本日は2019年3月16日土曜日である。
今日は、読んだ本の紹介とかはしない。
放言だけする。
私は、1953年昭和28年生まれだが、つくづく自分の世代はラッキーだなと思う。
とは言っても、まだ死んでないので、自分の人生にしろ、自分の世代にしろ、総括するには早過ぎる。
これからの10年間は非常に厳しくなるだろうから、自分の世代がラッキーだと断じるのも誤認かもしれない。
それでも、私は自分の世代がラッキーだと思う。
その理由を以下に3点にまとめてみた。
(1) 平和な時代に生まれて成長するにつれて日本が豊かになっていった。
以下の写真は、私がガキの頃の写真だ。
どこのスラムのガキかと思うような写真だ。
すっげえ不細工なガキである。
それはさておき、私が生まれた1953年からの10年くらいは、普通の家庭のガキでもこんなんである。
富裕層のお嬢さんは知らんよ。
もう、下の写真のガキなど、難民の子どもと変わらない貧乏くささである。
以下は、私が小学校5年生か6年生に行った京都奈良修学旅行の時の京都の旅館の写真である。
驚くよ〜〜
お化け屋敷じゃないよ〜〜
なに、この旅館!
この旅館は鴨川の前の河川敷にあった。
幕末の頃には、この旅館に勤皇の志士が集い、旅館近所の路地を新撰組に追われて逃げたとかなんとか、当時聞いた記憶がある。
京都は空襲がなく、江戸時代の旅館が、そのまんま、1960年代前半にはまだ残っていたのである。
しかし今の感覚で言えば、すっげえボロ家である。
今時の小学生の修学旅行では、こーいうところに泊まらないだろう。
児童虐待と言われるかもしれんよ、こーいうところに宿泊させれば。
しかし、1960年代前半昭和30年代末は、これでいいのであった。
今の鴨川沿いは、こうなっている。
小学生の私が修学旅行で泊まった「大和屋」は、今でもあるのだろうか。
検索したが、そーいう屋号のホテルも旅館もない。
京都ロイヤルホテルの中に京料理「大和屋」というのがあるが、それであろうか?
わからない。
ともかく、私の世代は、先ほどの木造スラムっぽい旅館の時代から、今のこの写真の時代まで来た。
すでに平和な時代に生まれ、成長するにつれて、ドンドン世の中が便利に豊かに多彩になっていくのを見て喜んだのが、私の世代である。
景気は総じてずっと良く、父親の月給は年ごとに増えて行った。
電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機が購入され、テレビも来た!
食卓が年々歳々、皿数が増えて食材も豊かになっていった。
自宅でビーフステーキを普通に食べることができるようになった。
食ったわりには私の身長は伸びなかったが。155センチ&チョットで止まってしまった。
「おかしいなあ……絶対に165センチを超えると思ってたのに……」と父は嘆いた。
私もそう思ってたわい!!
自宅の台所に給湯器がついた。これは1960年代前半だ。
自宅にエアコンがついた。これは1960年代後半だ。
夏は涼しい!冬は暖かい!
1960年代半ばには、街角に自販機なるものが出てきて、飲み物が機械に硬貨を入れれば手に入るようになった。
1970年代の大学生時代は昭和元禄だ。
キャッシュカードというものが一般的になり、口座から現金引き落とすために銀行の窓口に行かなくて済むようになった。
ドルが変動相場制になって、360円から200円代になった。
大学生が比較的気楽に海外旅行に行けるようになった!
1980年代はバブル期だ。いよいよ日本が浮かれてきた。
普通の日本の女が欧州の高級ブランドのバッグを持てるようになった。
クレジットカードを持つのは当たり前になった。
手動タイプライターが電動タイプライターになり、ワードプロセッサーが発売された。
1990年代に景気は後退したが、インターネットが1993年に開発された。
Macのパソコン買ったぜよ!嬉々としてe-mailを始めた。
1995年あたりからamazonなどのネット通販が出てきた。
1996年に単身赴任で大阪に移った私は、大阪と名古屋の間を行き来するために新幹線の切符をインターネットで予約するようになった。
21世紀に入り、インターネット速度はドンドン速くなった。
携帯電話が普及してきた。「写メ」できるようになった。
2007年にiPhoneが発売されて、2010年にはiPadが出た!
