本日は2019年10月20日日曜日だ。
一昨日10月18日に白内障手術を受け、昨日朝に病院に行き、眼帯が外れた。
医師によると、人工レンズもキレイに入り問題ないそーだ。
次の外来は明日の月曜日になる。
今回の左目の手術で、半日入院した眼科病院は、やたらご大層である。
私なんか、杖ついてたら、車椅子に乗せられちゃったですよ。
眼科病院には、まともなスタッフもいれば、投げやりで不貞腐れている感じのスタッフもいる。
まともなスタッフと、投げやりなスタッフの格差が激しい。
スタッフの質が一定していない。
これは、夫がお世話になってきた名古屋第二日赤病院とはえらい違いだ。
こういう現象の理由は、3つかな。待遇が悪いか、スタッフに対する教育研修がないか、管理職がしっかり監視していない。
つまり、スタッフ個人の資質にお任せ状態ということだな。
院長というか理事長は、学会でも有名な白内障の権威らしい。
だから、毎日月曜日から金曜日まで、毎日30人週に150人ぐらいの白内障手術を請け負っているらしい。
流れ作業で検査検査検査検査検査……
医師は検査結果をパソコンで確認してちょっと何か言うだけなので、診察時間は2分間ぐらいかな。
朝8時半から営業だが、朝の8時からお客さんが並んでいる。
繁盛しているというか、混雑しているというか。
この病院は、名古屋の三宅眼科医院であります。
いい病院なのかどうか、私には判断がつかない。
しかし、術後1ヶ月間は毎週通院せいだの、1ヶ月過ぎたら2週間に一度通院せいだのうるさい。
毎度の検査代で薄利多売で稼ごうという魂胆に乗っていられるほど、私は暇じゃないよ。
2007年に受けた手術と、今回に受けた手術は術法が違うようだ。
12年前に眼帯を外した時に見えた風景は、すべてがエナメルのように光り、ピカピカ輝いていた。
天国はこのように見えるのかな?と思うような素晴らしい風景だった。
しかし、そのピカピカの輝く風景を長く見ていては目に悪いということで、数日間はサングラス着用させられたっけ。
そのうちに、エナメルのようにピカピカ輝いていた風景がいつもの風景に戻った。残念だった。
今回の白内障手術後に眼帯を取ったら、やはり風景はキレイにクリアに見えるようになった。
しかし、あの全てが濡れるようにピカピカ輝いているエナメル風景は見ることができなかった。
なんでかな。
ところで、もう相変わらず、世間ではいろいろ起きている。
こんな事件面白いね。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191018/k10012139031000.html
張り込んでいた27歳の女性警官がトイレに拳銃忘れてて、調べたら休日に「風俗でアルバイト」してたそーだ。で、依願退職。
いまどきの風俗はブスでは採用してくれないよ。
セックス産業は、パート勤務でも、すでに会社員のそこそこの容姿の女性や有名大学の女子学生しか採用しない。
すでに、セックス産業は、「女性の最後の仕事」じゃない。
貧困に陥った女性を救う仕事じゃない。
この問題に興味のある方は、以下の2冊の本を読んでね!
この退職した女性警官も、そこそこ美人でスタイルも良かったようだ。だって、風俗でアルバイトできたんだもん。
なかなか面白い女性警官だ。
「ソープコップ」ってタイトルで、ドラマ化したらどうか。
ソープランドでアルバイトしつつ、事件を捜査する婦人警官。
ヒロイン役は、意外なキャスティングで、元乃木坂46の生駒里奈ちゃんなんか素敵!
