本日は2018年1月26日金曜日である。
大寒波の日本である。
寒冷期!氷河期!寒冷期!氷河期!
私は、ここ数日は湯たんぽを布団の中に入れて、デロンギつけて寝ているぞ。
ちゃんと羽毛布団の上に毛布をかけて。
毛布の上に羽毛布団よりも、羽毛布団の上に毛布の方が暖かいそうである。
確かにそうであるな。
本日は、先日火曜日の午後7時から8時半まで開講の三重大学工学部大学院博士課程前期の学生さんたちの前で講義したことについて書く。
渡邊明三重大学名誉教授のご担当科目「生産管理論特論2」で話させていただいたことについて書く。
貴重な機会をくださった渡邊先生に感謝を申し上げます。
ありがとうございます。
聴講に来てくださった「伊勢新聞」社長の小林千三氏にも感謝を申し上げます。
お忙しいのに、お越し下さりありがとうございました!
三島先生ありがとうございました!
いつもお世話をおかけしております。
翌日は、くたびれて寝ていた。
久しぶりの90分講義は、くたびれた。
私は、国立大学の学生さんの前で講義したことは一度もない。
しかも工学部の学生さんだ。
しかも大学院生だ。
まあ、しかし私としては、できもしないことはできないのであるから、今の私で話せることを話すしかない。
理系の話なんかできるはずない。
講義内容は、去年の10月に福山市立大学の都市経営学部の紀要(所属教員や大学院生の論集)に提出した論文の内容と、ほとんど同じだ。
渡邊先生は毎回のご講義を録画して、その動画や配布資料を受講生が閲覧できるようにしておられる。
私の講義も録画してくださり、YouTubeにアップしてくださった。
ありがとうございます。
私自身も自分のiPadに録音して、就寝するときに聴き流してみた。
やっぱり早口だなあ。発音悪い。滑舌悪い。
それから、結局は90分を「喋り倒して突っ走る」講義スタイルは、変わらない。
というか、変えることができない感じだ。
私は退屈が嫌いなんで、自分の講義でも突っ走るのだ。
でも、脈絡はつけてある(つもり)。
理解しやすく展開している(つもり)。
何が言いたいのかハッキリと明確にしている(つもり)。
何が問題で論議されているのかわからない講義はしていない(つもり)。
学生時代に、さんざん、わけのわからない脈絡のない講義は聞かされたので、そういう講義をじっと聞く学生の苦痛は、よくわかるから。
ここに、私の「生まれて初めて国立大学工学部大学院で講義した!」動画を晒します!
え〜〜その前に、以下に私の講義のポイントのみ書いておきます。
あらかじめザザザと読んでおいてくだされば、私の早口の講義がわかりやすいと思います。
(以下、フジモリの講義の大雑把な要点メモ)
(1) 資本主義が悪いと人々は気軽に言うけれども、単なる金儲けや貨幣の蓄積は、厳密に言って「資本主義」とは言えない。
(2) 近代資本主義とは、資本と技術だけでは生まれない。資源と技術を合理的に組み合わせた「産業経営資本主義」が、近代資本主義である。
(3)実現可能な目的を立て計画立案し実行するという経営の根本がない資本主義は機能しない。
(4) 社会主義は、高度な産業経営資本主義を経過しないと無理。社会主義は国家資本主義で、国家が経営者であり、何を生産し、どう生産し、生産物を国民にいかに分配するか決定し計画し実践する。ソ連も中国も、その経営センスがなく、国民は物資不足で苦しみ、一部の特権層のみ富を享受した。つまり、この世には、産業経営資本主義としての資本主義しかない。
(5)では、この近代資本主義はいかに生まれたのか?ゾンバルト説とヴェーバー説がある。
(6) ヴェルナー・ゾンバルト説は、奢侈と恋愛が近代資本主義を作った説。女性にもてたい男が女性が好む絹織物とかレースとか宝石とか、そういうものを職人に作らせ、商工業が盛んになり、資本家が生まれた説。
(7)マックス・ヴェーバー説は、キリスト教のプロテスタントの宗教改革のうちのカルヴィニズムやピューリタニズムが浸透した地域に近代資本主義が生まれたのであり、神の目にかなう有能な人間でありたい欲望が資本主義を推進した説。
(8) 近代資本主義の精神は3つ。宗教的救済としての労働と救済。経営のセンス=目的合理的で行動禁欲的な労働こそが神の目にかなう成果を産むという思想。結果として貨幣が蓄積されることの肯定=利潤の肯定。
(9)日本はアジアで唯一、まがりなりにも近代資本主義を達成したが、カルヴィニズムもピューリタニズムも関係ないのに、なんで達成できたのか?
(10)実は江戸時代から、「勤労は宗教的修行」「商業は大いに人々に貢献する」「結果として富が蓄積されるのは卑しいことではない」という思想が生まれて、農民や商人や職人たちに浸透していた。ヴェーバーが言う資本主義の精神の類似したものが、江戸期の日本に生まれていた。
(11) これらの思想を内面化した豪商たちは、金融業や先物取引など多岐にわたる事業に投資して、幕末には勤皇派にも佐幕派にも資金を融通した。そこから明治期に政商となり現在にいたる財閥を形成した。
(12)ただし、日本の資本主義の精神には、目的合理的に経営する姿勢が弱い。目的を達成するための機能集団ゲゼルシャフトが、成員間の調和や成員の福祉が目的となった共同体ゲマインシャフトになってしまうので。たとえば、学生の教育が目的ではなく、教職員の生活費を生み出すことが目的となった大学とか。
(13) 実は現代の資本主義の行き詰まり状況の原因は、資本主義の精神を忘れているからだ。アメリカにしろ日本にしろ。
(14) 社会主義も資本主義の精神がなければ実現できないのだから、資本主義の精神にたちかえらないと、今の世界の混乱から抜け出せない。
(15) 経営学を学ぶことは、資本主義の精神の具体化を学ぶことである。
(以上、フジモリの講義の超大雑把な要点メモ終わり)
まあ……世界が本来の資本主義の精神に戻ることは、ありえず、このまんま混迷を重ねていくのだろうけれどさあ……
しかし、資本主義しかないのだから、資本主義を有効に成立させる資本主義の精神にたちかえらないと、なんともならんと思うよ……
という実に素朴でナイーヴなことを、羞恥心なく語りました。
だって、何のための労働か?
倫理的意義をなくした労働なんて、奴隷労働だろ。
良き目的を設定し、その目的が遂行されるように合理的に考えたら、社員を過労死させるような状態とか、不良手抜き作業とか、十分な検査調査なしの商品売り込みとか、ありえない。
結果として富が蓄積されることと、富の蓄積のみを求めることとは、全く違う。
現代世界の破茶滅茶ぶりってさ、資本主義の弊害じゃない。
人間の劣化なんだ。
人間の精神の腐敗が原因なんだ。
という、あたりまえのことを話しただけです。
すみません。
というわけで、お気が向いたら、聴いてやってください。
スライドを使っているので、教室を暗くしていただいた。
であるから、私はシルエットしか映ってない。
これがいい。
見苦しいオバ(ア)サンなんか見せんでよろしい。
この日は、髪が白菜みたいでさあ、もう。
恥ずかしながら、初めて先生の講義を聞きました。MP3に落として車の中で運転しながら2回聞きました。非情に勉強になりました。高校の教科書に載せてもらいたいですね。先生の話を若い人や、子供たちにしたいと思います。岡田くんの映画も見ます。
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Kazuさん、私の講義の動画をご視聴くださり、ありがとうございます。最初は英文学のセンセイだったんですけどね、途中から訳のわからないことになりました。
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