焦点になるのだそーだ。

面前ドメスティックバイオレンス?

「夫婦間の激しい家庭内暴力を子どもに目撃させること」だそーだ。

「心理的虐待」と規定されているそーだ。

で、「面前DV」で健全な人格が育たなかったことが、量刑に反映されるか注目が集まっているそーだ。

子どもの頃から、母親が父親に暴力を受けていて、それを見て育ってきたので、精神的におかしくなっているから、殺人の責任は問えないと裁判員が考えれば、尊属殺人と言えども、刑は軽くなるということらしい。

私が思うことは、いい加減に「一家心中メンタリティ」から抜けろよ……ということだ。

父親が母親に暴力をふるう。

そりゃ見てれば辛いに決まっている。

だけど、しょせん、そんなの他人がやってることだ。

父親と言っても他人じゃないか。

それも、相当に馬鹿な類の他人だ。

暴力を振るわれている母親は、かわいそうではある。

が、自分に暴力をふるう男から逃げない女というのも、相当に変わってる。

いや、馬鹿でしょ。

母親といっても、自分ではないのだから、他人だ。

父親で母親といっても、いつもいつも暴力沙汰を見せて、子どもの心を傷つけている馬鹿な人間たちだ。

高校生ぐらいになったら、いくらなんでも、「僕の親は馬鹿である」と気がつかないだろうか?

馬鹿な人間といつもつきあっていると、自分も馬鹿になるよ。

ほんとうだ。

付き合う人間は選ばないと。

親兄弟だろうが親族だろうが、他人だ。

自分じゃないんだからさあ。

ほんとうは、この少年はサッサと家出すべきだった。

家出の準備を淡々と冷静に冷酷に遂行すべきだった。

馬鹿な親など放置でいいのだ。

そんな馬鹿な親の人生に対して責任を感じる必要は全くないのだ。

人間は自分で自分を幸福にする義務がある。

自分で自分を幸福にできない両親は、親でも放置するしかない。

誰も助けてあげることはできない。

助けてあげられると思う方が傲慢で思い上がっている。

100歳近くなって老化しきって認知症ってわけじゃないんだからさあ。

もしくは、この少年は、親元にいたとしても、断固として馬鹿親の影響を受けまいと、両親が激突するのを冷たく眺めて、受験勉強とか自立できる技術の習得に集中すべきであった。

なんで、こんな「一家心中メンタリティ」になるかね?

不思議だ。

自分は自分じゃないか。

自分の人生を潰してまで、馬鹿親をかばう必要はない。

子どもにかばわれなきゃいけない大人って、何だ? 情けない。

私が子どもの頃に、母が「今度、戦争が起きたら家族みんなで死ぬしかない」と言った。

私が「私は1人でも生き残るから」と答えた。

父も「俺もいやだ。戦争なんかに殺されるわけにはいかない」と答えた。

母は、ビックリしていた。

家族は大事だ。当たり前だ。

だけれども、それは自分が大事だから、自分の拡大としての家族が大事だということであって、家族に自分を溶解させるという意味ではない。

馬鹿な家族のことをいろいろ心配しても、馬鹿な家族が良くなるわけではない。

家族であっても、ひとりひとりの運命は違うのだ。生き方も価値観も違うのだ。資質も違う。

親が不幸の脳足りんだからといって、自分まで不幸の脳足りんやらなきゃいけないって、誰が決めたのか?

誰だって、自分の人生は自分で引き受けて生きるしかない。

家族に幸せにしてもらおうと思う人間は、異常にサイコに厚かましく怠惰で寄生虫だぞ。

自分で自分のことぐらい責任を持って幸せにしろ!

そりゃ、この「当時19歳の少年」は可哀想ではある。

親は選べないからねえ。

たまたま自分の親が両方とも脳足りんであり、子どもに正常な家庭を提供することができない未熟すぎる人々であると認めることは、辛いことだ。

でも、救いはある。

だって、彼と彼女は自分じゃない。他人だもの。

他人がデキが悪いだけだ。

関係ないわ。

そんな基本的に関係ない他人に自分の人生を侵食されることはない。

離れればいい。

拒否すればいい。

逃げればいい。

遺伝子の呪縛なんかねーよ。

親が馬鹿でも先祖の中には立派な人だっていっぱいいたんだぞ。

血縁とか血脈とか、そんなもんどうでもいいのだ。

この少年が、せめて高校時代に、そのことに気がつく機会があれば良かった。

アホ家族と一家心中しない生き方をしている大人とか友人に出会えれば良かった。

自分の人生に害にしかならん家族は捨てていいと教えてくれる本を読んでおけば良かった。

一家心中なんて人間の死に方じゃない。

1人の個別の人間の尊厳を踏みにじる悪魔の発想だよ、それは。

せめて、アイン・ランドの小説でも読んでれば、この「一家心中メンタリティ」から自分を解放することができたろうに。

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(備考)

あ、この最後に紹介している『利己主義という気概」(ビジネス社、2008)というアイン・ランドのエッセイ集はすでに絶版です。

哲学的政治思想的エッセイだもん。売れるわけない。

読みづらい。

すみません。

元の価格は2000円+税でした。

今のamazonでは、3500円という値段がついています。

再販される可能性は当分ないでしょう。

日本の出版状況は大変ですもん。

私は、新品の『利己主義という気概』を、それなりの冊数保管しております。

どうしても読みたい!とご希望の方は、ご連絡ください。

別に読まなくていいですけど。

それでも読みたい!という方には、送料込みで2000円でお分けいたします。

ご連絡は、akirakatoh20040704@gmail.com にお願いいたします。

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