[379] 桶狭間に行った (後編)

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本日は2019年5月20日月曜日です。

すでに5月も下旬だ。焦る焦る。

ところで、もういろいろ、ほんとに起きますねえ。

例の池袋暴走10人殺傷87歳上級国民さんの退院時の姿が、昨日あたりにTVニュースで映し出されていましたが、あれって影武者なんだってね。

耳の形が違うんだって。本人さんの福耳と違うって。

Twitter 界では、もっぱらの評判です。

そういえば明らかに違う。

さすが上級国民! 影武者まで用意できる!

それはさておき、桶狭間に行った話です。

私は前から、桶狭間奇襲攻撃は神話だと思っていました。

桶狭間が奇襲攻撃であったはずがない。

信長は、桶狭間に来た25000の今川軍に2000で挑むようなアホじゃないと思ってました。

真珠湾奇襲攻撃だって、あれは故意にアメリカ政府によって成功させられたのです。

日本軍が真珠湾に来ることはルーズヴェルト大統領は日本軍の暗号解読に成功して、ちゃんと知っていました。

ルーズヴェルト大統領は、第二次世界大戦に参加する気のないアメリカ国民に火をつけるために、故意に放置していたのですよ、日本の真珠湾攻撃情報を得ていながら。

まあ、日本海軍の上層部はアメリカと手を結んでいたという説もあるので、真珠湾攻撃はアメリカに筒抜けだった可能性もあります。

太平洋戦争自体が、日本国民300万人を犠牲にした巨大なる八百長であった可能性もあります……

ということで、戦わずして勝つ調略の天才でもあった信長ならば、忍者の暗殺部隊使って前もっていろいろしたであろうことは確実。

たとえば、駿河で前もって今川義元を殺害していて、尾張に攻めてくる今川さんは影武者だったと知っていて、ついでに今川さんの家臣団の有能なのも殺しておくとか……

前回の記事では、津本陽さんの『下天は夢か』を私は賞賛しました。

が、とはいえ、「やっぱ物語だわ、これも。甘いわ……」と思う気持ちもある私。

ほんとの信長、あんなにカッコ良くない。

戦国の時代に平和をもたらすために修羅になったなんて綺麗事。

信長は、もっともっともっとdirtyです。

クリーンな英雄なんかいるもんか。

頭のいい奴がクリーンなんてありえない。

そういう私の思いをかなり満たしてくれる信長研究もあります。

たとえば、これ。

面白いんですよ〜〜一気に読めます。

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著者の明智憲三郎(1972-)氏は、明智光秀さんの子孫です。

慶応大学での工学博士です。

明智光秀の子孫は多く生き残っています。

みなさん優秀なんです。

さすが遺伝子が違う。

が、変ですよね?

なんで、大謀反人の明智光秀の子孫がそんなにいるんだ?

当時の人々は、けっこう明智光秀さんに同情的だったのかも。

だって家康は、明智さんの重臣の娘(のちの春日局)を孫の家光の乳母にしたし。

まあ、家光さんは家康さんと春日局さんの間の子どもだったという説もあるけれども。

ご存知、著者は、本能寺の変の真実を暴いたとされる本で知られています。

これね。

来年のNHK大河ドラマの主人公は明智光秀で、どうもこの本がネタ本になるらしいですよ。

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この本の中では、明智憲三郎氏は、次のような仮説を提示しました。

信長は本能寺に家康を招いて暗殺するつもりであったので、家康を安心油断させるために故意に手勢少なく本能寺に宿泊していたが、唯一、家康暗殺計画を漏らしていた明智光秀に、そこを突かれた……

なぜ光秀は信長を討つと決断したか?

信長は名実ともに天下を平定した後は、明を征服するつもりだった。

大陸に進出するつもりだった。

そのために明に渡る兵士を乗せる大型船まで、イエズス会に用意せいと打診していた。

天下平定後は、自分の息子たちに日本国を分け与え、臣下は明に追いやりたかったから。

優秀な家臣ほど邪魔でしょ?

冗談じゃないよ……

ここまで苦労させられて、異国に追いやられるのかよ。

で、もう帰ってこれないよ、一族郎党……

ということで、ほんとは信長を討つことは、秀吉にとっても家康にとっても光秀にとっても、自己防衛のためには、する必要があった……

秀吉の朝鮮出兵は、信長の真似だったから。

秀吉の朝鮮出兵に際しては、臣下たちは、信長の時みたいに誰かが謀反してくれないかなあ〜〜と思ってた。

ところが、光秀みたいに根性あるのがいなかった。

で、朝鮮出兵で、臣下たちは、とんでもない酷い目にあった。

朝鮮の人々もとんでもない目にあった。

困るんよ、英雄って。

明智憲三郎氏の説は説得力あります。

確かに家康は信長にとって潜在的ライバルでした。

家康の祖父も父親も家臣に裏切られ殺害されていて、それは信長の父の信秀(この人も凄い人)の調略によるものという疑惑がありました。

家康は信長に復讐する理由はあったのです。

ついでに、正妻築山御前も長男の元康も、信長の命令で家康は処分せざるを得なかった。

正妻と長男でっせ……

副島隆彦氏の仮説によると、信長はもっと早くに手を打って、自分の子飼いの忍者に家康を暗殺させ、家康をすり替えた。

だから、偽の家康は、平気で正妻と長男を処分できた。

私の脳の程度では、どちらが真実かわかりません。

しかし、副島説の方が、説得力あるなあ……

そうなると、明智憲三郎氏の本能寺の変に関する新解釈は、音を立てて崩れます。

偽の家康は信長子飼いの忍者なんだから、わざわざ信長が暗殺する必要ない。

そうなると、信長の手勢少ない本能寺宿泊が謎です。

あの用意周到な猜疑心の強い用心深い信長が、なんで?