処女なんだけど、テクニック抜群で優しくて素朴で清純で色白で指名No.1とかの。
それは、さておき、昭和63年1988年以降、自殺した児童(中高校生含む)数が最高に達したそーだ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191017/k10012136541000.html
1988年以前には、こういう統計を取っていなかったから、中高校生や小学生の自殺数の多さが近年の現象なのかどうかは、わからない。
ただ、この1988年以前から、中高校生の自殺が注目されて、統計を取ることになったのだろう。
1988年以降の中高校生となると、1970年代に生まれたわけだな。
で、1980年代以降に物心ついたわけだ。
1970年代や1980年代以降とは、どーいう時代か。
有史以来、日本が大衆レベルに至るまで、そこそこの富を享受できた時代だった。
OLが、海外旅行に出かけて、免税のルイヴィトンのバッグを買える時代になった。
「人生はパーティ」みたいな考えが日本に入り込んだ時代だった。
日本において軽佻浮薄であることが市民権を得た時代だった。
自分自身の欲望に素直に生きていいと、初めて日本人が知った時代だった。
資本主義の恩恵を受けつつ、いや受けているからこそ、「人間には生まれながらに幸福に不自由も不便もなく幸せに生きる権利があり、政府はそれを保障する義務がある」という奇妙な思想が、日本に浸透した時代でもあった。
この思想の元となった西洋近代啓蒙思想は、「幸福を追求する権利」と「幸福を追求する権利を保障する市民政府」は認めている。
つまり、「各自それぞれ努力してね!それは誰も邪魔しないからね!」と言っているだけだ。
しかし、「人間には生まれながらに幸福に不自由も不便もなく幸せに生きる権利があり、政府はそれを保障する義務がある」などとは決して言っていない。
でも、どーいうわけか、欧米や日本では、そういうことになった。
拡大解釈が過ぎる。
ともかく、「人間には生まれながらに幸福に不自由も不便もなく幸せに生きる権利があり、政府はそれを保障する義務がある」という奇妙な思想は、欧米や日本の教育界や学界で、一世を風靡した。
こーいうことを唱える政党や政治家は人気を博し、こーいう思想を実現しようと、さまざまな政策が考案され施行された。
「人間には生まれながらに幸福に不自由も不便もなく幸せに生きる権利があり、政府はそれを保障する義務がある」という思想は、簡単に言えば、「私が不幸なのは政府が悪いのよ」って意味だ。
ひいては、「私が不幸なのは、他人が悪いのよ」ってことになる。
「私が幸福で安楽でないのは間違ってるし、正義じゃない」ってことになる。
こーいう時代に生まれ育った子どもはどうなるか?
こーいう時代に生まれ育って、時代の支配的思想を疑いもせずに本気にする子どもはどうなるか?
他罰的になり、いつも欲求不満で苛々しているか、ひたすら自己憐憫に沈み込むかどちらかだ。
だって、現実的に生きることは苦しみが多く不如意ばかりだもの。
でしょ?
「人間には生まれながらに幸福に不自由も不便もなく幸せに生きる権利があり、政府はそれを保障する義務がある」なんて思想を本気にすると、不平不満が多くなる。
自分の不如意をなんとかしない他人への恨みつらみばかりが多くなり、依存性が非常に根深くなる。
前提として、人生に対して甘い見通ししか持たなくなる。
その見通しは、いつも裏切られる。
そうなると、親がダメ。教師がダメ。学友がダメ。社会がダメ。政府がダメ。みんなダメ。
ひたすら、他者がダメ。
決して、自分でできることは何があるのか?と模索しない。
このような奇妙な思想のもとでは、自分の人生は自分で切り拓くなんて発想は出てこない。
こーいう子どもたちに接する親も教師も他人も、この時代の洗礼というか洗脳を受けている。
つまり、子どもと同じく、「私が幸福で安楽でないのは間違ってるし、正義じゃない」って思っている。
子どもと同じく、他罰的になり、いつも欲求不満で苛々しているか、ひたすら自己憐憫に沈み込むかどちらかだ。
正直に言うと、親も教師も子どものことなんか構っていられない。
手間も時間もエネルギーも他人にかけたくない。
結婚したら子どもがいるのが当たり前で、世間体もあるから、産んだだけだ。
もしくは、気楽に性交したら妊娠したんで、産んだだけだ。
ウカウカしていたら中絶時期を逸したので、あとは野となれ山となれで、産んだだけだ。
産まれた子どもが手間がかからないならいいけど、非常に面倒くさい子だと、ほんとは、もう相手にしたくない。
ただでさえ、生きていくことに負荷はかかるのに、これ以上の負荷はかけてくれるな、だ。
教師は教師で、生活の安定のために選んだ職業のために、いちいち努力したくない。
イジメ問題なんて、知らんがな。どーせいというの?
なんで、テキトーに上手くやっていけないんだ?
ひどい?