アプリなるものがいっぱい出てきた。
「失われた20年」って言われても、その間にも、街には新しいビルが建ち、景観はみるみる清潔に綺麗になっていったのだ。
病院や医療サービスも、どんどん向上した。
それは、1990年代初頭の父の入院時と2018年の夫の入院時を比較すれば一目瞭然。
私の世代は、ちょっと年上の団塊世代のように数も多くなかったので、競争も激しくなかった。
学生運動も末期だった。
入学した南山大学で授業料値上げ反対の集会をやっていても、「授業料の心配するような人間が私立大学に来るなよ。国公立に行けばいいだろ」と思い、私は無関心だった。
私の世代は、もう物心ついて以来、物質面では世の中がどんどん発展し便利になって行ったので、今でも、正直言って、暗い未来など想像できない。
今はこうでも、きっともっと先は素晴らしい時代だよと思い込んでいる。
科学技術の発展を信じて疑わない。
その意味で、おめでたい世代だ。
(2) トイレが水洗になりウオッシュレットが標準装備になった。
このことについては、もうほんとに私は日本に感謝している。
現代に生まれたことに感謝している。
このことが1番だ!
何よりもトイレだ!
私は、トイレがドボン形式便壺形式の時代に生まれた。
あれは子ども心に非常に憂鬱であった。
中学になった頃に、トイレが水洗になったときの喜びたるや!!
とはいえ便器は、まだ和式であった。
高校時代に、自宅の水洗トイレが洋式便器に取り替えられた。
万歳!!
1980年代に肛門洗浄装置つきトイレが売り出された。
うわお〜〜
それでも、1990年代初頭は賃貸マンションでも分譲マンションでもウオッシュレット付きトイレは一般的ではなかった。
私が今の自宅の分譲マンションにウオッシュレットをつけたのは1998年だ。
嬉しかったので、よく覚えている。1998年!
価格は10万円以上はした。
私はガキの頃からトイレにはこだわった。
学校のトイレなんて大嫌いだった。不潔で臭くてなるたけ入りたくなかった。
南山大学に入ったのは、トイレが綺麗だったからだ。
用をたすときの音消し装置もついていた。
うわお〜〜
地元の国立大学なんか、トイレは和式で、水洗の水の出は悪く、ドアの鍵が壊れていて、用を足していると勝手にドアが開いた。
裸のお尻を見られた!
「こんなとこ受かっても来てやるか!」と思った。
落ちたからいいんだけど。
映画でもテレビドラマでも、時代劇を見ると、私はついつい、「でもトイレは水洗じゃないし、ウオッシュレットついてないし」と思う。
藤沢周平の『鬼平犯科帳』シリーズなんて読んでも、「トイレのこと書いてない」と思う。
『源氏物語』が優雅なんて思えない。
「でもトイレはないでしょ。オマルでしてたくせに」と思う。
十二単を着て、どうやって用を足せるのか?
なにが紫の上だ。なにが光源氏だ。なにが葵の上で六条御息所だ。
貴婦人や貴公子のass holeは汚かったはず。
『ベルサイユのバラ』つーたって、ベルサイユ宮殿にトイレはなかったんだぞ。
マリー・アントワネットのass holeも汚かったはず。
アイン・ランドもさあ、トイレのこと書かないとダメよ。
『水源』のハワード・ロークのアパートメントのトイレはどういうスタイルだったのか?
ドミニク・フランコンは、なんでトイレに行かないのか?
絶世の美女でも、生理でも下痢も便秘もあるはずだ。
ということで、私はどんなに落ち込んでいても、「でもトイレは水洗で、ウオッシュレット使えるし」と思うと、ふつふつと心から感謝の念が湧いてくる。
感謝の気持ちに満たされると、元気が出てくる。
私は、ドボン時代のトイレを知っているからこそ、今のトイレの快適さに、つくづく幸福と感謝を感じる。
素晴らしい!!
今や、日本は立派なトイレ大国だ!
高速道路のパーキングエリアのトイレも非常に美しく清潔だ!