幽体離脱によって歴史の場面を見ることができる木内鶴彦さんという霊能者によると、信長は長男信忠と明智光秀とともにヨーロッパに渡ったそうです。

イエズス会の導きで、ローマのバチカンに行き法王に会い、司教になって、彼の地で亡くなったそうです。

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ほんまかいな。

後のことは秀吉に任せて、自分は好きにしたらしい。

明智光秀と信長は非常に馬があったそうで、ソウルメイトだったらしい。

ソウルメイトって、同性ですからね!

ともかく………やはり……

信長殺しの真相は、やはり謎です。

桶狭間の戦いも謎が多い。

でもまあ、桶狭間見ておこうかということで、5月14日日曜日に桶狭間に行ったんですね〜〜

ここは名古屋市の隣の豊明市です。

名古屋市緑区に「桶狭間古戦場公園」つーのもあります。

すぐそばです。

ここには、桶狭間の戦いで亡くなった今川さんの兵士たちの慰霊碑があるらしいです。

残念ながら、ここには行けなかった。

だいたい、織田信長人気は戦後でして、明治時代の戦国武士人気番付では低い。

もっぱら人気は秀吉か家康。

これらの桶狭間古戦場跡も、今川義元さんの死を悼んで戦前に整備された。

文化の香り高き教養人の今川義元さんが、こんな田舎で殺害されて、おいたわしや……のノリで。

織田信長なんて、ただの野蛮人扱いだった。

豊臣秀吉が書かせた戦記ものでは、もっぱら信長の残虐ぶりが強調されて、それがずっと日本史研究でも主流だったし。

しかし、信長の苛烈さなんか、戦国時代の世界基準ですが………

普通ですけど……

現代人の感覚で戦国時代を考えちゃダメだ。

ところで、桶狭間というのは台地です。丘といってもいい。

その台地の中を、馬一頭が通れる程度の狭い道が通ってたらしい。

この狭い道を進み、合戦に持ち込み、狭い道の入り口と出口に陣を引いて、今川軍を挟み撃ちにすれば、織田が勝てる可能性はあり……

今川さんがいたのは、桶狭間というより高根山だったらしいです。

そこから攻撃されて追い立てられて桶狭間に来たらしい。

奇襲攻撃というより、正面突破みたいなもんです。

大平原の正面突破なら数が少ない方が絶対に負けます。

が、こーいう丘の谷間みたいな道の上での乱戦なら、疲れていなくて地の利がある方が勝ちます。

今川軍は、駿河から行軍してきて、途中で織田の砦をいくつか落としてきてるんで、疲れていた。

下の図は、明智憲三郎氏のご著書からパクリました。

これらの図の左側の伊勢湾は江戸期に随分と埋め立てられて、今とは大違いですよ〜〜

うーん、桶狭間に行ってみても、私の悪い頭では、合戦の全体図がイメージできない。

私が知る限り、テレビドラマや映画でも、桶狭間の戦いの映像化なんていい加減だ。

無理もない。

関ヶ原みたいに広いところでやったわけではないし、良くわかんないのだよね。

さて、私が行ったとき、「今川義元戦死所」の旗のところで寒気がしました。

うーん、まだ彷徨っているのかもね、今川さんの亡霊が。

今川義元さんの子孫がいろいろ寄付して、この戦跡は整備されているらしい。

まあ信長ではなく、義元さん寄りの記念碑が設置され、義元さん寄りのパンフレットがここには置いてあったです。

行ってみても、桶狭間の謎が解明されたわけではなかったです。

が、しかし、460年前のたったひとつの出来事の真実でさえわからないんだから、まあ、公式の歴史なんて、公式見解なんて、真実から遠いのだろうなあ……

と、あらためて感じました。

明治維新の謎も、太平洋戦争の謎も、1985年日航機御巣鷹山遭難事件の謎も、9.11も、3.11も、真実は永遠に謎のままかしらん。

8 comments

  1. 藤森様
    こんばんは!
    ご投稿、お待ち致しておりました。
    体調などお優れでないのかと… ぼんやり考えておりましたが、相変わらずのご見識の高さとご明晰に安堵致しました。
    今回もまた、大変良い記事をありがとうございました。

    いいね: 1人

  2. 生きる塾さま:

    コメントありがとうございます。拙文をお読みくださり、ありがとうございます。体調は悪いんですけど、まあ年齢相応でしょう。

    まあ、何もわからないというアホな結論ですが、わかったことは、現代人の感覚で戦国時代を考えてはいけないってことだけでした。明智憲三郎さんの御本も非常に面白かったです。

    いいね: 1人

  3. 生きる塾さま:

    拝見しました! 私は1980年から1996年までTVとか見ていない時期があり、この期間の音楽も知りません。

    あのヴォーカルのカッコいい方ですか?俳優でもやって行けたでしょうにね。

    いいね: 1人

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