[329] ガーン!! 夫が緊急入院 (1)

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本日は2018年10月18日木曜日である。

14日日曜日に夫が緊急入院した。

それを私が知ったのは、大阪から名古屋に戻る新幹線の車両の中であった。

大阪での会食をすませて、午後8時40分発の「のぞみ」に乗って、京都を出たあたりだった。

時間は午後9時前であった。

夫から携帯に電話があり、夫が出たと思ったら、すぐに別の人物が出た。

その人物は、自宅から比較的近い某総合病院の医師だと自己紹介した。

その医師の説明によると、その病院の緊急外来に夕方になって夫がやって来た。診察したら、腸閉塞症状なので、これから処置と同時に、いろいろ検査する必要がある。本当は患者本人以外に家族の同意が必要だが、いつ病院に来れるか、まだ時間がかかるなら口頭で承諾を経て、すぐに検査して、入院してもらう、ということだった。

晴天の霹靂……

でもなかった。

実は、14日日曜日は大阪に宿泊する予定だった。

翌日の15日には、新大阪駅近くの「おかざき治療院」で整体を受ける予定であった。

例の、甲州武田家伝来足蹴整体である。

しかし、14日の朝に、ホテルも整体もキャンセルしていた。

なんとなれば、その数日前から、夫が吐き気がするし腹痛があると言っていたので、気になったからだ。

でも、14日の夕方に大阪は難波のスイス南海ホテル内のレストランで開かれた会食会は、欠席できなかった。

私が、一種幹事役であり、主賓のタイからのお客様の通訳も兼ねる予定だったから。

午前中に休日診療の病院に夫が行ったときは、そこの医師が「様子を見ましょう。ストレス性のもので休養すればいいかもしれませんし」と言ったそうだった。

ならば、ひとまず大丈夫だろうと思い、私は大阪に行った。

が!大阪での会食が始まる頃に、夫は自分の不調の異常さにたまりかねて、ひとりで病院に行ったのだ。

名古屋駅に着いて、タクシーで私は病院に行った。

ところが、その病院には緊急入院者の名簿に夫の名がなかった。

新幹線の中での電話のやりとりだったので、騒音のために、私が病院名を聞き取り間違えた!

自宅の近所には総合病院がふたつある。

名称もちょっと紛らわしい。

すぐに、もうひとつのほうの、もっと大きな総合病院に電話してみたら、夫の名前の緊急入院者がいた!

で、またタクシーを呼び、その病院に到着したのが午後10時半だった。

ということで、しばらくの間は、本Blogは、「緊急入院した夫に付き添う奥さんの日記」風になります。

刻々とFacebookに投稿していた記事をここでリサイクルします。

すみません。

私の場合、こういう状況で不安を紛らわしたりしようと思うと、Facebookに愚痴愚痴と投稿することしか手段がない。

なんか書いてれば落ち着くのだ。

すみません。

この記事も、夫の病室のソファで書いてる。

2018年10月14日日曜日

ただいま病院。

夫は腸閉塞とかで検査中。まだ会えず。

大阪から名古屋への新幹線の中で病院の医師から電話と説明。

夫は自分で救急車呼んだらしい。

名古屋駅から病院に直行。

午後十時半なのに、時間外診療とかで、緊急外来待合室は人がいっぱい。

今の病院は、こうなの?

看護師さんが忙しく行き来します。

親の入院の時とは、ショック度が深い夫の入院。

病院で検査が終わった夫と会う前に、午後11時45分くらいに緊急医の簡単な説明を聞く。

パソコン画面を指差しながらの説明だ。

ほぼ確実に「大腸ガン」らしい。

えらくサラッと言うよな、このドクター。

進行した大腸ガンの症状として腸閉塞が起きるそうだ。

ガーン!!どう腫瘍だ。

明日に主治医から詳しい説明があるまで、ご主人には言わないでくださいと言われる。

言うか!

