本日は、2018年5月3日木曜日である。
黄金週間まっただ中だ。
無職のプー子のくせに、やはり週末は嬉しいし、連休も嬉しい。
先週の4月27日金曜日は福山の「歯科室むつてっせん」に歯のチェックとクリーニングを受けに行った。
舌の上がり具合も、院長の松永心子先生に診ていただき、舌はがしもしていただいた。
なかなか舌は上がらないけれども、コツコツやろう。
舌が上がっても、放置しておいたら、また下がる。これは死ぬまでの努力よん。
ついでに、生まれて初めての歯のホワイトニングもしていただいた。
そのついでに、エナメル質が足りず表面が凸凹しているので、コーヒーや人参ジュースの汚れが付着し易かった前歯を何とかしよう〜〜ということで、前歯2本の凸凹を樹脂で埋めていただいた。
前歯の先端もちょっと欠けていたんで、これも綺麗にしていただいた。
ほほほほ。
笑顔に自信が持てるわん。
今さら、笑顔に自信を持ってもしかたないけど。
ところでだ!
その4月27日の夕食は、「歯科室むつてっせんを囲む女子の会」のお食事会であった。
最後のゼミのお別れお食事会でお世話になったレストランでのお食事会だ。
岡山県浅口市鴨方の「ビストロ・ヴォナ村」のフランス料理だ!
60代&50代&40代の女子4人は、美味しいものをいただいて幸福であった。
相変わらず安田文博オーナーシェフのお料理はすごい!!
まあ、私は美味いもん食いたさに福山に戻ってるようなもんなので。
最後の勤務先の福山市立大学での日々は思い出したくない類のものであるが、福山(と、その近辺)の飲食店の水準は高いのだよ!!
これで、税抜き7000円だぞ!!
とんでもないコスト・パフォーマンスの高さだぞ〜〜♬♬
名古屋なんかで外食してられるか!
自分で作るのと変わりないような程度の味のものに金を出せるか!
メルカリに参入してから、小銭にもシビアになってきた私。
送料175円か195円かにこだわるようになった私。
ところで、その女子会の席で、今春のTVドラマはけっこう面白いものが多いという話になった。
『ブラックペアン』とか『家政夫のミタゾノ』とか。
松永心子医師のご推薦は、ディーン・フジオカ様の『モンテ・クリスト伯』である。
ふーん、そうかあ。
まあ、ディーン・フジオカ様なら、お花みたいなものだから、眺めてるだけでもいいけどさ。
で、翌日名古屋に帰ってから、iPadで『モンテ・クリスト伯』の第2回目を見逃し配信で視聴した。
これが、面白かった。
ツッコミどころ満載なのだけれども。
『モンテ・クリスト伯』って、復讐譚なのかあ……
漫画版も宝塚歌劇版もあるし、映画化もされている。
はい、そうです。
私は、『モンテ・クリスト伯』を知らないのです。
読んだことがなかったのであります。
『赤毛のアン』も読んだことないよん。
『モンテ・クリスト伯』は『巌窟王』とも呼ばれる物語だ。
フランスのアレクサンドル・デュマ( 1802-1870)作の大長編小説だ。
『椿姫』の作者の同名の作家は、この人の息子さん。
だから、お父さんの方は、息子さんと区別して「大デュマ」と呼ばれる。
アレクサンドル・デュマ・ペールね。
私は、TVドラマの展開なんて待ってられないので、原作を読んじまえと思って、Kindleで読み始めた。
プロットなんかウィキペディアにも載っている。
小学生向きのダイジェスト版でもいいのに、私は原作にこだわった。
1956年初版の岩波文庫が復刻版もあり、今でも発売されている。
すごいぞ、岩波書店。
訳者は、山内義雄氏である。
読み始めたら止まらなかった。
訳文は昭和30年代だから古色蒼然とした趣である。
19世紀前半を舞台にしているので、時代劇調の日本語でいいのだよ。
日本で言えば、江戸時代の黒船が来る何十年も前の頃の話だ。
が!なんとこの小説は岩波文庫で7巻もあった!!
7巻……
7巻……
Kindleで読むと眼が疲れるから、全7巻セット買おうと思ったけど、その夜はamazonで在庫切れだった。
私みたいな奴が大勢いるんだね〜〜〜
TVドラマで知って、「あ、読んでなかったから、読もう」と思う奴が。
読まずにいるのもったいない古典文学を蘇らせるために、どんどんドラマ化してちょーらい。
いっそ、NHKの大河ドラマが、ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』を幕末明治を舞台にしてドラマ化すればいい。
タイトルは、そのまんまで。
面白いがね。
『モンテ・クリスト伯』はディーン・フジオカ様のドラマのおかげで、蘇ったぞ!!
バラ売りで古書店から取り寄せてもいいけど、サッサと一気に読みたい私は、しかたないのでKindleで全部揃えた。
紙媒体の本ならば、読み終わったらメルカリに出品できるのに。Shit!