このことについては、前にも本Blogに書いたことがある。
(3) あからさまな性差別やセクハラがなくなった。
いわゆるアメリカの「ウーマン・リブ」女性解放運動が日本に上陸したのは、1970年代初頭だった。
でも私が高校時代には、すでにその噂は聞こえていた。
1960年代後半には、アメリカでは、同性愛者差別抵抗運動とともに女性解放運動が華々しく展開された。
ただし、アメリカの第一次女性解放運動は19世紀の南北戦争前から始まっていたが。
この運動は1920年に女性投票権が認められて沈静化した。
1960年代の女性解放運動は第二次である。
今のMe too 運動は、アメリカにおける第三次女性解放運動である。
やれやれ、もっとやれ!
私が小学生や中学生時代は、まだまだ性差別的ではあった。
男の子は乱暴で威張っていた。
ほんとに無神経であった。
生徒会長は男子学生だった。
女子学生は、どんなに優秀でも副会長だった。
しかし、それでも、すでに高校時代に、女が高等教育を受けるのは当たり前になっていた。
女の子は大学なんか行かなくていいなんて言う親は馬鹿にされた。
大学時代にはフェミニズムという言葉が生まれていた。
大学でも性差別はあったけれども、そんなもんどうでもいいよ。
「犬は吠える。しかしキャラバンは進む」だ。
性差別なんかしてる男は落ちこぼれの負け犬だ。
もしくは育ちが悪くて母親や姉妹がろくでもなくて、まともな女のサンプルを知らないのだ。
アメリカのフェミニズム運動に資金を提供していたのがロックフェラーで、女を家庭から労働市場に駆り出して税金を取ろうとする陰謀の一環が女性解放運動だという説がある。
だから何?
自分で稼げない人間は足蹴にされるんだわさ、資本主義社会では。
男も女もない!
貨幣の下の平等だ!
いるかいないかわからない神の下の平等なんかクソ食らえだ!
私の心は意気軒昂だった。
セクシュアル・ハラスメントという言葉が生まれたのは、1980年代半ばだった。
おかげさまで、私が大学に専任で就職した1986年頃には、職場におけるセクハラはかなり抑止されていたと思う。
1990年代に入ると、大学内に人権委員会もできて、明確なセクハラを受ければ訴えることができるようになった。
私は美人でもなく、スタイルも悪く、セクシーでもなく、愛想も悪く、愛嬌もなく、非社交的であり、性格も悪いので、男も寄ってこなかったので無事にすんだ。
「ああ、そこにいたの?どこのおばさんかと思った」と年上の男性の同僚に言われると、「おばさんで悪かったですねえ!」と間髪入れずに言い返した。
もちろん攻撃的な私は嫌われたが、嫌われたって月給の額は減らないので構わなかった。
職場の同僚の男に好かれたって、私の教授昇進が早くなることはないのだ。
仕事をきちんとして、論文さえいっぱい書けばいいのだ!
30代や40代の私は闘志満々だった。
ともかく、私は、女性解放運動の恩恵を受けて生きてこれた。
先人たちに感謝です!
ありがとうございます!
まだまだ今の時代にも性差別は続いている。
まだまだ女は性犯罪の犠牲者になっている。
しかし、おおっぴらに公的に性差別できない時代に生きてこれたのは、ほんとうにありがたい!
日本が平和で豊かさを享受できた時代に生きてこれた!
トイレが清潔で快適になる時代に生きてこれた!
女性に対する差別が抑止される時代に生きてこれた!
私の世代は、貧しかった日本を知っている。
水洗トイレ前の時代のトイレを知っている。
女がおおっぴらに馬鹿にされていた時代を知っている。
だからこそ、その後の時代の変化が嬉しくありがたい。
最初から今の豊かな日本に生まれて育った人間にはわからないだろう、この幸福感は。
というわけで、私は自分の世代のラッキーさに、日々感謝する日々である。
おめでたい?
はあ、そうですけど。
それが何か?
おめでたいと馬鹿にされても、「そーでっか」とカエルの面にナントカである。
初めまして。
いつも拝読させて頂いております。
私は世代的にやや下になりますが、同じ様な事や想いや時代背景を懐かしく感じることができました。
いつも良い記事をありがとうございます。
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創生塾さま:
コメントありがとうございます。いつも拙文をお読みくださり、ありがとうございます。
なんのかんの言っても、いい時代なんです。これからもっと良くなると思います。個別の事例では困ったなあと思わせられるようなことが多かろうと、総体的にはいい方向に行っていると思います。
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