夫の病室に行く。

病室は個室だった。トイレとシャワーがついてる。寝椅子状のソファもある。

高いけど、夫が決めた。

「こーいう時のために医療保険いくつも入っている」と夫が言う。

入院セット1日500円を使うから、着替えはいいから、自宅からは携帯電話の充電器とiPadとパソコン持ってきてと、言われる。

零時10分くらいまで病室で話す。

かわいそうだね、病人は。検査は辛かったそうだ。

腸閉塞のために便が非常に細くしか出ないので、お尻にチューブを入れられて、そのチューブから便汁が袋に溜まるように処置されていた。

これからしばらく絶食で水分を摂るのも禁止。点滴が痛々しい。

結局、タクシーを呼んで自宅に帰ったのが、零時40分。

くたびれてるのに眠れない。

そりゃそうだ。 眠れるはずない。

最悪の場合は、夫は自宅に生きて帰ってこれないかもしれないのだ。

夫も不安だろう。

「どこでもドア」があって、ドアを開ければ病室に行ければいいのにね。

2018年10月15日月曜日

夫の入院2日目。

朝の8時前に病室に到着。

外来受付は午前8時だが、その前から多くの人が待合室の座席を埋めている。

病院は、医師も看護師も看護助手も、スタッフさんは忙しい。

患者も付き添いの家族も忙しい。

本日の検査はレントゲンだけだった。

頻繁に看護師さん来訪。血圧測定、血液採取、患者が記録した尿量確認、点滴交換。

大きな病院なので、看護師さんも数が多くて、入れ替わり立ち替わりだ。ー

薬剤師さん来訪。

各種清掃担当の方も来訪。

エアコンのフィルター交換担当者も来訪。

主治医がお尻に入れたチューブの洗浄のために来訪。

家族以外の連帯保証人は勝手に夫の弟にして、未提出であった「入院申込書」に必要事項を記入して、窓口に持っていく。

窓口は長蛇の列。

こんなに病人が多いのか。

お昼頃に主治医の若い内科医からデータをもとに、丁寧な説明を受ける。資料もいただく。

夫が入院した病院は告知するのが原則だ。

ガンは昔ほど怖い病気ではないからね。

夫は予感があったらしく、私はネット検索で調べ上げて見当をつけていたので、ふたりとも淡々と聴く。

大腸ガンのステージIIIa。初期のガンではない。

5年以内生存率は80%くらい。

肝臓や胃への転移はなさそう。

この転移があれば、末期ガン。

そうなると手術で腫瘍を取り除くのではなく、抗ガン剤などの化学療法になる。

より詳しい説明と手術の日程を明日の午後に外科医から聞く予定。

売店で、部屋履きに、パンツ型オムツに、下着がわりのTシャツなど購入。

「入院セット」なるものの申し込みもする。

夫は入浴できないので看護師さんが持ってきた温かい濡れタオルで、身体を拭く。

朝の血圧170。午後6時の血圧190。

ちょっと頭痛があり微熱あり。お腹が張って鈍痛あり。かわいそうだね。

私は眠ってないので、夫の病室のソファでひっくり返って寝ていたが、10分ごとにスタッフの来訪者があり、そのたびに飛び起きる。

それでも、10分や15分ぐらいの仮眠でも、その仮眠が蓄積されると頭がスッキリしてくる。

空いた時間は寝ちゃう。これがいいね。

病院の病室の清掃も分業化されてる。

ゴミ箱回収のみ担当。床掃除のみ担当。ベッド枠のみ除菌担当。

家族に病人が出て付き添うとなると、もうそれだけでいっぱいいっぱいだ。

安倍政権も株安もアメリカも中国もロシアも北朝鮮も、どーでもいい。

ほんと、どーでもいい。

何も欲しくないし、どこにも行きたくない。

