[245] 舌はがし(11) まだ人間未満であった

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本日は、2018年1月15日月曜日である。

13日土曜日は福山に行った。

福山が誇る「歯科室むつてっせん」で、院長の松永心子先生より歯のチェックとクリーニングを受けるために。

私の口腔内衛生は、以前より少しずつ問題のない方向に行っているようである。

それから、「歯科室むつてっせん」非常勤職員であり、かつ福岡の「七星スパルタ鍼灸院」院長&舌はがし啓蒙活動のリーダーである平井幸祐氏による舌はがしを受けた。

私の舌はがし状況は、時間はかかってはいるが、舌の裏側の鬱血は軽減しているし、じょじょに舌は上がっているらしい。

ただし、下顎の下口蓋の歯列が狭くて、舌がその歯列の作る空間内に収まらない状態は変わっていない。

であるから、13日の平井カリスマの施術は、もっぱら口腔内拡張のための口腔を掴んでグイグイ引っ張り拡げるというものであった。

痛かった。

あれで、ほんとに広がるんかいな。

あと、この木のヘラで舌をペタペタ叩いてちょーらいと指令を受けた。

この木のヘラは、「滅菌舌圧子」と呼ぶ。

「めっきんぜつあつし」?

「めっきんぜつあっこ」ではないね。

これで舌の上をペタペタ抑えて、舌に圧力をかけると、舌の上に向かう弾力が増すそうである。

蜂蜜をつけて舐めるためのものではないのだ。

それから、どういうわけか、平井氏のお友だちの沖縄の人気占い師の與儀淳(よぎ・じゅん)氏に鑑定していただいた。30分。

http://yogi-jun.com/

この方の占いの特徴は、ライトを被鑑定者の顔にかざして、その顔に浮かぶ何かから状況を見るというものである。

15歳で沖縄の師匠に弟子入りして、占いについて勉強してきたそうである。

台湾にも行って勉強しているそうである。

TVに映し出される安倍首相の顔に首脳会談の図が見えたりするそうである。

「メディアは報道しないけれど、お忍びで某国の首脳と会ったんかな?」とか思うそうである。

では、與儀氏は私の顔に何を見たか?

ほほほ。

ここに書いてたまるか。

それから、宝塚医療大学の准教授の齋藤彰裕氏による「整復」を80分受けた。

じっくりじっくりと不調の右脚を中心に施術していただいた。

私は、骨盤の歪みにより、左脚より3センチほど短い右脚の踵は、立つといつも床から浮いてしまうのであるが、施術していただいて、両脚とも床にきちんと着いた。

筋肉が捻れているので、その捩れを解いたというのが、齋藤氏のお言葉であった。

被施術者でも、敏感な人は、自分の筋肉が解けていくのがゴロゴロと感じることができるらしい。

私は、身体感覚は鈍感なので、ただただ眠くなるだけである。

私の身体の歪みや捩れは年季が入っているので、歪みを自覚してからすでに少なくとも25年くらい放置したものであるので、数回ぐらいの施術では是正されない。

はい。よくわかっております……

なんで、占いと整復か?

実は1月13日は、「歯科室むつてっせん」の「お正月スペシャルイベント」開催日であった。

そのスペシャルイベントの出し物(?)が、占いと整復であった。

だから、普段は、粛々と歯科治療がなされる診療室が賑やかであった。

占いは、レントゲン室で行われた。

3室ある診察室のうち1室では歯の治療がなされていた。

これは正常で普通のことだ。

もう1室では「整復」の施術がなされていた。

もう1室では、「舌はがし」がなされていた。

歯と全身の健康は大きく関わっているのであり、予防健康学の観点からは、歯科医院で、口腔内治療や舌はがしばかりでなく、整体も整復もあっていいのだ!

というのが、院長の松永心子先生のお考えなのである。

「占い」は?

「愛のある占いは、心の健康に貢献する」のだそーだ。

というわけで、1月13日の「歯科室むつてっせん」は、わけのわからん状態であった。

私は、「歯科室むつてっせん」軍団の方々より、夕食を共にすることを誘っていただいた。

で、福山駅前の天満屋という老舗デパートの近くの「孫市」という天ぷら屋さんに出かけた。

そこで、松永心子先生や平井幸祐カリスマに加えて、「整復の魔術師」と言われる宝塚医療大学の齋藤彰裕氏と沖縄の人気占い師の與儀淳氏と、じっくりとお話しする機会をいただいた。

それにしても、やっぱり福山は飲食店の水準が高い!!

「孫市」さんの天ぷらは非常に美味しい!!

安くて美味しい!!