で、読みましたです。
4月28日の夜から読み始めて、5月1日のお昼頃に読み終えた。
最低限の家事に従事する時間以外の時間が自由なのは、無職のプー子の特権。
『モンテ・クリスト伯』は、よく組み立てられた長編小説だ。
ナポレオンがエルバ島に流され、王政復古し、でもナポレオン諦めず反乱を起こし、やっぱり失敗で島流しで、また王政復古。
そーいうフランスの19世紀前半社会変動期を背景に、地中海世界が舞台となる。
主たる舞台は、マルセイユとパリ。
王政に戻った時代に、ボナパルト派ということで逮捕された無実の船乗りの青年が、絶海の孤島の監獄で希望のない囚人の日々を過ごす。
が、別の独房の囚人が博学の司祭であったので、その司祭から数々の学問を学ぶ。
科学も化学も数学も薬学も歴史も語学も。
ハッシッシなんかも教えてもらったりして。
ヤク中にでもならんと、やってられんわ、ほんと監獄なんて。
ということは、当時のカトリックの坊さんって麻薬やってたんかしらん?
ともかく、主人公の青年は、14年の苦節の末に脱獄を果たし、司祭が在りかを教えてくれた財宝を手に入れ、自分を陥れた4人の男たちに復讐を果たす。
その4人のうち3人の男は社会的名士になり上がっていたし、そのうちのひとりは、主人公の青年の婚約者を妻としていた。
主人公は、何年もかけて周到に復讐計画を実行する。
あーた、フランスの市民革命なんて信じちゃだめよん。
あの国は革命後に3回も王政に戻ってるんだからね。
フランスの市民革命つーのが、一般ピープルの中から自然発生的に生まれた自由への希求の産物だったという「おフランスの近代神話」のデタラメさ加減が、よくわかる。
一応、この物語は「血湧き肉躍る」冒険譚でもあるということになっている。
それは、 ちょっと違う。
この小説は、「お金がないとなんもできんよ。復讐も人助けも恩返しもできませんよ」ということを描いている。
いや、ほんと。
この小説は、非常にお金のことを書いている。
いくらかかるか数字をちゃんと書いている。
主人公が脱獄できても、モンテ・クリスト島という無人島に隠されていた財宝や金貨を手にすることがなければ、主人公はあの人と同じ。
あの人?
ほら、愛媛の刑務所を脱走して向島に潜み、瀬戸内海を泳いで広島に渡った脱獄犯がいたでしょう。
あの脱獄犯が、広島県福山市の鞆の浦に浮かぶ弁天島の洞窟に隠されていた10兆円ぐらいの価値ある金塊や現金や株券を掘り出したと仮定してください。
彼が、なんとか山口組に連絡して、偽造パスポートを得て、整形手術して、東京のファンド会社に投資して、超富裕層のセレブとなり、日本の上流社会に食い込んでいく……と仮定してください。
そういう展開の物語があったら、アホらしいでしょう。
荒唐無稽だと思うでしょう。
そうなんですよ、『モンテ・クリスト伯』って、そういう荒唐無稽な話です。
リアリティない。
が、面白い。
何が面白いか。
それは、この物語の最後の言葉に表現されている。
「待て、しかして希望せよ」
後にモンテ・クリスト伯爵と呼ばれるようになった主人公のエドモン・ダンテスは、冤罪による不条理な逆境に苦しめられた。
ひとり息子を失ったエドモンの父は孤独と貧困の中で餓死した。
太陽のごとく明るい無垢な19歳の青年は、声も顔貌も変わり果てる苦闘に自殺も考えた。
でも待った。
諦めなかった。
自分の人生を取り戻すことを諦めなかった。
そして、富を得て、復讐を重ねるうちに、復讐の虚しさを知るようになった。
確かに、彼は復讐を意図して、かつて自分を陥れた人々に接近した。
しかし、彼らが滅んだのは、必ずしもエドモンの策略のせいだけではない。
彼らは、彼らがしてきた悪行の蓄積の派生物によって滅んだ。
結果は出る。
あなたが手を下さなくても、復讐は成される。
主人公のエドモンは過去に囚われている自分自身を解き放ち、新しい日々に向かう。
人生は忍耐と勇気だ。希望だ。
結果は大いなる存在に任せて、ただただ生きるのだ。
怨念を超えて。
トラウマを超えて。
前を向いて。
『モンテ・クリスト伯』は、荒唐無稽な物語だ。
唯一のリアリティは、「お金がないとなんともならん」と示唆している点だけだ。
お金の話ばっかりだからね。
あまりにお金の話ばかりなんで、逆説的に、この物語は財がないとなんともならんということを描いているということに、読者が気がつかない。
でも、ただそれだけじゃない。
『モンテ・クリスト伯』は、今のような混迷深まりつつある時代に、これからもっとろくでもないことになりそうな時代に、いいメッセージを与えてくれる
以下のようなメッセージを。
「ともかく生きていくんだ。いつでも希望を抱いて待つんだ。待った末に得られるのは、あなたが欲しかったものではないかもしれない。予期していたものではないかもしれない。でも、それよりはるかに大きなものを、あなたは手にすることができる。それは、あなたが諦めずに人生を生きたという事実だ。あなたにとって、それほどの誇りはない。それは、人間が誇っていい自慢していい唯一のものだ。勇気だ。生き抜いていく勇気だ」
古典と呼ばれてきた文学作品の全てが読むに値するとは思えない。
しょうもないものも多いと思う。
でもまあ、『モンテ・クリスト伯』は、現代まで生き残ってきただけのことはある作品だった。
待て、しかして希望せよ!