ひどいかもしれない。
でもそれ、当たり前のことでしょう。
その程度の人が多いのが現実でしょう。
子どもは言語化できないけれども、親や教師のほんとうのところの自分への無関心さに傷つく。
無駄に傷つく。
そんなこと、人間だもの、当たり前でしょう?と思えない。
親や教師がクズでも、私には関係ないと思えない。
他人がクズであることで傷つくなんてアホな状態に陥る。
「人間には生まれながらに幸福に不自由も不便もなく幸せに生きる権利があり、政府はそれを保障する義務がある」という思想を基盤に作られたホームドラマや学園ドラマに洗脳されているということもある。
知らないうちに、それが正常だと思い込んでいる。
いや、そんなの、ただの仮説だから。
ただのファンタジーだから。
現実ではないから。
確かなのは、自分の幸福を求める権利だけだ。
実体でもなんでもない権利だけだ。
でも、「王様や独裁者の幸福に奉仕する権利だけがある」というほど理不尽ではないから。
幸福を求めることはいいけれども、それは何も実質的には保障しない。
そういう言葉があるだけ。
幸福になるための諸条件は自分で実体化しなければならない。
イジメられ暴行を受けたら、自分で自分の身を守らなければならない。
警察に行くなり、病院で診断書を書いてもらうなり、大声で狂ったように抗議するなり、自己防衛に努める。
いざとなれば、金属バットで殴っていいし、ナイフで突き刺してもいいのだ。突き刺したら、グイッと回して抉らないといけない。
親や教師なんか関係ない。
「人間には生まれながらに幸福に不自由も不便もなく幸せに生きる権利があり、政府はそれを保障する義務がある」という思想を疑わないし、それが思想でしかないし現実には無力であると知らない子どもで、他罰的な子どもは、犯罪者になるか、親への復讐で引きこもる。
他罰的なタイプではない子どもは、「私が幸福で安楽でないのは間違ってるし、正義じゃない。こんな世の中に生きることに意味はない」と疲れ切って、世を儚んで自殺する。
素直で物事を疑わない子は、逆説的に犯罪者になりやすい。引きこもりになりやすいし、自殺しやすい。
「人間には生まれながらに幸福に不自由も不便もなく幸せに生きる権利があり、政府はそれを保障する義務がある」という思想は綺麗事の建前ですよん〜〜と思えない子は無駄に傷つく。
「子どもは保護され守られる存在である」というのも冗談だ。
基本的には、人間は怠惰で自分のことしか考えていないクズである。
子どもに性的虐待する変態は少なくない。
親や教師は、そんな変態よりはるかにマシなことが多かったが、最近はそうでもない。
親も人間だから期待して負荷かけると、こいつら切れるぞ……とその程度を測ることぐらい、子どももできないといけない。
親の程度を査定しないといけない。
しかたないのだ。
大人は大人で、あれで精一杯なんだよ。
働いて稼いでくるって大変なの。
毎日の暮らしが回るように家事をするのも、しんどいの。
楽して負んぶに抱っこでいいのは、3歳までなの。
ギャアギャア不用心に煩わしく騒いでいたら、廃棄されるの。
駅のホームから突き落とされるよ。
公園のベンチに置いておかれるよ。
小学生になったら、自分のことは自分でできるように頑張るの。
可愛げのない子どもは生き残れないの。
親の顔色を見て、当たり前なの。
大人の顔色を見て、当たり前なの。
子どもの役目は、なるたけ早く大人になること。
家事全般、自分でできるようになるの。
自分で食っていけるようになったら、サッサと親元を離れるの。
部屋代の節約のために親と同居するなら、食費くらい親に払うの。
学校の先生にも気を遣うの。
教師の仕事を増やさないの。
先生はいっぱい仕事しても給与が増えるわけじゃないんだからさ。
可愛そうでしょ?
と、早々と現実認識できない子どもは、無駄にぐれるか、自殺するはめになる。
だいたい、子どもは子ども扱いしてると、ずっと子どものままだ。
「あんたさあ、私みたいな出来の悪い甲斐性のない母親の元に生まれちゃったから、ハッキリ言って、私はあんたのために何かできると思えない。期待しないでね。サッサと大人になって、自分で食べて行けるようになってね。人間はそれが一番偉い。自分で自分を食わせること。それができればいい。それさえできれば人生は合格!そのかわり、あんたは私の老後の面倒なんて見る必要ない。私は勝手に孤独死するからさ。お葬式は小さくて安い家族葬でいいよ。こんな無能な母親のことは捨てていい。お互いに早く別れることができるように、頑張ろうね!」
と子どもに言ってみたら?
子どもは、きっとしっかり頑張るよ。
大人が、「人間には生まれながらに幸福に不自由も不便もなく幸せに生きる権利があり、政府はそれを保障する義務がある」なんて奇妙な非現実的なことを本気で信じていたら、自殺する子どもは減らないよ。
大人の馬鹿なファンタジーが、子どもをさらにクルクルパーにして、追いつめるの。
こんな思想は、自殺者を増やすみたいな思想なの。
ほとんど邪教だ。
共産主義より邪悪だ。
そこんとこ、よろしく。
いつもフォローありがとうございます。Fujimoriさんの投稿には魂が感じられますね。素敵です。こんなブログこそ真のブログだなあと思います。
僕もこんなブログを書けたらなと思いました。これからも素晴らしいブログ書き続けて下さい。応援しております。(^^)
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耀喜屋さま
コメントありがとうございます。過分なお言葉に恐縮しております。
私は、お金儲けや蓄財の才能はまるっきりありませんが、お金の話は大好きですので、お金のことを意識していれば現実から遊離せずにすみますから、耀喜屋さまのブログを読ませていただいています。
お金のことのみがテーマって、その関連のブックレヴューに特化したブログって素晴らしいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
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