世界がどうなっても、病人が苦しまなければいいと思う。

病院はひとつの小宇宙だ。病気に関すること以外の思考が停止する。

私の手帳に夫の何回もある検査日が記される

前に書かれていた私の予定は全てキャンセル。

入院先には、フードコートがあり、介護用品もあるイオン系コンビニがあり、カフェがあり、レストランがある。

絶食中の夫がいる病室で物を食べるのも無神経なので、私はフードコートで軽食。

座席は120席ぐらい。

これだけ座席があっても、フードコートは静か。

病人か付き添いの家族しか利用しないので、静か。

みな疲れているような、放心しているような。

笑顔は、ほとんどなし。

ATMがある。美容院がある。理髪店もある。

ここの美容院で髪を切るしかないな。

東京は青山のPeek-A-Booの川島文夫氏の予約は2回もキャンセル。

病室退室午後7時。

2018年10月16日火曜日

夫の入院3日目。私は、朝の8時前に病室入り。

前夜やはり、あまり眠れず。数時間ぐらいウトウトしたのだろうか。

今日は特に忙しかった。

ソファに寝っ転がって仮眠とってる時間がなかった。

レントゲン撮影と肺機能検査があった。

消化器外科医の先生のオフィスに移動して、説明を受ける。

夫は車椅子に座り、点滴と便汁入りチューブと袋をつけたまま。

なのに、膝掛けにこだわる。

私はタオルのひざ掛けとウールのひざ掛け両方を用意しておいたが、タオルのひざ掛けがいいとのこと。

大腸ガンステージIIIaのS状結腸ガンで、そこにできた腫瘍を取り除く。

腹腔鏡手術予定。

事情によっては開腹手術に変わる可能性もある。

手術数日前に外科病棟の病室に移動。手術後も外科病棟病室で過ごす。

個室になるかどうかは未定。

手術日は奇しくも結婚記念日で、私の父方の祖父の命日の11月9日。

「あ、その日は私たちの結婚記念日です」

と、私は、さり気なく外科医さんにアピール。

というか、軽くプレッシャーかけたつもり。

順調に行けば、11月の下旬に退院できるそーだ。

ただし、レントゲン撮影により、腎臓にも小さな腫瘍が見つかったので、この手術も別にする必要があるとのこと。

あれ!

次に、その腎臓の腫瘍のことで、泌尿器外科医のオフィスに移動。

腎臓ガンはステージIで、AIダヴィンチで腫瘍摘出。

泌尿器外科医の先生は、ニコニコ笑いながら言う。

「あのドラマのね、『ブラックペアン』ではダヴィンチは悪者扱いだったけれど、ダヴィンチは患者さんの身体に負担がかからないし、僕はダヴィンチの操作法の講習で教えているぐらいだし、講演も何度もしてるし、大丈夫ですよ!」

手術は12月10日。真珠湾攻撃記念日の2日後の予定。

ということは、年内に退院できるということかな。

外科手術を2回連続で受けて大丈夫なのかなあと思うが、大丈夫なのであろう。

病状がハッキリしたので、夫の職場に事情を説明。

夫は私より10ヶ月ほど年下で64歳で現役。

名古屋市内の私立大学の教員だが、もう今年度の授業やゼミ指導は無理。

今の大学は多忙で、病み上がりで務まらない。

夫は職場で管理職であるが、それも代理の方を立てていただくことを依頼する。

ここまで済ませて、ひとまず安堵。

しかし、排泄が普通にできるというのも、すごいことなのだなあ。

腸閉塞で、つまり腸を便が通過できないので、便が少ししか出ていなかったのを、肛門からチューブをいれて、チューブを便汁が通り、その便汁が入る袋をぶら下げて、かつでっかい紙オムツをしている夫。