これだけいただいても、1人3000円以下ですからね〜〜♬♬

私は名古屋に帰っても、福山の美味しいお店の数々が忘れられず、歯の定期検診にかこつけて、美味いもんを食べに福山に戻るのである。

かつての勤務先の福山市立大学には接近すらしないのに……

その日は奇しくも、恐怖の大学入試センター試験実施日であった。

あのセンター試験監督は悪夢であった……

今日は、13日の晩の会食や舌はがし施術や整復を受けている間に、私が聴いた話を書く。

前置き長いね。

もちろん、舌はがし関連の話である。

そーいう話しかしない「歯科室むつてっせん」軍団である。

(会食での聞き書き始め)

(1) 人間は肛門から舌に繋がる一本の管であり、舌が上顎、上口蓋にペタリとくっついている状態でいてこそ、重力に抵抗して、脳を支え、内臓を支えるのであり、そうすると健康なのだから、ほんとうは120歳ぐらいは生きることができるのであろう。

(2) が、どういう経緯でか、人間は舌が下がった状態で生きる羽目になってしまった。おそらく、舌が要であることを知った古代のある人々が、その知識を隠したのだろう。

(3) なぜ、隠したのかといえば、古代の戦争は白兵戦であるから、個別の個人の兵士の肉体能力や運動能力に勝敗が依存するので、兵士を強くするために舌はがし、舌あげは秘中の秘とされたのであろう。

(4) おそらく、古代インドとか古代中国では、舌あげこそが人間の身体管理の要であるという知識はあったに違いない。

(5)チグリス・ユーフラテス文明やエジプト文明において、舌あげの知識があったかどうかは、わからない。

(6) ただし、舌あげの知識は軍略家や武術家の間において、一子相伝式に伝えられて現在に至っているのであろう。権力者だから、特権的富裕層だから、政治的支配者だから、舌あげの知識が伝えられているとは言えない。なぜならば、日本におけるやんごとなき生まれ育ちの旧家の方々が舌あげができているようには見受けられないから。

(7) 舌あげの状態が常態でないと、肛門から舌にいたる管が身体を真に支えているとは言えない。肛門から舌にいたる管がピンと張られていないと、この管を中心に配置されている骨や内臓も血管も捻れる。昔の電話の受話器のコードのように捻れる。

(8) 「整復」というのは、捻れてしまっている筋肉の捻れを解く作業である。

(9) 痛みというのは、捻れてしまっている筋肉がそのまま硬くなっていることから生じる。

(10) 絞った雑巾のように捻れた筋肉を叩いたり押したりする通常の整体の方法では、筋肉の捻れはとれない。

(11) 優れた「整復師」による捻れた筋肉の捻れほどき施術だけに頼らず、根本的に捻れない身体づくりをしなければいけない。それが、「舌あげ」である。

(12) 舌はがしして、舌あげしてこそ、人間の身体が捻れずに正常に機能するのだから、この意味で舌あげすることが「人間」の始まりなのではないか。

(13) どんな健康法よりも、舌が上口蓋にペタリとくっつくようにして、それを維持することこそ優先的にすべきことである。

(14) 舌はがしも舌あげも個人差があり、数ヶ月で舌が上がる場合もあれば、3年くらい時間がかかるケースもある。気長に、舌はがしを励行した人々にはいい展開が必ず起きている。

(15) 若い時から「尿もれ」に悩んでいた女性の尿もれがなくなったという例を聞いた(私じゃないよ)。

(16) 妊活に励んでも、なかなか妊娠できなかった女性が妊娠した例を複数聞いた。舌あげは、日本の少子化問題にも貢献できるのではないか。

(17) 口臭のために敬遠され人間関係を狭めている人は少なくないが、舌はがしと舌あげで口臭とは縁が切れる。

(18) 赤ちゃんに授乳するときに、縦抱きで授乳することは、もっともっと広めなければならない。一般的な横抱きでは舌が機能せず、唇の形も悪くなり、口腔内の発達が阻害される。助産婦さんへの啓蒙活動がもっと必要。赤ちゃん時代が肝心だから。

2018年早々から、舌はがし&舌上げ啓蒙活動に従事する方々のお話を聴きつつ、天ぷら食いまくりつつ、「舌あげのできていない私は人間未満であったか……早く、人間になりたい」と、私は思うのであった。

64歳になっても人間未満かよ。

ところで、1月13日は温暖な福山では珍しいくらいに寒い日であり、その晩も寒かった。

その寒い夜の天ぷら会食後は、平井カリスマは次の啓蒙活動開催場所の広島市をめざし、齋藤氏はご自宅のある大阪をめざし、福山駅に消えた。

沖縄の占い師の與儀氏は、その日が與儀氏の占い会が開催される日本本土都市巡り占いツアーの第2日目(初日は福岡のゲイバーであったそうだ)であり、翌日は福山在住の與儀氏のファンの方の鑑定があるとのことで、ホテル街に消えた。

「歯科室むつてっせん」院長の松永心子先生は、「飲み足りない」とかで、福山の繁華街に消えた。

不思議だ。

彼女と彼らは、かつて私が教えていた人々と同世代だ。

年代はバラバラだけれども。

私は退職して教師ではなくなったが、若い人たちとのお付き合いはなくなったが、かつての教え子の人たちと同じ年頃の方々とやっぱりお付き合いしている。

かつての教え子たちが大人になって再び私の前に現れたみたいだ。

私は、かつての教え子たちが社会で活躍しているのを目にしているような感じだ。

こういう展開もあるんだな、人生には。

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