本日は、2017年12月14日木曜日である。
いつも私が読んでいる某神道系霊能者さんの「伊勢白山道」というBlogにようなある意見が書かれていた。
以下は、そのブログ記事に書いてあったことのフジモリ流勝手な要約だ。
「親に虐待されたり、酷い目にあうと、子どもは親を憎んで、老後の親に援助もしなかったりすると、「霊的な縁」ができてしまって、その馬鹿親と、来世でも縁ができてしまう。そういう馬鹿と縁を切るために、できるかぎりの援助をして、霊的な縁を切っておくのがいい。そういう馬鹿の子どもと生まれたことは、前世からの縁だから、あなたに全く責任がないとは言えないのであって、今世で縁を切っておくために、やれるだけのことをしておこう。貸しをうんとしておけば縁が切れる。清算しておきましょう」
この霊能者さんの意見って、法外に理不尽に見えるかもしれない。
損得に敏感な類の「一種のアメリカ人」なら絶対にわからない見解だ。
でも、私には、よくわかる。
前の記事では「一家心中メンタリティ」を批判したけれども、私がこの霊能者さんのこの意見に賛同することと、それは矛盾しないのだよ。
自分の馬鹿親が老後に病気とかで困ってる時に、(さんざん酷い目にあったけど、今は余裕のある)子どもが面倒みることは、「一家心中メンタリティ」ではない。
一家心中メンタリティは自他の区別がついていない。
しかし、以下のような姿勢には、親という他人への適切な距離がある。
「こいつはトコトン馬鹿だけど、この人たちの子どもとして生まれたことは、やはり私はこの人たちに相当に縁があるのであろう。ひょっとしたら、前世で私は随分とこの人たちに迷惑かけたのかもしれない。この人たちに親切に優しく対するのは無理だけど、カネは出そう。やれるだけのことはやろう。悔いは残さないでおこう。この悪縁の精算をさせてもらおう」と思い心に決めて葬儀まできちんとやり通す姿勢は、望ましいものだ。
マゾヒスティック?自虐的?
そうかなあ。
私は、なんか理不尽だなあ……こいつにこんなふうに扱われる筋合いはないなあ……と思うような人間関係に巻き込まれても、あえていちいち抵抗せずに、損を引き受ける傾向がある。
どうせ長く続く人間関係ではないのだから、やれるだけのことはやっておこう。
その方が、その人物と別れる時に悔いなくサッパリ別れることができる。
もっと、してあげられることがあったのではないか?と後悔することがない。
と、思う傾向が強い。
親切なんじゃない。
優しいのではない。
他人にしてもらうより、してあげる方が気楽だ。
別れるときにサッパリ忘れられる。
ご縁が切れる。
私に迷惑かけるような類の人間は、誰にでも迷惑かけているに違いないんで、いずれ結果は出る。
私がいちいち非難したり、説教したり、非を指摘して改善を促す必要など全くない。
お任せお任せ。
ここは、損を引き受けておいたほうが、長い目で見て得だよな……と私は考える。
こういう考え方になったのは、いつ頃からか覚えていない。
私の知人でも親御さんの相続財産のことで親族と揉めている人がいた。
弟の子どもたちが父親の養子になったから、私の相続分が減るではないか、私に承諾も得ずに勝手なことして!と怒り告訴した。
親の金なんて、他人の金なんだし、どうでもいいじゃないか。そんなの損を引き受けて、自分の取り分を諦めたり、少なくていいと引っ込めばいいのに……と私は思った。
そのことを口には出さなかったが。
それほど私は親切じゃないんで。
だいたいが、相続争いに裁判闘争するほどの正義はない。
そのような骨肉の争いによる心労のせいか、その知人は癌になって亡くなった。
あえて損を引き受けておけば、ストレスもなく、その知人は今でも元気であったかもしれない。
ややこしい内情の実家との縁が切れて、さぞ清々しかったろうに。
ありゃ、実家離れができていなかったのだろうなあ。
それはともかく、怨念とか憎しみとか、そういう負の感情は、感謝とか慈しみのような正の感情より激しいので、そういうものを持たないことが、怨念や憎しみという感情を自分に持たせた人間と縁を切る1番の方法だと思う。
それは、お前がアホで脳天気に生きてきて、酷い目にあったことがないからだろうって?
そうかもしれない。
確かに私が遭遇してきた理不尽さなど、大したものではないよ。
憎んでいる人もいないし、恨んでいる人もいないからなあ。
嫌いな奴はいっぱいいるけれども、そんなの関係ないしなあ。
確かに私では参考にならないだろうけれども、私が、あえて損を引き受けることで難を逃れてきたと思っていることは真実なんだよね。
私の人生が平々凡々で穏やかなものであったのは、その成果だと思ってる。
例の東京は深川の富岡八幡宮の日本刀殺傷事件だって、あの姉か弟のどちらかが宮司の立場でいることを諦めてしまえば、事は簡単だった。
あえて損を引き受けたほうが運が良くなるであろうことは確実だった。
急いで結論など出す必要はなかった。
あの姉と弟は来世でまた会うよ。
かわいそうに。
来世は弟が姉に殺されるんだろうね。
お疲れさま。
嫌いで憎い人間ならば、全力で、今世で縁を切っておかねば。
そのためには、カネで鎮魂するしかない。
カネは、魂さえ鎮めることができるのだ。
不倫による離婚調停でも、不倫問題を起こした方が、サッパリ全部を清算して捨てる方が、別れたい配偶者と縁が切れていい。
もう亡くなったが、私の好きな女優さんの山田五十鈴さんは、男性遍歴が多彩な人であったらしいが、別れるときは一切合切相手の男性に渡してきたそうだ。
三國連太郎さんも面白い男優だったが、新しい女性との生活に入る前に、全財産を前の女性に渡してきたそうだ。
だからこそ、山田五十鈴さんも三國連太郎さんも息長く俳優生活を全うすることができたのだろう。
全財産を渡しちゃえば、渡された方はまあ納得して、恨みも時間が経てば消える、忘れる。
反対に、大杉榮という大正時代に活躍した社会思想家は、すごい才能の持ち主だったのに、関わった女性に迷惑かけっぱなしで、若い愛人との逗留費用のカネを前の愛人(神近市子)に依頼して、持って来させて、頭にきた前の愛人に刺されて、挙げ句の果てには、関東大震災直後の混乱の中で憲兵に殺された。
大杉さん、あの時代にリバータリアニズムなんか理解できた人で語学もすっごくできたから、頭が良すぎて、損を引き受けて難を逃れて、悪縁を切るという理不尽な発想ができなかったのだろうなあ。
頭はいいが勘が鈍いというか、霊的知恵がないというか。
ま、私はどんなに馬鹿にされても、損を引き受ける方が悪縁を排除できるという説を採る。
まあ、馬鹿でいいのよん。
世界基準で考えれば、絶対に受け入れられない考え方だ。
イスラエルとパレスチナ自治区のどちらかが、あえてご縁を切るために損を引き受けます、なんてありえない。
中国が日本との悪縁を切るために、日本のやったことを許しますなんてことにはならない。
韓国が日本との悪縁を切るために、慰安婦問題についてもう黙ります、なんて金輪際言うはずない。
よほど、日本との縁を切りたくないらしい。
日本はアメリカの原爆投下についてアメリカを責めてないけど。
私は、バカお人好しでカネをむしり取られるばかりの方が、長い目で見れば、日本の得になるし徳になるし、悪縁も切れると思ってる。
同じ土俵に立つと縁が切れない。
いつまでも同じ土俵にいると相手の馬鹿が伝染する。
先に行こう。
コスモを上げよう。