同じく、今日は2018年3月20日火曜日だ
この本については、まだまだ書くんであるが、今回は、ちょっと息抜き編。
前回の記事で紹介した『帳簿の世界史』は、いわば、accountability=会計簿公開という形式での説明責任がいかに困難なものであるかを、世界史の流れに沿って、様々な事例で説明している。
それぐらい正直な収支記録というものを残し続けるのは難しい。
ましてや、国家が正確な国家財政の会計簿(財務諸表とか)を公開するなんて、いまだかつて行われたことなどない。
それほどにガラス張り会計簿の実現は難しい。
仮に、各国が自分んとこの財政状況をガラス張りにして公開したら、どうなるか。
アメリカは、「他人の金で食っている国」だということがばれちゃう。
アメリカの威信は崩れ、ただの借金まみれの寄生虫国家だとばれちゃう。
属国に無理に米国債を買わせていることで財政破綻を回避してきた国だと、ばれてしまう。
日本は毎年度30兆円分の米国債を買ってきて、その累積40年分で1200兆円。
その米国債を日本は売れません。
なんか日本がアメリカの同盟国でなくなると、日本のインフラが崩壊するようにコンピューターに仕掛けておきましたと、僕がやっておきましたと、Edward Snowdenさんが言ったそうですが。
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/357253
一方、日本が特別会計予算とか言って隠してることを辞めて、国家の帳簿を公開したら、日本国民は、年の税収40兆円ぐらいしかないのに、毎年度30兆円を宗主国に貢いできたのだから、日本がいつまでたっても貧乏なのも当たり前であるとわかる。
日本の国会議員を責めても始まらないとわかる。
じゃあ、日本国民に、自分に、私に、宗主国に国富を貢がない独立国家としての日本を創る気概や覚悟があるのかなあ、どうかなあ……と考えるようになる。
これからも老若男女みな生かさず殺さずの国畜で生きて働いて税金取られるだけの極東の経済特区の奴隷として生きていくのかなあ……と考えるようになる。
だから、国家財政の公開なんか財務省はしない!
財布握って、財布の中身を秘密にしておくことだけが財務省のすべきことだ。
森友がどうしたこうしたとか、瑣末なことで騒ぎ立てることはしてもね。
そもそも、財務省は、ちゃんとした国家の会計簿を作成してきているのだろうか?
財務省の官僚は、キャリアもノンキャリアも複式簿記できるんかな。
ところで、あの躍進著しい中華人民共和国には、国家の会計簿なんてあるのか?
統計の数字もテキトーな国だしなあ。
国家財政を事実のままに記録してるはずないね。
1949年建国以来、そんなもん記録したことなかったりして。
毛沢東さんが経理に強いって聞いたことないし。
社会主義国家、共産主義国家は、計画経済なんだから、収支管理、会計管理は必要不可欠なはずだけど、ソ連も中国も失敗したんだから、会計管理なんてできてないって。
そもそも、個人経営の店の会計簿だって、整理記録するのは大変だ。
ましてや、複雑な経営体である国家の会計の実態を把握して記録するなんて、もうほんと、とんでもない煩雑な作業だろう。
だから、ついつい、正直で正確な会計簿作成は、どこの国でも怠ってきた。
ニッチもサッチもいかなくなると戦争起こして、帳簿も燃やして、チャラにしてきた。
その繰り返しが世界史だ。
だけれども、現実から遊離せずに対処するためには、個人から国家のレヴェルに至るまで、収支記録を残して、自分の財政状況を把握することは、何よりも大事だ。
私の長年に渡る浪費癖が是正されたのは、福山市立大学に行って収入がガクンと大幅に減り、貧乏になったので、家計簿なるものをつけるようになったからだ。
まずは収支を記録するようになったからだ。
今は、家計簿アプリもいろいろある。
クレジットカードとか銀行口座(登録してネット決済できる状態ならば)とかと連動して、収支を記録できるアプリもある。Zaimとか、Money Forwardとか。
すっごい便利だ。
それでも、収支の記録をつけるのは面倒なものだ。
私みたいな面倒くさがりは、ほんとはお金のことなんか考えたくもないし、収支記録をつけるのも嫌だ。
が!
お金というのは、すごい発明品であり、本気で対処すると、ほんとにいろいろ学べる。
収入がないのに使おうと思えば借金するしかない。
借金は返済しなければいけない。
返済しなくてすむ金をくれるのは親だけだが、親は死んで久しい。
ない金は使えない。
これ、現実。
現実は現実で消えないのだから、現実に対処するしかない。
夢見る少女じゃいられない〜〜♬♬
こーいう状態が、人間を鍛えるのだよね〜〜
私は、比較的高収入で浪費していた自分よりも、低収入になって自分の家計簿をつけている今の自分の方が好きだ。
物事をよく考えるようになったし、物事のコストパフォーマンスを考えるようになった。
物を買う場合でも、よくよく考えるうちに欲しくなくなり、あまり買い物しなくなった。
欲しいものは物じゃないとわかった。
ちゃんと自分で自分をコントロールしている感覚がいい。
私は、今の貧乏が怖くなくなった自分が好きだ。
自分という経営体の収支を把握していると、安心だ。
慎ましくとも、借金などなくやっているという自信があるので、貧乏でもちゃんと自分の足で立っている!という誇りが持てる。
ポジティヴ・シンキングpositive thinkingとか言って、思えば叶うという妄想哲学がアメリカにはあるが、いくら思っても口座の残高は増えない。
金は稼ぐか、貯めるか、節約するしかでないと、存在しない。
これ現実。
で、私が思うのは、子どもにはピアノより会計学を教える方がいいんじゃないかってこと。
自分の現実と折り合いをつけることを身につけさせるには、金の収支を記録させること、自分でなんとか帳尻を合わせることを実践的に学習することがいい。
そして、それは、早い方がいい。
学資ローンの返済で苦しんでいる若い人が多いそうだ。
安易に借金すると、非常に苦しみ消耗することになる。
もっと早くにお金の現実を知っておくべきだ。
親が非現実的で夢見る夢男さんや夢子さんならば、決して真似しちゃいけない。
現代の日本は、夢男さんや夢子さんの親が多いので、若い人もモデルがいなくて大変だ。
私の教師時代の観察によると、親が夢見る夢男さんや夢子さんだと、子どももそうなる。
現実から遊離しがちになる。
身の丈に合わないことをしたがる。
現実から遊離すると貧乏になる。
当然だ。
皇太子殿下でもないし内親王でもない吹けば飛びような庶民のガキが、王子様や王女様のつもりで生きてちゃいけない。
この『帳簿の世界史』は、高校生や大学生の必読課題図書にしていいくらいの名著だ。
お金持ちになるために会計学の重要性を知るのではないよ。
自分の現実と向き合うことから逃げないために知るのだよ。