主治医の若いドクターは、1日に3回病室を来訪してくださり、そのチューブの洗浄をしてくださる。そうしないと、チューブが詰まるから。

その作業をしながら、ドクターは「横漏れしました?」と何度も夫に訊く。

腹部の減圧がすすむと、便がチューブの横からも出てくるそうだ。

紙オムツに便をしたと夫が言ったら、「いいです、いいです、その調子です」とドクターは言う。

紙オムツに初めて排便したとき、夫は「人として終わったような気がする……」と、ぼやいた。

紙オムツも多種多様なので、まずはパンツ型紙オムツ使用。

次にサイドをテープで留める紙オムツを使用し、どちらが具合がいいか実験しよう。

ずっと絶食で水を飲むのも禁止だったが、今日から水は飲んでいいと許可が出たので、ペットボトルの水を買い込む。

トイレに流せるウエットティッシュも買い込む。

病室退室午後7時。

2018年10月17日水曜日

入院4日目。

私は、やはり眠れずに、朝の7時半に病室入り。

ソファでの仮眠用に小さい毛布を自宅から持参した私。

入院後初めて、夫は髭剃りをする。きちんと洗顔フォームで洗顔し、化粧水つける。

看護助手さんに、シャンプーもしていただき頭部もスッキリ。

血圧測定、採血、温タオルで身体の清掃はルーティン

そこに、今日はカテーテルを両腕にいれた。

階段の昇降などの身体運動検査。

告知を通過し、手術日も決まり、できるだけのことをすると決めたので、夫も私も落ち着いている。

とはいえ、夫は実家の弟に自分が入院したことを知らせていない。

95歳の老母の耳に入るのが辛いらしい。

まあ、好きにしなされ。

私の方も、妹は肝硬変で闘病中だから、夫のことを知らせる気がない。

私は、気分転換と必要に駆られて、病院内の美容院でシャンプーとカットをしてもらう。

スッキリ。

日曜日以来の睡眠不足で眠たいばかり。

今年の秋と冬はハードだぞ〜〜〜

病室退室午後6時半。

自宅に帰った私は、年上の友人のひとりが送ってくれた八ヶ岳のお菓子屋さんの焼いたパイを受け取る。

その中のブルーベリーパイをありがたく美味しくいただき、就寝。

くたびれた……

ああ、人生は予想外に展開する……

愚痴愚痴と投稿する私に対して、Facebook友だちの方々は、いろいろ助言してくださる。

意外なほど、私のFacebook友だちには医療関係者が多いのだ。

ありがとうございます!

4 comments

  1. 渡邊先生、コメントありがとうございます。病人にとって何がいいかだけ考えて、他の余分なことは考えないようにしています。心配も不安も恐怖も無駄な漏電で、消耗するだけなので。病人本人が一番苦しく寂しいでしょう。自由に何もできないですもんね。

    いいね

  2. こんばんは。お久しぶりです。水戸にいた大橋です。

    なぜか急に「藤森先生、どうしているかな?」と思って、アインランド研究会を久しぶりにみてみようかと
    検索していたところ、このブログにいきつきました。

    我が父は、ガンの闘病を10年ほどしています。
    入院するたびに、毎週、特急と新幹線を乗り継ぎ愛知県へと帰っておりました。
    初めのガンは、5年生存率2~3%しかない、あのワイン好きの川島なお美がなった胆管がんでした。
    その後7年生きぬき、7年目で肝臓がんを発症、ステージⅣといわれ、2年後の昨年、再発しました。
    心臓がもともと弱く20年程前にバイパス手術経験もあり、弁もおかしくなっているので、
    これ以上、手術は出来ないといわれました。
    そのため、家族と本人が行き着いたのは「先進医療の陽子線治療」で、昨年、治療し現在は安定しております。
    父は仕事が好きで、日常生活では、仕事もしております。

    ご本人が一番苦しくつらいとは思いますが、家族も大変なことかと思います。
    私は、何度も入院するたび、愛知県へ帰っては、色々な大変なことがあり、自分が滅入ってしまいそうでした。
    藤森先生も、くれぐれも、お身体に気をつけてください。

    基本的にフェイスブックもラインもやらないと決めておりましたが、
    とても気になり書き込みをした次第です。

    PS.
    この4月より、主人の転勤(大手町)で、転勤希望をだし、東京(新宿)で働いております。

    いいね

    1. 大橋恵さま : わあ、お久しぶりですね。コメントありがとうございます。

      そうですか、お父様がそのように病気で大変でしたか。私も最初はショックでしたが、多くの方々が適切な治療を受けて、余命を伸ばしている例をたくさん知りました。それで、私もやれるだけのことをしようと思い落ち着きました。

      大橋さんのお父様の事例も参考になります。諦めずに闘病なさりお父様もご家族も粘り強いですね。人間の意志の問題が大きいですよ。

      病院に出勤という最近の私の生活ですが、いろいろ勉強になっています。生きているということは、その間は勉強できるということですもんね、やはり生きるべきです。生きることができる間は。

      お父様を大事にしてさしあげてください。ご自分のお仕事やご主人も大切にガンガン楽しんでください。

      ご連絡ありがとうございました!

      いいね

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