本日は2018年2月14日水曜日である。
この時期になると、去年の今頃を思い出す。
4学期末試験終わって、卒業研究発表会が終わって、4学期の採点に成績報告を済ませて、福山撤退の準備に取りかかり始めた頃だ。
あの作業は大変だった。
21年間の単身赴任生活の撤退であり、31年間の正規雇用教員生活の撤退であった。
消耗した。
あの疲労を取るのには、随分と時間がかかったような気がする。
私にとって、最後の勤務先を1年早く退職するのは、一種の「損切り」だった。
あと1年で定年なのだから、あと1年くらい働けばいいのに……
肝臓が悪いとか、脚の不具合とか、癌の末期ではないのだから、なんとでも誤魔化せるではないか……
医師に診断書を書いてもらって、仕事なんていくらでもサボれば、1年間ぐらい誤魔化せるじゃないか……
大学の教員になるのは大変だったのだから、最後までやるべきではないか。
大学の専任教員になれたのは、やっと33歳の時だったんだから。
人様より10年以上も遅かったんだぞ。
31年間しか正規雇用で働いていないんだぞ。
年金のこと考えろよ。
大阪の桃山学院大学にいれば、定年は70歳なのに、わざわざ定年65歳の公立大学に来たこと自体が、そうとうに馬鹿なことだった。
実に損なことだった。
しかし、あのまま、猛烈に忙しい私立大学にいたら、大病になるのは目に見えていた。
だから、あえて損とはわかっていても、移るしかなかった。
しかし、予想以上の大損であった。
なのに、よりにもよって定年前に、65歳前に辞めるなんて。
新設の公立大学なので、大学としていろいろ整備されていなくて、いいことなんもなかったのだから、せめて定年くらいまで働けよ。
この損を少しでも挽回するためには、せめて、せめて、最後まで勤務すべきではないか?
ここで辞めるのでは、まさに踏んだり蹴ったりではないか?
心乱れた2015年の晩秋。
しかし、私の結論は、ここは、あえて「損切り」するしかない、というものだった。
「ここにこれ以上いても何のメリットもない。経済的にも赤字が続く。名古屋との二重生活を支えるだけの給与ではない。今までの努力や我慢を考えると惜しい気もする。が、ここは、あえて損切りしよう。長い目で見れば、今辞めるほうが、損は大きくならない」だった。
そうなんですよ。
今までに注いできた自分のエネルギーや忍耐を考えると、ここで諦めることは、もったいないし、自分が選択し、やってきたことへの冒涜ではないか?
決めた以上は、最後までやるべきではないか?
と思ってズルズル続けると、蓄積された損はもっと膨らむ。
自分へのプライドにこだわっていてはいけない。
始めた戦争が終われないのは、そのせいだ。
1942年、ミッドウエイ海戦ぼろ負け。
1943年、ガダルカナル島玉砕。
アッツ島玉砕。
今まで亡くなった同胞のことを考えたら、先人の積み重ねてきた苦労を考えたら、ここで南方を手放したら……台湾を手放したら……ここで朝鮮を手放したら……ここで満洲を手放したら……
もう一度大きな勝利を収めてから、和平交渉を始めよう……
このままでは、損ばかりで終わるではないか……
で始まった1944年インパール作戦。
またもや大失敗。
とグダグダやっているうちに、サイパンもグアムも陥落。
そこから飛び立つ米軍爆撃機による本土大空襲が始まった。
フィリピンのレイテ戦大敗。
1945年に硫黄島玉砕。
沖縄に米軍上陸。
長野県は松代の大本営と皇室シェルターが完成されるまでは降伏させてもらえなかった沖縄戦。
それでも戦争を終えることができなかった。
ここまできたら、連合軍も簡単には終わらせてくれませんって。
連合軍内部の利害の衝突もあるんだし。
8月6日に広島に原子爆弾が落とされた。
あれれと思ってたら、8月8日にソ連が宣戦布告してきた。
8月9日には長崎に原子爆弾。
8月15日敗戦後の満洲にはソ連兵が乱入し、満蒙開拓民は棄てられた。
関東軍さんの幹部は、とっくの昔に逃げておりました。
関東軍とコネのあった在留邦人も逃げておりました。
作詞家のなかにし礼さんは、ご両親が関東軍の出入り業者であったので、軍人やその家族と最後の満州鉄道逃亡列車に乗ることができた。
「損切り」ができないと、もっともっと大きな損を重ねて破滅する。
大東亜戦争の敗北は、「損切り」できない日本人の典型的な事例となってしまった。
「損切り」は、人間関係でもしなければいけない。
ここまで人間関係を築いて維持してきたのだから、もうちょっと我慢してみよう、もうちょっと待ってみよう……
でないと、今までの私の努力はなんだったの?
私の選択眼が間違っていたの?
私の決断が間違っていたの?
いいえ、そんなはずはないわ……
必ず、私の忍耐は報われるわ……
と思っているうちに、どんどん傷つけられ、消耗し、金銭的にも損害が蓄積されていく。
ここは、認める。
私の選択と決断が間違っていたと。
目的合理性に欠けていたと。
私は馬鹿であると。
プライド捨てる。
もう、それまでの自分の努力や忍耐への未練なんか振り捨てる。
あえて、損切りする。
負け戦で撤退する。
この損切りは、肉親に対しても、友人に対しても、異性に対しても、勤務先に対しても、所属団体組織に対しても、するしかない時はするしかない。
「あかん、こいつは」と見定めたら、サッサと離れるしかない。
サッサと廃棄して逃げるしかない。
時には、その損切り対象は、自分が経営する会社だったり、自分の信仰だったり、思想だったりする。
転向を怖れてはいけない。
損切り対象は、ひょっとしたら自分の故郷や国の場合もあるかもしれない。
被った損を挽回できなくても、これ以上の損を回避するために、あえて撤退する。
これが、「損切り」だ。
65歳になって、振り返ってみると、私って「損切り」ばかりしてきたと思う。
自分の選択が正しかったとは思わない。
自分の選択により実行してきたことが成功したとは言えない。
全部が失敗だった。
はっきり言えば、私がしてきたことは全部が失敗だった。
ただ、私はその失敗を直視してきた。
綺麗事で誤魔化してこなかった。
「失敗から学べたのだから、いいわ」なんて自分に言い聞かせなかった。
「あかん、やっぱり私は馬鹿だ。もうやめた」と決断して、損切りし撤退してきた。
これは失敗ではなかったと思う。
私の人生の唯一の成功は、「損切り」であったのか。
まあ、これからも「損切り」を繰り返し、撤退を繰り返すのだろうなあ。
まあ、破滅せずに、自分の人生を歩き抜いていけばいいのであるよ。
馬鹿なんだから、賢いフリはしない。
というわけで、大恐慌がヒタヒタと近づいているようですので、副島隆彦氏や田中宇氏が指摘しておられるように、「損切り」して、株も手放した方がいいそうですよ。
まあ、ご意見はいろいろありましょーが。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
損切り千両 の先にあるもの。それは 無欲万両。
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小林社長、拙文をお読みくださり、ありがとうございます。無欲にはなれそうもないですが……
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何について欲があるのですか?
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知識欲ですね。知っても、だからなんだと思うような類のものではありますが。はい。それの一種の旅行欲もあります。
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